東雲号(しののめごう)

わが東雲号の出帆。さまよえる東雲号が難破するまでの軌跡を追って。

カッムチャッカのガイドさん

2007年09月16日 11時16分18秒 | Weblog
カムチャッカのガイド
アンナさんのこと

ガイドのアンナさんが、カムチャッカ空港で私たちを出迎えてくれました。初対面の挨拶が終わって、夫は、アンナ・クチメンコさんという名前から、「ウクライナ風の名前ですね。ウクライナの出身でしょう」といいますと、アンナさんは「よくご存知ですね」と驚いた様子でした。その後、大いに、話が弾みました。以前、カムチャッカは僻地のため給料もよく、ウクライナよりも早く年金生活が保障されるという特点があったため、両親は移住を決意して移り住んだそうです。4歳の女の子は、毎夏、親類のいるウクライナへ行かせて、おばさんの世話になっているそうです。娘さんも黒海で海水浴が出来るので、ウクライナは大好きだそうです。ご主人は船員さんで遠方へ航海中で留守なので、この時期、独り身のアンナさんは仕事に打ち込めるのでありがたいそうです。学生時代一年間、山口県の大学に留学していたそうです。勉強家でカムチャッカの歴史、地理、動物、植物、鉱物のことに精通していて、最高級のガイドさんだと思いました。普段は経理の仕事をしていて夏の間は、休暇を取ってガイドの仕事をしているそうです。「休暇の間も休まないで、お仕事では大変ですね」というと、「この仕事は旅行者の人たちと一緒に、カムチャッカのあちこちを旅行が出来て楽しいので、お休みがなくても大丈夫」だそうです。私たちの次には、寝袋をもって、モスクワのお金持ちの9人の釣り客をつれて、ヘリコプターで宿泊施設のない奥地の川辺へ行き、3泊4日のキャンプ生活しながら釣りをするする企画のツアーの案内をするそうです。今度のモスクワ人のグループの人たちは、熊に襲われた場合の対策を、すごく心配して、うるさく質問してくるので旅行に先立っての説明が大変だったそうです。以前にも同じようなツアーで日本人の釣り客を案内したときに、実際に熊に出会ったそうです。そのときの日本人のグループの人たちの反応は、怖がるどころか、喜んで熊の写真を撮っていたそうです。アンナさんは両方のグループの違いを面白おかしく話してくれました。そんなわけで、同行の男のガイドさんは熊に襲われたときの緊急用に猟銃を持参するそうです。


ガイドのアンナさんとドライバーのアンドレイさん



下の、2枚の写真は、アンナさんによる、ご自慢の写真です。旅行中に迎えた私の誕生日にアンナさんから贈られたものです。写真の腕もさることながら、カムチャッカ中を頻繁に旅行しているアンナさんだからこそ、こんなシャッターチャンスにも恵まれたのでしょう。



小熊(アンナさん撮影)



川を渡る鹿の母子(アンナさん撮影)

カムチャッカを後にして

2007年09月12日 22時49分52秒 | Weblog
カムチャッカを後にして、ウラジオストクへ
いよいよ明日は日本へ

9月8日(土)
ペテロパブロフスクカムチャツキー 発 9:50
ウラジオストク 着 11:00

ウラジオストク市内観光
ウラジオストク空港で迎えてくれたのは現地ガイドのナターシャさんとドライバーのミーシャさんでした。ホテルに行く前にウラジオストクの市内観光の案内をしてもらいました。ウラジオストクは極東最大の町で、人口も60万以上と多く、シベリア鉄道の始発駅もあり、ウラジオストク空港、ウラジオストク港も市内にあって、国の内外の交通の拠点ともなっています。日本に近いにもかかわらず、日本との関係は、カムチャッカの方が強いように思いました。進出している企業も多くないようでした。ウラジオストクではレンタルした携帯電話も電話としての機能だけで、Iモードの接続は出来ませんでした。カムチャッカでは携帯電話のIモード接続を使って見ていた、日本のニュースもウラジオストクでは見ることが出来ませんでした。カムチャッカでは出来た、携帯電話でE-mailも送ることも出来ませんでした。日本からの情報は皆無でしたので、台風のニュースも大相撲が始まっていることも、プロ野球の順位が入れかわっていることも、日本へ帰ってはじめて知りました。ギリシャやドイツ、モスクワでは日本を身近に感じながら旅行が出来たのに比べると、飛行機でたった1時間で着くウラジオストクをより遠く感じたました。


