東雲号(しののめごう)

わが東雲号の出帆。さまよえる東雲号が難破するまでの軌跡を追って。

第五回ギリシャ旅行(7) ケファロニア島からアテネ

2007年11月12日 18時52分45秒 | Weblog
2007/10/31(水)
KEHALONIA (ARGOSTOLI ARPT)/ アテネ(エレフテリオス・ヴェニゼス)
OLYMPIC AIRLINES (オリンピック航空)OA631 07:05 – 08:00
 ST. GEOGE LYCABETTUS BOUTIQUE HOTEL 泊

ケファロニア島からアテネへ
ケファロニア島の飛行場は、私たちの泊まったケファロニア島第一の都市、アルゴストーリーの郊外にあります。早朝7時5分の出発なので5時45分にタクシーを呼んでもらってありました。朝6時だと言うのに空港は大勢の人でざわついていました。飛行機はプロペラ機です。あいにく風が強く飛行機が木の葉のように風に飛ばされはしないかと心配でした。ギリシャにはエーゲ海にもイオニア海にもたくさんの島があり、天候が悪く、大型船も行き来が制限される冬の季節にも、飛行機は飛び続けているようなので、誰も心配などしていないようです。アテネに着いた飛行機は着陸の衝撃もなく、すべるように滑走路を走った後、ピタリと止まりました。見事な操縦技術だと感心しました。

セントジョージ・リカビトスホテル
セントジョージ・リカビトスホテルは昨年も泊まったホテルです。朝8時にアテネ港に着いた私たちは、まっすぐにタクシーでアテネの中心部にある標高277メートルのリカビトスの丘の斜面、コロナキ地区の坂の上にあるセントジョージ・リカビトスホテルに向かいました。ホテルのチェックインの時間にはまだ早すぎるので、ホテルで荷物を預けて、リカビトスの頂上へケーブルカーで登ろうと考えていました。ところが10時少し前にホテルに着くと、すぐにチェックインをしてもらうことができて、部屋に入ることができました。ホテルは、昨年泊まったときに比べて、改造されていて格段に立派に様変わりしていました。従業員の態度もすごく洗練されて、良くなっていました。朝が早かったので一休みしてからお昼ごろに出かけることにしました。寝心地の良いベットで、短時間ながら、熟睡することができました。夫がまだ眠っている間にホテルの美容院へ行って見ました。美容院の入り口は格子戸のような板張りの仕切りで飾られ、京都の風情がありました。男の中年の美容師さんで、日本で1年ぐらい修行したそうです。日本にいた頃のガールフレンドのヨウコさんと一緒にとった写真を見せてくれました。若い美男美女のカップルの写った写真の男性が目の前の叔父さんとはとても思えませんでした。ずいぶん昔の青春の一こまといったところでしょうか。身も心もリッフレッシュされ、夫と二人で、ケーブルカーでリカビトスの頂上を目指しました。ホテルはケーブルカーの発着上に近く、リカビトスへは昼と夜の2回登りました。昼にはアテネの全貌を見ることができ、夜はアテネ市のきれいな夜景がみられ、殊に照明されたアクロポリスがきれいでした。


リカビトスのケーブルカーの駅の近くで見かけたブーゲンビリア


リカビトス山頂よりの見晴らし


リカビトスから見たアテネの夜景

2007/11/1(木)
ROYAL OLYMPIC HOTEL 泊

ギリシャ最後の夜はアテネの繁華街、プラカ地区でギリシャの歌と踊りを見せてくれるタベルナで過ごす計画でした。日本で旅行会社を通してプラカ近くのホテルを探して予約してもらってあったのがローヤル・オリンピック・ホテルでした。ホテルはゼウス神殿の近くにありました。過去4回のアテネ訪問でゼウス神殿へはまだ一度もいってなかったので、午前中はホテルでのんびりし、午後ゼウス神殿へ向かいました。快晴です。写真撮影には好都合です。アテネの真ん中に広大な敷地を有したゼウス神殿からは神殿の柱と一緒にアクロポリスもハドリアヌスの門もリカビトスの頂上も写真の被写体にすることができました。ゼウス神殿とプラカ地区とは車の往来の激しいアテネの幹線道路、アマリアス通りによって隔てられています。ギリシャは車の方が歩行者よりも優遇されています。歩行者用の青信号の時間が極端に短いのです。一信号で渡りきれる人はほんの少しの人に限られます。たいていの人は道路の中央部で待って2信号でわたることを余儀なくされます。とてもお年寄りには道路の横断は難しいことです。野放しの犬が道路の横断に困って怒って吠え立てていました。野放しの犬が多いので、犬嫌いの私は出会うたびにびくびくしてしまいます。


