東雲号(しののめごう)

わが東雲号の出帆。さまよえる東雲号が難破するまでの軌跡を追って。

瑠璃のかなたに

2010年07月02日 09時44分09秒 | Weblog
夫が旅立ってから2年3月が過ぎ去りました。東雲号は夫と二人で旅をした思い出の記録です。今、私は夫の敷いてくれた線路にのって一人で人生行路を歩み始めています。その記録は「瑠璃のかなたに」の方にしたためています。そちらもあわせてご覧いただけると有り難く思います。

瑠璃のかなたに:http://stivali.exblog.jp/

私の出版本

2009年09月22日 10時12分50秒 | Weblog
私の諸外国語周遊ツアー
http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_ss?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%8E%84%82%CC%8F%94%8AO%8D%91%8C%EA%8E%FC%97V%83c%83A%81%5B&x=15&y=19
以前、新風社から出していたものを新風社倒産のため、最近、文芸社から再版したものです。



ラピスラズリー
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%A9%E3%83%94%E3%82%B9-%E3%83%A9%E3%82%BA%E3%83%AA%E3%83%BC-%E5%8A%A0%E8%97%A4-%E7%91%A0%E7%92%83%E5%AD%90/dp/4434120646
夫が癌を宣告された後、夫が人生の幕をどのように下ろしたかを記したものです。

冬の札幌

2008年01月24日 14時55分23秒 | Weblog
1月22日から二泊三日の予定で北海道へ出発の日、生憎の悪天候で千歳空港は雪のため着陸が危ぶまれていました。場内放送では私たちの便は千歳空港ではなく、旭川空港か函館空港に向かう可能性が何度も繰り返されていました。札幌の気温の-5℃ぐらいは許容範囲と高をくくっていた私たちも旭川の今年の最低気温-33℃に耐えられるかどうか心配でした。散々驚かされたあと30分の遅れで千歳空港に着くことができました。北海道は11回目の私たちは今回は札幌市内を札幌市民のごとく散策することが目的でした。地下鉄すすきの駅近くのホテルに二連泊しました。スーツケースを宅急便で送っておいたので、身軽な旅でした。雪道を南北に走る駅前通りを大通公園の向かって歩いたり、途中東西に走る狸小路をぶらぶらしたり、地下鉄に乗ってみたりしました。帽子、襟巻き、耳当て、コート、靴などで完全武装の人たちに混じって、ミニスカートの若い女の子たちもたくさんいるのには驚かされました。近場の散歩のほかはホテルでのんびり過ごしました。夜はお馴染みの寿司屋へ二日連続でいきました。ここには私たちの顔見知りの寿司職人さんがいて、心地よいおしゃべりができ、北海道ならではの素材を味わうことのできるので私たちの旅程には欠かせないところになっています。昨年見つけたジャズのライブハウスにも今回も二日連続で立ち寄りました。二日も続けていったので帰りには私たちをバンドマスターが、戸口までお見送りをしてくれました。札幌のサラリーマンの夜の憩い場を垣間見た二日間でした。


札幌の街を行く市電



すすきの交差点近く 観覧車の見える風景



JR札幌駅 洞爺湖サミットの看板

ホテル瑠璃光

2008年01月12日 07時38分05秒 | Weblog
ホテル瑠璃光は行きつけの喫茶店に置かれてあった雑誌の記事で、たまたま見つけました。12月11日より二泊三日で訪れ、気に入ったのですぐに次回の予約をお願いしましたが、年末年始には空き部屋がなく、やっと予約を取れたのが1月9日よりの二泊三日でした。こうしてスケジュールを密に立てているのも、もう東雲号も沈没寸前だからです。毎回、もうこれが最後なるのではと思いながら旅行に出かけています。近くの温泉通りを小一時間かけて、ゆっくり散歩した以外はほとんど一日中、ホテルの部屋に、こもりっきりで過ごしました。



瑠璃光(ホテル)
名前に惹かれました。「瑠璃も玻璃も磨けば光る」です。



瑠璃光の庭
まだ雪はありませんでしたが、雪つりで雪害の備えは万全でした。



瑠璃光の部屋の窓から見える景色
私たちの5階の部屋からは山代温泉の全貌が見えました。



九谷焼の専門店
お茶碗、お湯のみ、コーヒーカップ、一輪挿し等どの店より、種類が豊富でした。
友達に一つ、私に一つ、お湯のみをいろいろある図柄のものの中から選びました。