ウラジオストク駅 シベリア鉄道始発駅のプラットホーム


ウラジオストク駅に隣接したウラジオストク港


ウラジオストク港につながる金角湾
(イスタンブールの金角湾によくにています)


坂道の多い町 ウラジオストク 
ウラジオストクは坂道の多い町です。大回りの自動車道を避けて、下の写真にある、短い距離のケーブルカーを学生たちが良く利用するそうです。急勾配の起伏の多い自動車道では冬の雪道でなくても、自転車、モーターバイク、車椅子などは不向きなようです。道行くお年寄りの姿もあまり見かけないようです。ガイドのナターシャさんの説明ではお年よりは郊外の別荘、ダーチャに住んでいる人が多いそうです。またウラジオストクには大学が多くて14もあるのに、卒業したらチャンスを求めて、モスクワに行ってしまう若者が多いのはどこでも同じでしょうか。ギリシャでもアテネに出る若者が多いことが、問題になっているようです。日本でも都会へ出る若い女性が多く、田舎に残ろうとする若者のお嫁さんのなり手がないのが深刻なようですからね。


正面の建物はケーブルカーの駅

週末にめぐり合わせて
ウラジオストクの市内観光の後、ヴェルサイユホテルにチェックインしました。今日は土曜日で結婚式があるので、ホテルのレストランは一般客は入れてもらえないと知らされました。もうロシア料理にも飽きたので、24時間開いているスーパーでパンと果物と飲み物で夕食を済ませることにしました。夕食のための買い物をした後、ホテルへの帰り道、私たちと同じヴェルサイユホテルを目指して足早にホテルに向かう日本人の一行が、私たちを追い抜いて行きました。ホテルに入るとその人たちがレセプションの人たちと通訳を通して話をしていました。せっかくヴェルサイユホテルのレストランで夕食をとることを楽しみにしていたのに結婚式のために、ことわられて途方にくれているところでした。今日は、町のいたるところで結婚式を見かけました。日本のように特別の日(大安や友引)だからではなく、週末にはいつでも結婚式が多いそうです。そう言えば、昨日も金曜日の夜だったので、結婚式に邪魔されてしまっていたこと思い出しました。アンナさんとのお別れにアンナさんとアンナさんのお友達を夕食に招待したのです。パラトゥンカホテルで一番良い「星の空」というレストランで、お別れの宴を持つつもりでした。ところが前日に予約をしてあったのに、結婚式が入ったので「星の空」には入れてもらえないというのです。しかたなく殺風景なホテルのバーで夕食をとるはめになりました。「星の空」は丸い天井に、夜空の星をちりばめたようなイージに仕上げ、カーテンや壁もブルーを基調にした、豪華な雰囲気の漂ったロマンチックな空間を作り出しているレストランなので、素敵な夕べを演出できると期待していただけにガッカリさせられたことを思い出しました。夜は夜中の1時か2時ごろまでドンちゃん騒ぎが続いて眠れない夜を過ごしたことも思い出されました。泣く子と地頭には勝てぬの諺通り、結婚式が相手では、黙って引き下がるより仕方がないようです。一年後には離婚するカップルは50%だそうなのにですよ。


ウラジオストク/ヴェルサイユホテル


9月9日(日)
ウラジオストク 発 14:50
新潟 着 14:20

最後の買い物のため街に出る
午前中、時間があったので、夫の大好きなロシアの有名な詩人の詩を歌にしたものやロマンスのCDを音楽の店で求めました。問題はCDのケースに歌の歌詞が入ってないことでした。歌詞の書いた本を探すことにしました。店員さんに聞くと、女の店員さんが雨の降っている中を傘もささずに近くまで連れて行ってくれました。その店で、目的の本を手に入れることが出来た夫は大満足のようでした。