ゼウスの神殿


ハドリアヌスの門

夜のプラカ
シエスタ(お昼ね)の習慣のあるアテネの夜は遅いので、プラカのタベルナの開店時間も午後9時ごろが普通のようです。私たちも昼の観光を終えた後、ホテルに帰ってシエスタをとることにしました。9時少し前にお馴染みになっていた、カロケリノスという歌と踊りを見せてくれるタベルナを訪ねました。いつも親切にしてくれる店の叔父さんに申し訳なさそうに、今日は予約でいっぱいなのでと断られてしまいました。仕方なく店を出たところに、同じような店の叔父さんが客引きに来ていて、その人についていきました。ホテルの紹介で、一度行ったことのあるリガスというタベルナでしたので、その店に入ることにしました。私たちが一番乗りで、良い席をあてがってもらえました。そうこうする内にお客でだんだん席が埋まってきました。グループで来てにぎやかなのは、中国人の団体、セルビア人の団体、イスラエル人の団体だそうです。個人客も大勢やってきました。日本の歌、セルビアの歌、中国の歌、イスラエルの歌、ロシアの歌と芸達者な演奏者たちです。お客さんを盛り上がらせたあとで、ギリシャの歌や踊りに移り、お客さんを舞台へ上げて一緒に踊ってもらう趣向もありました。歌と踊りとワインで陽気になっていた私たちでしたが、明日は帰国の日なので、後ろ髪を引かれる思いで、誰ひとり帰ろうとしない早い時間にその場をあとにしました。


タベルナ、リガスの歌と踊り

2007/11/2(金)
帰りは夕方の飛行機なので、荷物をホテルに預けておいて、ホテルの近くの地下鉄のアクロポリ駅からアテネの中心地シンタグマ駅まで地下鉄に乗っていきました。シンタグマはアテネの交通の中心地です。多くの人の往来があります。しばらくベンチに座って人の動きを見ていました。それからシンタグマの近くの目抜き通り、エルム通りとその近辺を散策に出かけました。エルム通りは週日にもかかわらず賑わっていました。エルム通りの裏通りのカフェエテリアで一休みしました。  


シンタグマの宝くじ売り


エルム通り


エルム通りで、焼き栗と焼きとうもろこしを売っているおばさん


エルム通りの裏道のクルーリ売り


エルム通りの裏通りのカフェテリアで、お昼休み過ごすグループ



帰りの飛行機
アテネ(エレフテリオス・ヴェニゼス)/ドバイ(ドバイ)
EMIRATES AIRLINES (エミレーツ航空)EK106 17:05 – 23:20
2007/11/3(土)
 ドバイ(ドバイ)/ 名古屋(中部国際空港)
EMIRATES AIRLINES (エミレーツ航空)EK314 02:45 – 16:50

第五回ギリシャ旅行(6) イタキ島からケファロニア島

2007年11月12日 13時58分02秒 | Weblog
2007/10/30 (火)
ケファロニア島
 MOUIKIS HOTEL 泊
 
イタキ島からケファロニア島
イタキ島のヴァティ港からケファロニア島のサミー港行きのカーフェリーは、一日一本で朝7時の出発です。イタキ島のピサエトス港から、一日もう一本午後4時にケファロニア島のサミー港行きが出ていますが、ケファロニア島での観光の時間がなくなるので、早朝に出るヴァティ港7時発のカーフェリーを選びました。船上からはまだ薄暗いヴァティの町の明かりと朝焼けの雲がきれいでした。雨もまばらに降っていて寒いので船室で過ごしました。行程一時間たらずだったので航行時間は瞬く間に過ぎました。ケファロニア島のサミー港について、一緒に下船した乗客もそれぞれが各方面に散らばって、私たちだけがとり残されてしまったころ、一台のタクシーがら近付いてきたので、とりあえずこれに乗ることにしました。


夜明けのイタキの港町、ヴァティ (午前6時ごろ)


女性タクシードライバーメンマさんのタクシーでドライブ
タクシーの運転手さんは女性でギリシャ人には、よくあるタイプのお相撲さんの小錦関も負けそうな、超肥満型の人でした。パンフレットであらかじめ目星をつけておいた、ケファロニ島第一の町、アルゴストーリのムイキスホテルへ行ってもらいました。ムイキスホテルでお風呂付のあき部屋があるそうなので、下見をさせて欲しいと頼むと、今、まだお掃除がしてないので、島の観光から帰ったころにはお部屋をきれいにしておいてあげるからといって見せてくれません。荷物を預けて、同じ女性運転手さんのタクシーでケファロニア島第二の町、リクスーリへ向かいました。リクスーリは細く長い、湾を隔てたアルゴストリーの対岸に位置します。イオニア諸島では産業がないせいがどこも海水は底が見えるほど澄んできれいでした。この湾も例にもれずきれいな海水でした。対岸のリクスーリの町が手に取るように見えてきれいでした。湾の海岸に沿って、湾をぐるりとまわり、リスクーリの町までは、2時間ぐらいで到着しました。陸路に比べて、目と鼻の先にあるアルゴストーリーまではカーフェリーでだと15分ぐらいで戻れます。メンマさんのおすすめで私たちはカーフェリーでホテルのあるアルゴストーリーへ戻ることにして、リスクーリ港で運転手のメンマさんと別れました。メンマさんは私たちと別れたあと、一人でケファロニア島の中央に横たわる山を超えて、サミーの港まで、戻らなければならないそうなのです。チップを大目に弾んで、お孫さんのお土産に日本の折り紙をプレゼントしました。何よりも良かったのはメンマさんの低速度の安全運転でした。