温泉通りの茶店
店の入り口の置かれた水車が街並みに合って素敵でした。

馬籠

2007年12月31日 10時49分51秒 | Weblog
私たちの定番のドライブコースの一つは中津川の行きつけのお蕎麦屋さんでお昼にお蕎麦を食べた後、中山道の木曽路の馬籠を訪れ、古の情緒を今に伝える宿場町の街道を散策し、そこの坂道のほとんど上がりつめたところ辺りにある喫茶「かっぺ」で抹茶と栗饅頭を注文し、そこからの風景を見ながら一休みします。そのあと南木曽温泉で、日帰り入浴を楽しんだ後、帰路に着きます。木曽路は四季折々違った景色を楽しむことができ、一年のうち何度訪れても飽きることがありません。前回訪れたのは12月1日、今回は年の瀬も押し迫った12月29日と1月違いでしたが、木曽路はまるっきり別の顔をみせてくれました。


馬籠 12月1日




馬籠 12月1日




中津川のお蕎麦屋さん 12月29日 


馬籠 12月29日

第五回ギリシャ旅行(7) ケファロニア島からアテネ

2007年11月12日 18時52分45秒 | Weblog
2007/10/31(水)
KEHALONIA (ARGOSTOLI ARPT)/ アテネ(エレフテリオス・ヴェニゼス)
OLYMPIC AIRLINES (オリンピック航空)OA631 07:05 – 08:00
 ST. GEOGE LYCABETTUS BOUTIQUE HOTEL 泊

ケファロニア島からアテネへ
ケファロニア島の飛行場は、私たちの泊まったケファロニア島第一の都市、アルゴストーリーの郊外にあります。早朝7時5分の出発なので5時45分にタクシーを呼んでもらってありました。朝6時だと言うのに空港は大勢の人でざわついていました。飛行機はプロペラ機です。あいにく風が強く飛行機が木の葉のように風に飛ばされはしないかと心配でした。ギリシャにはエーゲ海にもイオニア海にもたくさんの島があり、天候が悪く、大型船も行き来が制限される冬の季節にも、飛行機は飛び続けているようなので、誰も心配などしていないようです。アテネに着いた飛行機は着陸の衝撃もなく、すべるように滑走路を走った後、ピタリと止まりました。見事な操縦技術だと感心しました。

セントジョージ・リカビトスホテル
セントジョージ・リカビトスホテルは昨年も泊まったホテルです。朝8時にアテネ港に着いた私たちは、まっすぐにタクシーでアテネの中心部にある標高277メートルのリカビトスの丘の斜面、コロナキ地区の坂の上にあるセントジョージ・リカビトスホテルに向かいました。ホテルのチェックインの時間にはまだ早すぎるので、ホテルで荷物を預けて、リカビトスの頂上へケーブルカーで登ろうと考えていました。ところが10時少し前にホテルに着くと、すぐにチェックインをしてもらうことができて、部屋に入ることができました。ホテルは、昨年泊まったときに比べて、改造されていて格段に立派に様変わりしていました。従業員の態度もすごく洗練されて、良くなっていました。朝が早かったので一休みしてからお昼ごろに出かけることにしました。寝心地の良いベットで、短時間ながら、熟睡することができました。夫がまだ眠っている間にホテルの美容院へ行って見ました。美容院の入り口は格子戸のような板張りの仕切りで飾られ、京都の風情がありました。男の中年の美容師さんで、日本で1年ぐらい修行したそうです。日本にいた頃のガールフレンドのヨウコさんと一緒にとった写真を見せてくれました。若い美男美女のカップルの写った写真の男性が目の前の叔父さんとはとても思えませんでした。ずいぶん昔の青春の一こまといったところでしょうか。身も心もリッフレッシュされ、夫と二人で、ケーブルカーでリカビトスの頂上を目指しました。ホテルはケーブルカーの発着上に近く、リカビトスへは昼と夜の2回登りました。昼にはアテネの全貌を見ることができ、夜はアテネ市のきれいな夜景がみられ、殊に照明されたアクロポリスがきれいでした。