ダスビダニア、ロシア
午後、出発の飛行機に乗る予定の私たちを、空港まで送ってくれた現地ガイドのピタリ君は韓国人でした。私たちとそっくりな顔立ちで、親しみがもてました。昨日のナターシャさんと同じ大学で日本語を学んだそうです。ナターシャさんは学生時代、函館に10日ぐらいホームステイをしただけだそうですし、ピタリくんは日本へ行ったことがないというのに二人とも日本語が達者なのには感心しました。大学の日本語教育が良いのでしょうか。私たちがチェックイン、セキュリティチェック、出国審査を無事通過できるか、柵の向こうから見守ってくれているピタリ君を見つけて、指で丸を作って、OKのサインを出すと人懐っこい笑顔を返してくれました。


新潟から名古屋へ
新潟 発 19:50
名古屋 (小牧)着 20:10
新潟空港からスーツケースを自宅に送る手続きを終えたあと、待ち時間が十分にあったのでタクシーで新潟駅方面に出て、お寿司を食べることにしました。時間が早いのであいているお寿司屋さんが少ないのではとタクシーの運転手さんが携帯電話で、開いているお寿司屋さんを探してくれました。運よく、駅前のお寿司屋さんが開いていたので久しぶりにおいしいお寿司をいただきました。






ウラジオストクとカムチャッカ 7日間の旅

2007年09月12日 19時53分40秒 | Weblog
夫と私にとって、前回は始めてのロシア旅行でしたので、「心ゆく旅」(黄金の輪、ロシア世界遺産の古都とモスクワ、サンクトペテルブルグ 10日間)(7月27日~8月6日) と銘打ったルックJTBの企画旅行に参加しました。モスクワ、スズダリ、サンクトペテルブルグとロシアの最も文化水準の高い都市でしたのでロシアの文化遺産の豪華さには、驚くばかりでした。面倒な手続きも旅行会社まかせでしたので、気楽な旅でした。老い先短い私たちには、旅を急ぐ理由がありました。これまで長い年月、勉強してきたロシア語も活用編に突入した今、今度はカムチャッカに行こうと思いつたのです。私たちを道中ずっと案内してくれていたガイドさんが旅行の1週間後にカムチャッカに行くことを知って、その旅行中に、私たちも連れて行って欲しいと頼み込んでみました。ガイドさんは旅行中にもかかわらず、旅行先から、ファックスで会社と連絡を取って、申し込みが可能かどうか問い合わせてくれました。ガイドさんの親身の努力にもかかわらず、その旅行は定員に達したので締め切られたということでしたので、あきらめざるを得ませんでした。各旅行会社のロシア旅行プランが軒並みに定員不足で催行取り消しだったので、少し意外でした。

帰国後、何度かお世話になったことのある名古支店の旅行会社のスタッフの方にカムチャッカ行きの企画はないか調べてもらいましたが、適当なものは見つかりませんでした。インターネットでロシア旅行の計画を相談してもらえる会社を探し出して、何度もメールのやり取りをして、カムチャッカ旅行の計画を完成させました。ロシアは他のヨーロッパ諸国とちがってビザが必要です。ビザ取得のために往復の飛行機便の確約、現地の受け入れ先の確約がなければなりません。旅行中勝手に宿泊地を変えたりすることは許されません。旅行日数も申請した通りでなければならないのです。ホテルや空港で、宿泊バウチャー、パスポート、ビザ、外国人滞在登録、出入国記録カードといろいろな証明書の提示が求められます。それを聞きなれないロシア語で請求されるとパニックになってしまいます。パック旅行のありがたさが分かります。

準備
はじめてロシアトラベルビュローと連絡を取ったのが8月12日(日)ですから、計画から出発まで3週間でした。カムチャッカ旅行の計画を完成させるために、メールのやり取りを送信17回、受信15回、直接電話で2度3度、相談しました。航空券とビザが手元に届いたのは8月30日(木)、出発のわずか4日前でした。翌日、8月31日(金)携帯電話のレンタルをし、スーツケースを宅配便で関空へ送り、ドルの準備をした段階で、やっと準備完了です。