アルゴストーリとリクスーリを隔てる湾


タクシードライバー メンマさん


カーフェリーでリクスール港からアルゴストーリーへ
リクスーリ港で、そこから対岸のアルゴストーリーに出ているカーフェリーの時間を調べました。カーフェリーは30分ごとに出ていました。カフェテリヤで飲み物を飲んで一休みしたあと、次のカーフェリーに乗って、ホテルのあるアルゴストーリーへ向かいました。ムイキスホテルのレセプションの女の人には、なんだかだまされた思いでした。入ったお部屋は古臭く、お風呂なし、シャワーつき、寝具も汚い感じでした。洗濯物がたまっていたので、洗面所の洗面台の栓はちゃんとついていたことベランダに洗濯を干すためのロープが張られていたこと、ロープには洗濯バサミが取り付けってあったことを知って すべてを許せる思いがしました。洗濯物が風に翻っているのを見るのも気持ちのいいものでした。


リクスーリの港でみたサボテン

ケファロニア島第一の町、アルゴストーリ散策
ホテルのある通りの一区画向こうの通りがアルゴストーリの繁華街でした。繁華街を端から端までゆっくり歩いても2,30分もかからないくらいの距離です。大勢の人で賑わっていました。飲食店や衣料品店が立ち並んでいました。飲食店ではテーブルが道にせり出していて、そこに座った人々は道行く人を観察したり、おしゃべりしたりして楽しんでいるようでした。私たちも人々の注目を引いているようでした。


アルゴストーリのメイン通りで、長の立ち話をする男3人


第五回ギリシャ旅行(5) レフカダ島からイタキ島

2007年11月12日 11時19分38秒 | Weblog
 2007/10/29(月)
イタキ島

レフカダ島からイタキ島へ行くカーフェリーは、早朝7時5分発です。私たちは30分前にカーフェリーに乗り込みました。日本と違って外国では、乗りものが遅れて出発する場合が多いのですが、定刻前に出発したという経験はこれまでにありません。ところが定刻まで、まだ2,3分を残した時点で船は出てしまいました。高速バスにのった際に、バスの時計が不正確なことが良くあります。ギリシャ人は日本人ほど正確な時間にこだわらない国民性のためでしょうか。でも時間ぎりぎりに港に駆けつけた人が一日一本しかない船に、間に合わなっかたらどうするのでしょうか。しばらくそのような人がいないかと、港から目がはなせませんでした。レフカダ島の南端にあるバシリキ港からイサキ島の北部にあるフリケス港までは、地図の上では、たった2キロメートルの隔たりです。どうして2時間もかかるのか不思議に思っていました。傍を通りかかった船員さんの一人に「どうして、イタキ島まで2時間もかかるのですか」ときいてみました。船員さんの答えは、まず、ケファロニアの北端のフィスカルド港までが1時間、そのあとでイタキ島フリケス港までが1時間かかるというのでした。 私たちのことをこっそり見守って、くれていた乗客の一人が、小一時間たって、ケファロニア島で降りる準備をしながら、「あなたたちはここで降りてはいけませんよ」と忠告をしてくれました。


ケファロニアのフィスカルド

イタキ島に上陸
イタキ島のフリケス港に船が着き、乗客全員が船から吐き出され、港はほんの一瞬大混雑です。客待ちタクシーも2、3台見かけましたが、私たちが乗らないようすなので行ってしまいました。港には人影がなくなってしまいました。気がつくと、私たちだけが取り残されてしまっていました。先ほど私たちが乗ってきた、船が遠ざかっていく様子をカメラにおさめたあと、港の周辺をぶらぶら歩いてみましたが、何もありません。小さな店の前で、のんびり座って退屈そうな様子の2人のうち、一人の男の人が「どこへ行くのですか」と声をかけてくれました。「明日、ケファロニア島へ行きたいのでケファロニア島へ行く船の出るヴァティ港の近くで、ホテルを探したいのですが」というと、携帯電話でタクシーを呼んでくれました。


イタキ島のフリケス港


フリケス港を遠ざかるカーフェリー

タクシーでドライブ
間もなく来たタクシーの運転手と打ち合わせをしました。ヴァティでホテルを見つけた後、島の観光スポットに、案内してもらうことにしました。はじめに運転手さんが連れて行ってくれたホテルは運転手さんの身内の人が営んでいるようで、女主人とは顔馴染みのようでした。そこは世界中を駆け巡るバックパックの若者が、何日間かそこに立ち寄ってとどまるための安い貸し部屋のようで、お風呂もなく、私たちにはそぐわないものでした。即座に断りました。次に立ち寄ったホテルで交渉をし、部屋を下見させてもらいました。シーズンオフのせいか、二つの続き部屋を両方使っても良いといわれ、お風呂もあり、気に入たので、そのホテルに決めて、続きのドライブに出発しました。運転手さんはイタキ島で一番見晴らしが良い、ペラホリという高台になった地点を勧めてくれました。そこからはイサキ島のヴァティの町と東の海岸を見下ろすことができました。オデュッセウスが20年ぶりにイサキへ連れ帰えられて置き去りにされたのはどのあたりの海岸だったのかしらとかその頃の人々の町や村の様子を想像したりしました。今度、ホメロスのイリアスやオデュッセイアを読むときはもっと面白く読めるのではと再読が楽しみになりました。