リカビトスのケーブルカーの駅の近くで見かけたブーゲンビリア


リカビトス山頂よりの見晴らし


リカビトスから見たアテネの夜景

2007/11/1(木)
ROYAL OLYMPIC HOTEL 泊

ギリシャ最後の夜はアテネの繁華街、プラカ地区でギリシャの歌と踊りを見せてくれるタベルナで過ごす計画でした。日本で旅行会社を通してプラカ近くのホテルを探して予約してもらってあったのがローヤル・オリンピック・ホテルでした。ホテルはゼウス神殿の近くにありました。過去4回のアテネ訪問でゼウス神殿へはまだ一度もいってなかったので、午前中はホテルでのんびりし、午後ゼウス神殿へ向かいました。快晴です。写真撮影には好都合です。アテネの真ん中に広大な敷地を有したゼウス神殿からは神殿の柱と一緒にアクロポリスもハドリアヌスの門もリカビトスの頂上も写真の被写体にすることができました。ゼウス神殿とプラカ地区とは車の往来の激しいアテネの幹線道路、アマリアス通りによって隔てられています。ギリシャは車の方が歩行者よりも優遇されています。歩行者用の青信号の時間が極端に短いのです。一信号で渡りきれる人はほんの少しの人に限られます。たいていの人は道路の中央部で待って2信号でわたることを余儀なくされます。とてもお年寄りには道路の横断は難しいことです。野放しの犬が道路の横断に困って怒って吠え立てていました。野放しの犬が多いので、犬嫌いの私は出会うたびにびくびくしてしまいます。


ゼウスの神殿


ハドリアヌスの門

夜のプラカ
シエスタ(お昼ね)の習慣のあるアテネの夜は遅いので、プラカのタベルナの開店時間も午後9時ごろが普通のようです。私たちも昼の観光を終えた後、ホテルに帰ってシエスタをとることにしました。9時少し前にお馴染みになっていた、カロケリノスという歌と踊りを見せてくれるタベルナを訪ねました。いつも親切にしてくれる店の叔父さんに申し訳なさそうに、今日は予約でいっぱいなのでと断られてしまいました。仕方なく店を出たところに、同じような店の叔父さんが客引きに来ていて、その人についていきました。ホテルの紹介で、一度行ったことのあるリガスというタベルナでしたので、その店に入ることにしました。私たちが一番乗りで、良い席をあてがってもらえました。そうこうする内にお客でだんだん席が埋まってきました。グループで来てにぎやかなのは、中国人の団体、セルビア人の団体、イスラエル人の団体だそうです。個人客も大勢やってきました。日本の歌、セルビアの歌、中国の歌、イスラエルの歌、ロシアの歌と芸達者な演奏者たちです。お客さんを盛り上がらせたあとで、ギリシャの歌や踊りに移り、お客さんを舞台へ上げて一緒に踊ってもらう趣向もありました。歌と踊りとワインで陽気になっていた私たちでしたが、明日は帰国の日なので、後ろ髪を引かれる思いで、誰ひとり帰ろうとしない早い時間にその場をあとにしました。


タベルナ、リガスの歌と踊り

2007/11/2(金)
帰りは夕方の飛行機なので、荷物をホテルに預けておいて、ホテルの近くの地下鉄のアクロポリ駅からアテネの中心地シンタグマ駅まで地下鉄に乗っていきました。シンタグマはアテネの交通の中心地です。多くの人の往来があります。しばらくベンチに座って人の動きを見ていました。それからシンタグマの近くの目抜き通り、エルム通りとその近辺を散策に出かけました。エルム通りは週日にもかかわらず賑わっていました。エルム通りの裏通りのカフェエテリアで一休みしました。  


シンタグマの宝くじ売り


エルム通り


エルム通りで、焼き栗と焼きとうもろこしを売っているおばさん


エルム通りの裏道のクルーリ売り


エルム通りの裏通りのカフェテリアで、お昼休み過ごすグループ



帰りの飛行機
アテネ(エレフテリオス・ヴェニゼス)/ドバイ(ドバイ)
EMIRATES AIRLINES (エミレーツ航空)EK106 17:05 – 23:20
2007/11/3(土)
 ドバイ(ドバイ)/ 名古屋(中部国際空港)
EMIRATES AIRLINES (エミレーツ航空)EK314 02:45 – 16:50