ロシアは広大な国
カムチャッカはロシアの僻地です。ロシアは大きいだけにいろいろな面で格差があります。その内の一つが地域の格差です。ロシアは広大な地域で同じ国の中で、時差が9時間もあります。夏時間では、日本からカムチャッカへ行くときには時計の針を4時間進める必要がありますが、モスクワやサンクトペテルブルグへ飛ぶと反対に6時間遅らせなければならないのです。同じ国の中でこんなに時間差があっては不便ではないか思わずにはいられませんが、長い間の習慣でうまく対処がなされているようです。たとえばウラジバストークからモスクワまで8日間かかるシベリア鉄道の時刻表は、途中のすべての駅でモスクワ時間で表示がされているそうです。今回のカムチャッカ旅行でも乗り継ぎのウラジオストクで2時間進め(日本より西にあるウラジオストクで2時間進めるのはおかしな感じですが・・・)、カムチャッカでまた2時間進めることが必要でした。時差と同じく文化水準にも大きな違いがありました。まだ道路は悪路が多かったり、観光地にもトイレがなかったり、廃棄物の処理施設が不十分だったり、住民の生活水準が低かったり問題は山積だそうです。

通貨
日本では、円やドルをロシアのルーブルに両替できないのです。ルーブルを持ち出すことも持ち込むことも出来ないのです。私たちは現地で両替がしやすいということでドルを用意しました。ドルと円とルーブルの換算をしながら支払いをしなければならず、老化現象著しい私たち老人には大変です。これにはシャープの小型の通貨換算の項目のついた電子辞書が大変便利でした。


プーチン人気
それでもプーチン大統領はカムチャッカでも人気があるようでした。私たちの旅行が、プーチン大統領がカムチャッカを訪問する日に重なり、いつもにまして警戒態勢が取られていたようでした。3年前にもプーチン大統領はカムチャッカを訪問したそうです。そのときにはプーチン大統領の視察の経路の道路がよくなったそうです。私たちをカムチャッカで案内してくれたガイドさんはプーチンは賢いから国政は安心してプーチンに任せられるといっていました。広い国土をくまなく視察しているのでしょうか。国民のために、国家のために努力している姿が受け入れられているようです。今度、2012年にソチで冬のオリンピックの開催地に選ばれたため、ウラジオストクではプーチンのプランを支持しようと書かれた大きな看板が掲げられていました。




2012の冬のオリンピックがソチに決まったことを受けて
ヴラジバストクの町に掲げられた看板

9月3日(月)
大阪(関空)発 13:20
ウラジオストク 着 17:20

出発の日
9月3日(月)の出発の日を迎えました。名古屋在住の私たちは、新幹線とJR特急はるかに乗り継いで関空に出発の約2時間前に到着しました。空港に着くとすぐに宅配便のサービスカウンターへ行き3日前に配送を依頼しておいたスーツケースを受け取り、エックス線検査を受け、チェックイン、手荷物検査、出国審査、搭乗待合室、搭乗ゲートと進みました。

ウラジオストクに到着
飛行機はほぼ定刻に出発しました。約二時間の飛行時間で2時間時差を修正し(2時間進める)、ウラジオストクに着いたのが夕方5時半ごろで、すでに空港内の銀行は閉店していました。ドルをルーブルに両替できないまま、ホテルにチェックインしました。ホテルの宿泊費は日本で支払ってありましたが、夕食は別払いです。ホテルの受付嬢はルーブルで支払わなければだめだといいます。一ルーブルの持ち合わせもなく困ってしまいましたが、幸いクレッジトカードが使えたので夕食にありつけました。