ヴァティの街の遠景


アルファ銀行のマークは、オの鏡文字
ホテルに帰って、ヴァティの街を散歩に出かけました。ギリシャではカタカナのオを左右反対のしたようなマークの建物をよく見かけます。ホテルの近くにもこのマークの建物がありました。アルファ銀行の建物でした。現金の持ち合わせが少なくなったので、持っていったユーロ立てのトラベラールチェックをこの銀行で両替してもらうことにしました。なぜヨーロッパの銀行のマークが日本語のオの字の鏡文字のなのでしょう。疑問が残りますが、少なくとも、このマークがアルファ銀行のマークだということはわかりました。パスポートの掲示を求められ、宿泊のホテル名を聞かれましたがホテル名に注意を払わないでチェックインをすませてしまっていたので、答えることができませんでした。それでも、両替に応じてもらうことができました。外国人に厳しいロシアでは、おそらく両替をしてもらえなかったでしょう。あとで確かめるとホテルの名前はメントールでした。


食事の問題
夜は海岸にあるタベルナで夕食をとりました。肝膵系に病気のある私は油っこいお料理をとることができません。ここにきて、やっとあぶら抜きのお料理を注文することができるようになった私は、心配だったギリシャでの食生活にも問題がなくなりました。「ギリシャ風サラダを頼むときは「オリーブ油は無しで願いします。(フォリース ラーディ パラカロー)」でOKです。「お酢でお願いします(メ クシーディ パパカロー)」と言うと野菜とチーズの盛り合わせたお皿と、お酢の入ったソースが運ばれてきます。イカやタコも油を使わないで焼いただけのグリルを注文することができました。わたしのお気に入りの料理の一つはギリシャ風のサンドイッチです。こんがりとしたサンドイッチの焼き加減がとても気に入っています。これもバター抜きでと注文します。食生活の上で問題があるのはむしろ夫の方です。夫の場合はむしろ嗜好上の問題で、ギリシャ料理が口に合わないそうです。食事に手をつけないで、ビールやワインばかり飲んでいる夫の健康が心配でした。タベルナではブルガリアから出稼ぎに来ている若い女性がウエイトレスでした。あたりでコオロギが鳴いていました。ジャスミンの花がかぐわしい芳香をはなって咲いていました。海風が心地よくいつまでも座っていたい気持ちでした。明日ケファロニアに向かうカーフェリーの出る桟橋を確認したあとで、ホテルに帰りました。


ブルガリアからきたウエイトレス

第五回ギリシャ旅行(4) ケルキア島からレフカダ島 

2007年11月11日 21時36分01秒 | Weblog
2007/10/28(日)
 レフカダ島
 NIDRION BEACH HOTEL 泊
 
レンタカー返却日
テッサロニキで、10月26日午前8時にレンタカーをレンタルして、テッサロニキを出発し、ギリシャ北部を横断し、イグメニッツァ港よりケルキア島のケルキア港へカーフェリーで渡り、10月27日ケルキア島北部のドライブにあて、ケルキア島で2泊した後の10月28日、ケルキア港から再びイグメニッツァに引き返し、ギリシャ北部の西海岸を南下し、レフカダ島の中心都ニドリで10月28日午後8時にレンタカーを返却する予定でした。

カーフェリーは7時に出港です。朝食無しで、ホテルを6時に出発しました。港の近くで、船員たちが朝食に立ち寄っているカフェテリアが開店しているのを見つけ、その店に入りました。ここでは珍しい存在の私たちは周りのお客の注目の的のようでした。チョコレート入りのクロアッサンとコーヒーを注文し、そそくさと食事を終えて店を出ました。「7時出発のカーフェリーの切符はどこで買いますか」「イグメニッツァ行きのカーフェリーはどの桟橋から出ますか」などと聞くたびにギリシャ人は親切に答えてくれます。中には近くまで付き添ってくれる人もいます。来た時よりも船は大型で船室は豪華でソファーのすわり心地も良かったので1時間45分のほとんどを船室で過ごしました。朝早かったのでソファーに座って、うとうとできたのは良い休養になりました。