第五回ギリシャ旅行(6) イタキ島からケファロニア島

2007年11月12日 13時58分02秒 | Weblog
2007/10/30 (火)
ケファロニア島
 MOUIKIS HOTEL 泊
 
イタキ島からケファロニア島
イタキ島のヴァティ港からケファロニア島のサミー港行きのカーフェリーは、一日一本で朝7時の出発です。イタキ島のピサエトス港から、一日もう一本午後4時にケファロニア島のサミー港行きが出ていますが、ケファロニア島での観光の時間がなくなるので、早朝に出るヴァティ港7時発のカーフェリーを選びました。船上からはまだ薄暗いヴァティの町の明かりと朝焼けの雲がきれいでした。雨もまばらに降っていて寒いので船室で過ごしました。行程一時間たらずだったので航行時間は瞬く間に過ぎました。ケファロニア島のサミー港について、一緒に下船した乗客もそれぞれが各方面に散らばって、私たちだけがとり残されてしまったころ、一台のタクシーがら近付いてきたので、とりあえずこれに乗ることにしました。


夜明けのイタキの港町、ヴァティ (午前6時ごろ)


女性タクシードライバーメンマさんのタクシーでドライブ
タクシーの運転手さんは女性でギリシャ人には、よくあるタイプのお相撲さんの小錦関も負けそうな、超肥満型の人でした。パンフレットであらかじめ目星をつけておいた、ケファロニ島第一の町、アルゴストーリのムイキスホテルへ行ってもらいました。ムイキスホテルでお風呂付のあき部屋があるそうなので、下見をさせて欲しいと頼むと、今、まだお掃除がしてないので、島の観光から帰ったころにはお部屋をきれいにしておいてあげるからといって見せてくれません。荷物を預けて、同じ女性運転手さんのタクシーでケファロニア島第二の町、リクスーリへ向かいました。リクスーリは細く長い、湾を隔てたアルゴストリーの対岸に位置します。イオニア諸島では産業がないせいがどこも海水は底が見えるほど澄んできれいでした。この湾も例にもれずきれいな海水でした。対岸のリクスーリの町が手に取るように見えてきれいでした。湾の海岸に沿って、湾をぐるりとまわり、リスクーリの町までは、2時間ぐらいで到着しました。陸路に比べて、目と鼻の先にあるアルゴストーリーまではカーフェリーでだと15分ぐらいで戻れます。メンマさんのおすすめで私たちはカーフェリーでホテルのあるアルゴストーリーへ戻ることにして、リスクーリ港で運転手のメンマさんと別れました。メンマさんは私たちと別れたあと、一人でケファロニア島の中央に横たわる山を超えて、サミーの港まで、戻らなければならないそうなのです。チップを大目に弾んで、お孫さんのお土産に日本の折り紙をプレゼントしました。何よりも良かったのはメンマさんの低速度の安全運転でした。


アルゴストーリとリクスーリを隔てる湾


タクシードライバー メンマさん


カーフェリーでリクスール港からアルゴストーリーへ
リクスーリ港で、そこから対岸のアルゴストーリーに出ているカーフェリーの時間を調べました。カーフェリーは30分ごとに出ていました。カフェテリヤで飲み物を飲んで一休みしたあと、次のカーフェリーに乗って、ホテルのあるアルゴストーリーへ向かいました。ムイキスホテルのレセプションの女の人には、なんだかだまされた思いでした。入ったお部屋は古臭く、お風呂なし、シャワーつき、寝具も汚い感じでした。洗濯物がたまっていたので、洗面所の洗面台の栓はちゃんとついていたことベランダに洗濯を干すためのロープが張られていたこと、ロープには洗濯バサミが取り付けってあったことを知って すべてを許せる思いがしました。洗濯物が風に翻っているのを見るのも気持ちのいいものでした。


リクスーリの港でみたサボテン

ケファロニア島第一の町、アルゴストーリ散策
ホテルのある通りの一区画向こうの通りがアルゴストーリの繁華街でした。繁華街を端から端までゆっくり歩いても2,30分もかからないくらいの距離です。大勢の人で賑わっていました。飲食店や衣料品店が立ち並んでいました。飲食店ではテーブルが道にせり出していて、そこに座った人々は道行く人を観察したり、おしゃべりしたりして楽しんでいるようでした。私たちも人々の注目を引いているようでした。


アルゴストーリのメイン通りで、長の立ち話をする男3人