ウラジオストク空港ホテル/ヴェニスホテル泊
           

9月4日(火)
ウラジオストク 発 10:30
ペテロパブロフスクカムチャツキー 着 15:35

カムチャッカに向かう
ドルをルーブルに両替するために、ウラジオストクの国内線ターミーナルに、朝、早めに向かいました。警備をしている警察官に両替所はどこにあるのか聞いたところ、親切に案内してくれるそうなので、ついていくと白タクの運転手のところでした。ほかに両替するところがなさそうだし、警察官の紹介だから、その人に両替を頼みました。お金が手に入って人心地がつき安心しました。ペテロパブロフスクカムチャツキー行きのチェックインカウンターを教えてくれたのも先ほどのお巡りさんでした。私たちは良い鴨だったのかと変な気持ちでした。ロシアにルーブルが持ち込めないのだったら24時間対応できる両替所を設けるべきではないでしょうか。ペテロパブロフスクカムチャツキー行きの飛行機は50人乗り程度の小型飛行機で数人の日本人のほかはほとんどがカムチャッカ人のようでした。座席は満席には程遠く、空席が目立ちました。関空からの同行者が多く、日本でたくさんの買い物をしてきた人が多くいました。スーパーで買ったようなティシュペーパーを大量に透明なビニール袋に入れたものや電気製品のダンボール箱を機内預けにしている人を多くみかけました。飛行機は、ほぼ定刻に出発し、順調に飛行し、ペテロパブロフスクカムチャツキーに近付いて、きれいな富士山のような形の山、まず、ビュルチンスキー火山が、ついでアバチャ湾の向こうにコリャック火山が視界に入ってきました。山頂は雪に覆われていました。後で聞いたところによると、山頂には、3日前に新しい雪が降ったそうでした。到着ロビーを出ると出口のところで現地のガイドさんが「MR/MS KATO」のボードを持って待っていました。荷物の引換券を引き取って、ドライバーのアンドレーさんが荷物を受け取りに行ってくれました。ガイドのアンナさんは、明るい、気のよさそう人で、カムチャッカ滞在中、同じガイドさんとドライバーさんが同行してくれる約束です。二人にホテルまで連れて行ってもらい、ホテルのチェックインを手伝ってもらいました。ホテルでアンナさんにおすすめの散歩道の略図を書いてもらい、明日のスケジュールの約束をして、わかれました。ちょっと休んでから散歩に出かけることにして、しばらくベットに横になりました。カムチャッカでは、夜9時ごろでも明るいのです。ガイドさんの略図を頼りにアヴァチャ湾とレーニン広場と湖が、隣り合った場所に向かいました。道々、野犬がうろうろしていましたが、ガイドさんから、カムチャッカには狂犬病が発生しないと聞いていたので、多少は安心でした。


コリャック火山(飛行機から)



コリャック火山(飛行場から)



アヴァチャ湾の向こうに見えるビュルチンスキー火山



レーニン広場でローラースケートをする女の子



夜の散歩道 午後9時ごろ

ペテロパブロフスクカムチャツキー/アヴァチャホテル泊


9月5日(水)

ハイキング
ガイドさんの案内で、太平洋の海岸でフラワーウォチングと、海岸近くの森で、きのこ狩りをしました。ガイドのアンナさんは、動植物に関する知識の豊かな人。ドライバーのアンドレーさんは、きのこ狩りの名人。二人の案内で、楽しいハイキングを楽しむことが出来ました。お昼はお弁当を用意してくれていました。



クーラーボックスから取り出してお弁当の用意



蟻塚


ムハモール(ムハはハエ モールは死ぬで ハエが死ぬの意味)
 和名ベニテングダケ (毒キノコ)


パドアシーナビック(ヤマナラシの下の意味) 食用きのこ


太平洋の荒波 右上にかもめが羽を休める小島



太平洋の海岸の黒い砂浜
感触の良い、やわらかい砂だが今のところ利用価値がないそうです。

ペテロパブロフスクカムチャツキー/アヴァチャホテル泊


9月6日(木)

ペテロパブロフスクカムチャツキー観光
この日の午前中のスケジュールはアンドレーさんの運転とアンナさんの案内で、ペテロパブロフスクカムチャツキーの市内観光、礼拝堂見学、自由市場で買い物、スーパーマーケットで買い物、展望ポイントからアバチャ湾付近を見ること、郷土史博物館への入場です。何よりの収穫は、スーパーマーケットで、ATMを見つけたことです。ルーブル立ての金欠症にあえいでいた私たちは、キャッシュカードでルーブルを引き出すことができて、ほっとしました。お土産やら食べ物やらと、久しぶりに豪勢に買物をすることができました。礼拝堂では住民の60パーセントがロシア正教だということです。礼拝堂では、ロシア正教信者のアンナさんのまねをして、親指、人差し指、中指の先を物をつかむときのように合わせた右手の3本の指で、額、お腹、右肩、左肩の順にあてるロシア正教式の十字を切ってお祈りをしました。ロシア正教信者のイタリア人の友人のお土産に、礼拝堂の中の売店でイコンを買いました。