港近くのカフェテリア



快適な船室



レフカダ島へ向かう道路は車の数も少なく、道路標示が分かりやすく書かれていたので、ほとんど道に迷うことなく、レフカダ島近くのアテネへ向かう道路との分かれ道に当たるアンフィロフィアに行きつくことができました。アンフィロフィアはにぎやかな街でした。ちょうどお昼ごろでしたので、ここで休憩し、昼食をとることにしました。道路にせり出したテーブルの一つに座ると隣のあいたテーブルにギリシャ人一家が座ってきました。お父さんとお母さんと20歳前後の二人の息子の4人家族です。お父さんは日本に関心のある人のようでした。向こうから私たちに話しかけてきました。お父さんは船員として日本に何度も来ているそうです。東京・横浜・神戸・・・といろいろな港町の名前をあげていました。息子さんたちにビールをプレゼントして、お互いの健康を願って乾杯をして別れました。


西海岸の道



アンフィロフィアであった家族 夫婦


アンフィロフィアであった家族 息子たち


レフカダ島は紀元前6世紀に船の航行ができるように、幅20メートルの運河を掘ったため本土と切り離されて島となったそうです。今でも水路として使われていますが、レフカダ島へは橋を渡って行き来します。レフカダ島の第一の都市はレフカダで、レフカダはレフカダ島へ入るとすぐのところにあります。そこから東海岸に沿って南下し、南端までの距離の中ほどにあるニドリに直行し、レンタカー会社を探しました。ニドリに入ってすぐにレンタカー会社は見つかりました。8時にはまだ十分に時間が残っている午後4時ごろでしたが、留守番の従業員は日曜日なので彼女とデートの約束がしてあったようで、私たちの到着を今か今かといらいらして待っていたようでした。私たちは返却までまだ時間が残っているので、レフカダを車で回ってきて、8時前には返しに来るといいますと、だれもいなくなるので困ると言い張るのです。ここでもテッサロニキで、午前9時出発を主張する従業員に契約どおり、8時出発を敢行させた主人の巧みな交渉術がものを言いました。従業員は近くの業者仲間の支援を依頼し、代わりに車の返却に立ち会ってくれる算段をしてくれました。

私たちは翌日のフェリーが出るレフカダ島南端のバシリキ港へのドライブを続けました。船の出港は午前7時5分だそうです。「チケット売り場の人にトイレはどこにありますか」とたずねると、近くにはないので「時間があったら、今、入ってきた船で借りるといい」というのです。船がしっかり着岸して、トイレを借りることができるまでには、まだ時間がかかりそうです。日暮れも近く、レフカダ島のもう一つの南端に古代の女流詩人サッポウが投身自殺を図った場所といわれているドゥカード岬へと先を急いでいたので、そこでトイレを借りるのはあきらめることにしました。結局、ドゥカード岬へは道を間違えて行き着けませんでした。途中でろばに乗ったおばあさんに会いました。おばあさんにお願いして写真を撮らせてもらいました。早くニドリに戻り、レンタカーを返却する前に、ホテルを探さなければなりません。シーズンオフに差し掛かり、しかも日曜日なのでどのホテルも人の気配がありません。幸いレンタカー会社の近くにホテルを見つけることができました。シャワーだけのお風呂のないホテルでしたが贅沢は言っておられません。すぐにチェックインをすませ、レンタカーの返却に急ぎました。

ホテルも決まり、レンタカーの返却も終え、一息つくことができたので、夕方のニドリの街を散策し、夕食のできるレストランを探しましたが、どの店もしまっていて、途方にくれてしまいました。朝早く出発し、長距離の移動でまともな食事をしていません。なんとしてもエネルギーの補給をしておかなければと探し続けた努力が報われて、ファーストフードと書かれた看板のある店が見つかりました。簡単な食事をすませたあと、ホテルに入りました。お風呂がないとはいえ、寝具も清潔で、シャワー室は洗面室とガラス戸で仕切られていて広々したつくりで、その上、海に面して、眺めの良い居心地のいい部屋でした。明日6時20分にタクシーを呼んでもらうことにして早く寝ることにしました。


バシリキ港のチケット売り場


ろばの乗ったおばあさん


ニドリの入り江


ホテルのベランダから

第五回ギリシャ旅行(3) イオニア諸島のケルキア島

2007年11月11日 15時01分47秒 | Weblog

ケルキア港に着くと、観光案内所を探しましたが港の近くにはないようでした。仕方なく港の近くのホテルを片っ端からあたってみることにしました。最初に見つけたアトランテックホテルで交渉してみると、空き部屋があると言うことでした。確かお風呂もあると言う返事なのでここに泊まることにしました。数階建ての大きな立派な構えのホテルにもかかわらず部屋に入ってみてお風呂がないのに驚いて、部屋の変更をレセプションに願い出ました。このホテルは全部屋シャワーのみだそうです。日暮れに部屋が取れただけでも幸運だったかと思ってあきらめることにしました。夜近くの タベルナにでかけました。数人の大学生のグループと船員風の人や地元の人が来ていました。日本人は珍しいのか頼んだ写真撮影にも笑顔で応じてくれました。行き帰りきれいに照明された、停泊する大型船を見ました。まだ動いている小型の船もありました。


