東雲号(しののめごう)

わが東雲号の出帆。さまよえる東雲号が難破するまでの軌跡を追って。

第五回ギリシャ旅行(5) レフカダ島からイタキ島

2007年11月12日 11時19分38秒 | Weblog
 2007/10/29(月)
イタキ島

レフカダ島からイタキ島へ行くカーフェリーは、早朝7時5分発です。私たちは30分前にカーフェリーに乗り込みました。日本と違って外国では、乗りものが遅れて出発する場合が多いのですが、定刻前に出発したという経験はこれまでにありません。ところが定刻まで、まだ2,3分を残した時点で船は出てしまいました。高速バスにのった際に、バスの時計が不正確なことが良くあります。ギリシャ人は日本人ほど正確な時間にこだわらない国民性のためでしょうか。でも時間ぎりぎりに港に駆けつけた人が一日一本しかない船に、間に合わなっかたらどうするのでしょうか。しばらくそのような人がいないかと、港から目がはなせませんでした。レフカダ島の南端にあるバシリキ港からイサキ島の北部にあるフリケス港までは、地図の上では、たった2キロメートルの隔たりです。どうして2時間もかかるのか不思議に思っていました。傍を通りかかった船員さんの一人に「どうして、イタキ島まで2時間もかかるのですか」ときいてみました。船員さんの答えは、まず、ケファロニアの北端のフィスカルド港までが1時間、そのあとでイタキ島フリケス港までが1時間かかるというのでした。 私たちのことをこっそり見守って、くれていた乗客の一人が、小一時間たって、ケファロニア島で降りる準備をしながら、「あなたたちはここで降りてはいけませんよ」と忠告をしてくれました。


ケファロニアのフィスカルド

イタキ島に上陸
イタキ島のフリケス港に船が着き、乗客全員が船から吐き出され、港はほんの一瞬大混雑です。客待ちタクシーも2、3台見かけましたが、私たちが乗らないようすなので行ってしまいました。港には人影がなくなってしまいました。気がつくと、私たちだけが取り残されてしまっていました。先ほど私たちが乗ってきた、船が遠ざかっていく様子をカメラにおさめたあと、港の周辺をぶらぶら歩いてみましたが、何もありません。小さな店の前で、のんびり座って退屈そうな様子の2人のうち、一人の男の人が「どこへ行くのですか」と声をかけてくれました。「明日、ケファロニア島へ行きたいのでケファロニア島へ行く船の出るヴァティ港の近くで、ホテルを探したいのですが」というと、携帯電話でタクシーを呼んでくれました。


イタキ島のフリケス港


フリケス港を遠ざかるカーフェリー

タクシーでドライブ
間もなく来たタクシーの運転手と打ち合わせをしました。ヴァティでホテルを見つけた後、島の観光スポットに、案内してもらうことにしました。はじめに運転手さんが連れて行ってくれたホテルは運転手さんの身内の人が営んでいるようで、女主人とは顔馴染みのようでした。そこは世界中を駆け巡るバックパックの若者が、何日間かそこに立ち寄ってとどまるための安い貸し部屋のようで、お風呂もなく、私たちにはそぐわないものでした。即座に断りました。次に立ち寄ったホテルで交渉をし、部屋を下見させてもらいました。シーズンオフのせいか、二つの続き部屋を両方使っても良いといわれ、お風呂もあり、気に入たので、そのホテルに決めて、続きのドライブに出発しました。運転手さんはイタキ島で一番見晴らしが良い、ペラホリという高台になった地点を勧めてくれました。そこからはイサキ島のヴァティの町と東の海岸を見下ろすことができました。オデュッセウスが20年ぶりにイサキへ連れ帰えられて置き去りにされたのはどのあたりの海岸だったのかしらとかその頃の人々の町や村の様子を想像したりしました。今度、ホメロスのイリアスやオデュッセイアを読むときはもっと面白く読めるのではと再読が楽しみになりました。


ヴァティの街の遠景


アルファ銀行のマークは、オの鏡文字
ホテルに帰って、ヴァティの街を散歩に出かけました。ギリシャではカタカナのオを左右反対のしたようなマークの建物をよく見かけます。ホテルの近くにもこのマークの建物がありました。アルファ銀行の建物でした。現金の持ち合わせが少なくなったので、持っていったユーロ立てのトラベラールチェックをこの銀行で両替してもらうことにしました。なぜヨーロッパの銀行のマークが日本語のオの字の鏡文字のなのでしょう。疑問が残りますが、少なくとも、このマークがアルファ銀行のマークだということはわかりました。パスポートの掲示を求められ、宿泊のホテル名を聞かれましたがホテル名に注意を払わないでチェックインをすませてしまっていたので、答えることができませんでした。それでも、両替に応じてもらうことができました。外国人に厳しいロシアでは、おそらく両替をしてもらえなかったでしょう。あとで確かめるとホテルの名前はメントールでした。


食事の問題
夜は海岸にあるタベルナで夕食をとりました。肝膵系に病気のある私は油っこいお料理をとることができません。ここにきて、やっとあぶら抜きのお料理を注文することができるようになった私は、心配だったギリシャでの食生活にも問題がなくなりました。「ギリシャ風サラダを頼むときは「オリーブ油は無しで願いします。(フォリース ラーディ パラカロー)」でOKです。「お酢でお願いします(メ クシーディ パパカロー)」と言うと野菜とチーズの盛り合わせたお皿と、お酢の入ったソースが運ばれてきます。イカやタコも油を使わないで焼いただけのグリルを注文することができました。わたしのお気に入りの料理の一つはギリシャ風のサンドイッチです。こんがりとしたサンドイッチの焼き加減がとても気に入っています。これもバター抜きでと注文します。食生活の上で問題があるのはむしろ夫の方です。夫の場合はむしろ嗜好上の問題で、ギリシャ料理が口に合わないそうです。食事に手をつけないで、ビールやワインばかり飲んでいる夫の健康が心配でした。タベルナではブルガリアから出稼ぎに来ている若い女性がウエイトレスでした。あたりでコオロギが鳴いていました。ジャスミンの花がかぐわしい芳香をはなって咲いていました。海風が心地よくいつまでも座っていたい気持ちでした。明日ケファロニアに向かうカーフェリーの出る桟橋を確認したあとで、ホテルに帰りました。


ブルガリアからきたウエイトレス

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