自由市場



自由市場の店先



ATMが設置されていたスーパーマーケット 



郷土史博物館の展示物



展望ポイントからの町の展望


ダーチャ訪問
午後はダーチャの訪問でした。ロシアではダーチャ(個人が郊外にもつセカンドハウス)をもっている人が一般的だそうです。私たちの訪問したダーチャの持ち主も都会のアパートのほかに、ご主人が建てたダーチャがあり、ご主人は自分の建てたダーチャが気に入って、寒い冬もダーチャに入りびたり、奥さんは雪のない季節だけ、ダーチャに住んで、庭に野菜や花を栽培し、雪の多い冬は都会のアパートに住んでいるそうです。ご主人の建てたダーチャも立派でしたが、奥さんの菜園や果樹園もよく手いれされていて感心させられました。私たちを、とりたての自家製の果物や野菜で作った、すばらしいお料理でもてなしてくれました。3匹の飼い犬が、空き地をかけずりまわって、じゃれあっていました。


ダーチャ ご主人が建てたセカンドハウス



ダーチャ 奥さんが作った菜園、家の横にはご主人の手作りの温室も


パラトゥンカ/ベルカムトゥールホテル泊

9月7日(金)

パルトゥンカ温泉
一日自由行動。パルトゥンカ温泉に宿を取る。パルトゥンカ温泉郷はペトロパブロスクカムチャツキーのアヴァチャ湾を隔てた反対側にあります。ペトロパブロスクカムチャツキーから車で30~40分の距離にあって、日帰りで温泉に入って帰ることの出来る距離です。医者の診断書がないと入れない医療施設を併せ持つものも多くあるようです。私たちの泊まったホテルの敷地内にもスプートニクという名前の加療・療養施設がありました。温泉はお風呂の温度程度のプールで水着を着けて入ります。


ベル カム トゥールホテル



ホテルへ向かう道



ホテル近くの高台から、ビュルチンスキー火山を撮る。手前の教会の金色の丸屋根が日を浴びてきれいでした。



ベルカムトゥールホテル近くの農家

おばあさんとロシア語で会話
ホテルのそばで、おばあさんが木苺を摘んでいました。話しかけると喜んで話し相手になってくれました。77歳で、画家だそうです。今日は、漁師の息子が運転するトヨタの車に乗って、パラトゥンカ温泉に日帰りで入浴に来たそうです。何十年も昔、汽船に乗って新潟港から、21日間も日本に旅行をしたことがあるそうです。東京にも行ったそうです。摘んだ木苺を全部あげるというので、ありがたくいただきました。お返しに日本のおせんべいやら秋刀魚の缶詰やらをもらってもらいました。おばあさんとの草むらでの長話のおかげで、しかもズボンでなくスカート姿で足が無防備だったせいで、私の足はまるで赤い水玉模様のように虫刺されのあとを作ってしまいました。2,3日はかゆくて、かゆくて夜も眠れませんでした。今も、記念の茶色に色あせた水玉模様がくっきりと膝頭から下の下腿部に残っています。これが消えるのに大分時間がかかりそうです。虫には注意するようにカムチャッカを訪れたことのある日本のJTBのガイドさんからも忠告をもらっていたのですが、夏も終わりがけの涼しいこの時期には大丈夫だらろうと、たかをくくっていたのは大間違いでした。ホテルの部屋には日本製の渦巻き型の蚊取り線香が置いてあったのも一興でした。


長話をしたおばあさん画家。

パラトゥンカ/ベルカムトゥールホテル泊



9月8日(土)
ペテロパブロフスクカムチャツキー 発 9:50
ウラジオストク 着 11:00

カムチャッカを後にしてウラジオストクに向かう
ガイドのアリョウシャさんは10年前釧路の大学へ、一年留学の経験者で日本語を日本人と同じように操れる人でした。朝早く空港へ送ってくれて、荷物の運搬を手伝ってくれました。道中、朝7時ごろの朝焼けのコリャック火山を写真に撮るために何度か車を止めてもらいました。


朝焼けのコリャック火山



コリャック火山の右に続くのはアヴァチャ火山



ペテロパブロフスクカムチャツキ空港からみたコリャック火山