遠ざかるイグメニッツァ港



イオニア海



ケルキア港近くのタベルナ



停泊中の照明された大型船 


2007/10/27(土)
 ケルキア島
 HOTEL ASTRON 泊
 
アトランテックホテルで朝食をすませたあと早朝に宿を出ました。予定のドライブ前に今夜の宿探しをしておかなけれいけません。シャワーだけのホテルはいただけないので、まず今夜のホテルを探すことにしました。先ずは、港でもらったパンフレットにAクラスのホテルの先頭に書かれてあったアストロンホテルを目指します。行く手のすぐ先にアストロンホテルがあるのに一方通行で行き着けません。仕方がないので裏通りに入り込むと建て込んだ建物に行く手を阻まれて動きが取れないで困っていました。すると一人の中年の男の人が車に同乗して案内をかって出てくれました。幾つもの路地をすりぬけ裏側の大通りに出て一方通行の反対側からホテルの正面へたどりがつくことができました。近くに奥さんが銀製の装飾品のお店を構えているのでぜひ寄って行ってコーヒーでも飲んでいくようにすすめられましたが早くドライブに出発したいので、今晩訪問することを約束して別れました。ホテルはさすがAランクだけあって部屋は立派でお風呂もあるのでほっとしました。難を言えば、お風呂の栓はあるのですが洗面台に栓がないのでお風呂の栓を使って洗面器に水をためようとすると栓の大きさが合いません。排水の穴に栓を乗せて栓が動かないようにその上に重しを乗せて水をためて小物の洗濯をしました。ギリシャではトイレやお風呂や部屋の鍵やいろんなところに何がしかの問題があるのが普通なのであえて苦情は申し出ないで、すますこととしました。夫と「今度のギリシャ旅行にはいろいろなサイズの栓を持ってきた方がよさそうね」と話し合いました。


アストロンホテルの前は一方交通




島の北部へのドライブ。
日本人には馴染みの薄いイオニア諸島も欧米人には人気の観光スポットのようです。外国人(マイク・ジェラード)の書いた翻訳の観光案内書にあったおすすめのケルキア島の北部へのドライブコース。北部の東側はパンドラクラート山の占められているので、北部の西半分の内陸部の山側と西海岸を一巡りするコースです。日本でインターネットで調べた天気予報では晴れマークの日は少なく、雷と曇りマークの日が多く、気温も15度前後だったので特に寒がりやの私は寒さ対策ばかり考えていました。ところがこの日は快晴です。まるで真夏の陽気です。夫はセーターを脱いでランニングシャツ姿になっていました。見晴らしの良いカファテリアに行き着き、お昼の休憩をとることにしました。すぐ傍の砂浜は格好の海水浴場です。10月も末だというのに海水浴を楽しんでいる人がいました。下着の上に薄いスカーフを上手にまいて、おしゃれな海水着に仕上げている若い女の人もいました。午後は海岸線をはなれて山側への道をとりました。案内書のおすすめの島内屈指の景勝地トルンベタス峠へ向かいました。山の斜面にめぐらされた自動車道ではいたるところから西海岸やイオニア海を見下ろすことができました。おだやかなに横たわる海のかなたに島影やつき出た半島が形を変えながら出たりかくれたりしていました。どこかから虫の声がきこえてきたり、たわわに咲き乱れる花々にも目を奪われました。花や自然が人一倍好きな夫はサボテンの花をみつけて、そのまえで記念撮影の注文です。ランニングシャツ姿では花に失礼ではとは私だけの感覚でしょうか。


海岸のカフェテリア



海水浴をする観光客



山道から見下ろす西海岸



日向ぼっこをする猫



花をつけたサボテンの前でランニング姿で立つ夫



険しい岩肌の山



ケルキアの友達に会いに行く
夜、今朝、アストロンホテルへの案内してくれて、今晩の再開を約束していた親切な男の人に会いに行くことにしました。住所のメモ書きをたよりに奥さんのお店をどうにか見つけることができました。お店はしまっていました。土曜日なので閉まっているお店が多いようでした。やっと探し当てたのにガッカリして、そこを後にしようとしたところへ、彼がむこうからやってくるのが見えました。再会を喜びあって握手をかわしあと、コーヒーを飲んでいくようにとすすめられましたが立ち話の後、お礼に日本のお土産の折り紙と舞妓さんの絵柄のコースターなどをあげて、日本から写真を送る約束をして別れました。


私たちの自動車に乗って案内をしてくれた人


タベルナで
土曜日のせいか、夕食のできそうな、開いているお店はほとんどありませんでした。開いている数少ないお店の一つに入りました。ウエイターは私たちを見て一目で日本人と分かったようです。人懐っこい笑顔で迎えてくれました。船越を知っているかというので、ケルキアにまで名前の知られた船越さんとはだれだろうと考えあぐねているとさすが物知りの夫です。「K1の船越?」 大アタリでした。彼とは暫しギリシャ語の会話練習で盛り上がりました。 船乗りとして日本へ行ったことがあって、東京、横浜、神戸などと日本の港町をあげる中・高年のギリシャ人にはよく出くわしますが、若い人で、しかも、私にも分からないような有名人?の名前をあげる人は少ないように思います。ぜひ船越さんには国際親善のため頑張って欲しいものです。

