
今日の一枚 29枚目





今日の一枚 24枚目

生まれて2、3週間の若いスズメ。
首も据わってなくてかわいいのう、と思っていたら、
この巣から出ると大人のスズメと違わぬ身体。首もしっかりしてた。
天井が低すぎただけだったのだ。
親鳥の建築ミス。
話を聞いたら「これぐらいでいけると思ったら、だめだったと言う感じ。」
「特に注意もされなかったので、別にいいや、という感じはあった。」
「だめだという認識はあったけど、そんなに大きな問題だとは思わなかった。」
などと開き直り発言を連発した。
が、翌日にまた話を聞いたら周りからひどく叩かれたのか、
「本当に体たらくだった」などと泣きまねをしながら謝罪し、
先日とはまったく違う表情に、周囲は、もはやあきれ果てた。
泣きながら「本当に体たらく」
ゆうとるわけですが、
実のところ僕はこの事件(東横の事件ね)にかんしては、「別にいいじゃん」って感想。
正直なところ、「開き直ってたときの」社長に好感を持っていたぐらい。
健常者な俺からしたら、安くてきれいならそれでいい。安全面でも(多分)問題ないんだろうし。
「障害者用施設あります」って信じて行った障害者の人が、実際なくてだまされた、というわけでもなさそうだし。
逆に僕は、「障害者をさげすむなんて許せない!!障害者は、みんながあたたかい気持ちで守ってあげるべきだ!!」
とゆう、「障害者思いな俺っていいやつだなぁ」
「ゆうてるけど、俺は五体満足でよかったなぁ」的な、
自己満の媒体として障害者を使っている健常者(もちろん全員ではないだろうけど)に対して嫌悪感を抱く。
よく、エレベーターとかで車椅子の人のかわりにボタンを押してあげるのが健常者の美徳だ、といわれる。
しかし、当の車椅子の人から言わせれば、「それぐらい自分でできる」のだそうだ。
「むしろ自分がすごく弱く思われて、上から見られてるようでむかつく」のだそうだ。
もちろん、全員がそうではないのだろうけど。
「身障者」に関して過剰に反応する人々が、どうもいけすかんのです。
「別に誰も泣いてないんなら、別にいいじゃん」ぐらいの事を言える人のほうが、ぼかあ信用できるな。
以上、「誰も泣いていない」を前提にお届けしました。
PS
でも、いうか?「本当に体たらくだった」って。
「なんという体たらくだ」とか「よくその体たらくで物が言えるな」とかは言うけど、
「本当に姿、振る舞いだった」って。意味わからん。

今日の一枚 23枚目

あぁぁぁぁぁーーー。
アメリカ人うぜぇぇぇぇ!!
“メッセージ・イン・ア・ボトル”に怒りの返事=米NY州
いいじゃん、これぐらい…。
きっとこのイギリス人は、環境保護団体とか、平和主義者とか、
アメリカ人観光客が来る景勝地の管理人だとか、
もともとアメリカ人に敵意を持っていたに違いない。

今日の一枚 22枚目





今日の一枚 16枚目

きれいとも言えるし、汚いともいえる。
今日、「スイスのバロセロナで冬の花火を見る」という夢を見た。
スイスの東北に「バロセロナ」という都市はある。という設定。
ハンガリーのブタペストのように美しい町並みでみる冬の花火は、とてもきれいでした。
「十万円札」として扱われるのが「暴君ハバネロ」というお菓子で、
もちろんお菓子だからすぐに壊れる。
「十万円札つぶれた」とか僕がわめくと、「銀行に持っていったら変えてくれるはずだ」と連れ(きれいな外国人のおねいさん)がいって、
しかしながら税関で暴君ハバネロが止められ、X線検査のときにまた暴君ハバネロが割れたりして、
てんやわんやな夢でした。
何を意味してるんだ。
最近、ヨーロッパに行く夢をよく見る。
デジャブも見る(デジャブって見るものか、感じるものか?)
このブログがそうだ。
中学校の頃に見た夢で、非常にリアルだったから今でも覚えている。
中学校の僕がブログを知っているはずもなし、
そもそもgooブログって6・7年前にあったのか?
僕は、パソコンに向かい合って、HTMLとCSSの編集作業をしている。
編集画面のデザインはまったく今の通り。
backgroundという文字を見た気もせんでもない。
で、画像を張る作業。
6・7年前の夢の中で、確かに僕はブログに絵を張っていたのだ!!
うほ!
デジャブ!!
僕は死ぬのか!?
見たら死ぬのはドッペルゲンガーか。
じゃあ、デジャブって何だっけ??
今見ている夢が現実になる、とかならいいのにな。


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