第五回ギリシャ旅行(2) テッサロニキからイオニア諸島へ向かう 

2007年11月11日 13時50分03秒 | Weblog

2007/10/26(金)
 ケルキア島
 HOTEL ATOLANTIS 泊

朝早くホテルを出ました。テッサロニキの街の中心部は車が多く、車は日本と反対で右側通行です。運転には自信のある夫にとっても、ここでの運転は大変です。前日の交渉で、9時出発を8時出発に確約しておいたのは幸いでした。ラッシュアワーの前に街を出ることができました。ギリシャ北部を横断し、イオニア諸島の最北のケルキア島へ渡るフェリーの発着する港のあるイグメニッツァに向かうための高速道路は建設中でほぼ3分の2は完成していますが、途中未完成部分があり、その間、わき道に出て再び本道にはいりなおさなければならないのですが、本道に戻りそこなった私たちは、わき道ばかりをイグメニッツァまで行くことになってしまいました。幸か不幸か、旅を急ぐ必要のなかった私たちにはこのことが返って、良い選択でした。イグメニッツァ港からは頻回にしかも夜遅くまでケルキアへ船が出ています。急ぐ必要はありません。高速道路を飛ばしていくよりも途中の街々に立ち寄りながら、移り変わる景色を存分に楽しむことができました。ヒンドス山脈を越える峠からはアルバニアの雪山をみることができました。所々に見える谷底の村の色鮮やかな家々のたたずまい、いくつもいくつも通り過ぎる小さな十字架をかかげる御堂、突如現れる羊の群れ、色鮮やかな木々の紅葉、数は少ないがほっと一休みできる喫茶店風の飲食店など高速道路では味わえないものでした。私たちの昼食をとった小さな飲食店には、私は“ドイツ語を話します”と書かれた看板がありました。ギリシャ語よりはドイツ語が得意な私たちは早速ドイツ語で話しました。近くに美しい湖のあるイオアンナの街に立ち寄りました。街を歩くと日本人は珍しいのか人々の視線が私たちに向けられているのを感じました。

ケルキア島の対岸の街、イグメニッツァにあるイグメニッツァ港に着いたのは4時ごろでした。港の近くでカーフェリーの乗り場を聞いて駆けつけるとすぐにあの船に乗るようにと指図され切符も買わずに乗り込みました。私たちは船員に大勢の中から見つけ出されて、船長室へ案内されました。そこで船長さん自ら、切符を売ってくれました。どうやら彼らは異国からやってきた珍客の私たちを特別に優遇して切符も無しに、今まさにで出ようとしている船に乗せてくれたようでした。おかげで、1時間45分後にはケルキア島のケルキア港に着くことができました。


私たちのレンタルした自動車 韓国製のチュンダイ



ギリシャ北部を横断する自動車道



ギリシャの北に隣接するアルバニアの雪山



道路わきにいばしば現れる御堂



突如、行く手に現れた羊の群れ



谷底の色鮮やかな家々



ギリシャの雪山



イオアンナの近くの湖

第五回ギリシャ旅行(1) テッサロニキ

2007年11月11日 10時42分58秒 | Weblog


準備
第五回目の今回は、過去4回のギリシャ旅行で行き残した、北部ギリシャとイオニア海に散らばるイオニア諸島へ行くことにしました。ツアー旅行にはほとんど組まれていない地域で観光案内書にもほとんど書かれていません。綿密な旅行計画を立て、行き帰りの飛行機のチケットと、最初の宿泊地テッサロニキでの2泊と最後の宿泊地アテネでの2泊のホテルの予約を旅行会社にとってもらいました。中5泊を予定していたイオニア諸島での宿泊は、日本での予約を旅行会社にしてもらえないので、現地でホテルを探すことにしました。テッサロニキからイオニア諸島に移動する交通手段が少ないので、テッサロニキでレンタカーを3日間借り、レフカダ島で返却することも旅行会社を通して、予約してもらっておきました。

2007/10/23(火)
名古屋(中部国際空港)/ ドバイ(ドバイ)
EMIRATES AIRLINES (エミレーツ航空)EK315 22:45 – 04:45 (10/24着)
2007/10/24(水)
ドバイ(ドバイ)/ アテネ(エレフテリオス・ヴェニゼス) 
EMIRATES AIRLINES (エミレーツ航空)EK105 09:35 – 13:30
アテネ(エレフテリオス・ヴェニゼス)/ テッサロニキ(THESSALONIKI ARPT)
OLYMPIC AIRLINES (オリンピック航空)OA169      15:40 – 16:35

旅立ち
中部名古屋空港より、エミレーツ航空で夜10時45部発のドバイ行きに乗り、ドバイで乗り継いでアテネに午後1時30部に着き、最初の目的地テッサロニキに夕方4時30分に着き、空港での手続きのあと、テッサロニキ空港からタクシーで約20分で予約してあったテッサロニキのカプシスホテルに予定通り6時ごろチェックインすることが出来ました。

 CAPSIS2泊2007/10/24(水)
テッサロニキでの一日目
カプシスホテルに決めたのは第二回目のギリシャ旅行の際、わたしたちの泊まったクレタ島の中心都市イラクレオンの中心地のあったイラクリオンの最高級ホテル、アストリア・カプシスホテルの印象がとても良かったからです。テッサロニキの街は、さすがアテネに次ぐギリシャ第二の都市だけあって、大都会の雰囲気です。私たちの宿泊したホテルは街の中心部にあって、ヨーロッパ風の立派な建物です。お風呂も総大理石造りで豪華なものでした。ただひとつ困ったことと言えば、これはクレタ島のイラクリオンのアストリア・カプシスホテルでも経験したことですがお湯の使い方がまったくわかりません。まるで飛行機の操縦席の前にある機械のようで、ひねったり押したりするつまみが10ぐらいもあって、こちらをひねるとこちらから、あちらをひねるとあちらから、思いがけない方向から水やお湯が飛び出してくるのです。全身ずぶぬれになって悪戦苦闘の後どうにか、バスタブにお湯ためることができました。夜具は快適で、長旅の疲れをとることができました。

ホテルに着いたのは夕方6時過ぎでした。ホテルで一休みし、疲れをとったあと、夕食のため街に出かけることにしました。ホテルはテッサロニキの駅の近くにあって、繁華街のそぞろ歩きにも便利な場所にありました。ホテルでギリシャ音楽を聴きながら食事をとれるタベルナ(居酒屋風の店)を教えてもらい、地図をたよりに目的の店に行き着きましたが、あいにくの定休日でした。3人のお巡りさんが、街角で立ち止まって、なにやら話し合っているのをみつけて、「日本から来たのだけど、ギリシャの音楽が好きなので、ギリシャ音楽を聞かせてくれるタベルナがこの辺にないかしら」ときくと親切に教えてくれました。「店の名前は」と聞くと「ポレス」だと答えてくれました。教えられた場所の近くで、通行人の一人に「ポレスというタベルナを知りませんか」と聞くとその人は「ホレス?」とけげんな顔をしていました。「ギリシャ音楽を聞かせてくれるタベルナです」というと「それなら、その辺にたくさんあるよ」と指を差して教えてくれました。ギリシャ語のわかる夫と私は、はっと気がついて大笑いです。「ポレス」とはギリシャ語で「たくさん」という意味だったのです。タベルナは女性名詞だから複数はポレスとなるのに気がついたわけです。つまり最初に聞いたお巡りさんは「それならたくさんあるよ」といったのを私たちは「ポレス」を店の名前だと思ってしまったのでした。

望み通りの一軒のタベルナに入りました。ほんの20人ぐらい入れるくらいの店には2人ずれの2組と8人ずれの1組と私たち2人。全部で12人でした。夫はギリシャ音楽のCDを機会あるごとに買い集めていて、50枚ぐらいもっています。二人のミュージシャンがブズーキを奏でながら次々に歌うどの歌も家で、あるいはドライブ中の車の中で聴かせてもらっているなじみのメロディーばかりです。 夫が中でもお気に入りの「フランゴシリアーニ」と「曇り空の日曜日」をリクエストすると二人のミュージシャンは快く応じてくれました。2曲が始まると地元のお客たちにも大うけでした。特に8人の中年女性のグループの人たちは手拍子を取って肩をゆすらせ、中には立ち上がって踊りだす人もいました。夫は赤ワイン。私は白ワイン。程よくワインと音楽に酔って、ギリシャの人々とも溶け合うことのできた楽しい宵でした。





タベルナで演奏する二人のミュージシャン



音楽に合わせて踊りだすお客


2007/10/25(木)
テッサロニキでの二日目
ホテルでバイキング方式の朝食をすませた後、テッサロニキ観光のための観光バスを調べるために観光案内所へ行くことにしました。街の地図みながら、途中で何度か道行く人にたずねながら、観光案内所に着いたのは11時ごろでした。テッサロニキ発の半日観光バスはないかと聞くと、観光バスは一切ないとのことでした。近くの観光名所へは路線バスがたくさん出ているからそれを利用すると良いといわれましたが時間の余裕がないので市内を散策することにしました。翌朝早く出発できるようにレンタカー会社に行って、日本でしておいた予約が間違いなく伝わっているか確認しておくことにしました。住所と地図をたよりにレンタカー会社を探し当てることができました。予約では10月25日午前8時から10月27日よる午後8時までと契約書に明記されているのに、午前9時に開店するので9時にならないとレンタルできないというのです。契約書を振りかざして一悶着の後、8時に出発の了承を得ることができました。翌日のドライブを控えていたので、夕方早くホテルに戻りました。晩御飯にいただいた日本から持っていったインスタントのお粥と缶詰が、超美味でした。



ホテルのバイキング方式の朝食



テッサロニキの街並み



テッサロニキのスーパーマーケットの前の広場



テッサロニキのメインストリーの花時計