海を飛ぶ夢

涙が止まらないですよ。
涙が止まらない。

「海を飛ぶ夢」という映画を見た。

その映画の中、「海を飛ぶ夢」のシーンからずっと涙が止まらない。
あれが引き金となって、すべてが悲しい。
アレが引き金となって、ラモン自身、彼の家族、周囲の振る舞い、言葉、
雰囲気、すべてに深い意味が現れ、そのすべてが重い
みんなが愛情を持って彼に接し
実際みんなが彼に深い愛情を持っていて、美しいんだけど
「結局それらの終着点はラモンの『自殺』になるんだ」と気付いたとき
「なんなんだよ」って感じで涙が止まらない

寝たきりの彼の排泄物を処理したり、スプーンで食べ物をあげたり
体位を変えてあげたり、彼のために車椅子を改造したり
笑ったり怒ったり
それらのすべての「上」には、「彼はいつ死ぬんだろう」
「いつ殺してあげることができるんだろう」という考えがある
なんなんだよ

そしてその「海を飛ぶ夢」のシーンのバックに流れていたのが、
あの「誰も寝てはならぬ」だもの
なんて皮肉!

うがった見方をすると
この映画の監督、とゆうかこの映画を撮ったときの監督、出演者すべては
もう、多分、天才というか
アレはほんとうに演技なのだろうか?

でもひとつ言いたいのは
ラモンが望んだ道は「自殺」や「安楽死」であっても
「尊厳死」ではない
「尊厳死」は「無理してまで生きようとせず余生をできる限り楽しむ」ということで、
「自ら楽(死ぬ)になる」というものではない
と思う。

アメリ

シンプソンズで衛星テレビの事を「B級映画24時間垂れ流し!」とかいってた。
関係ないけど
求められる求められないは別にして
「ブログに評価を書く」という理由を作ってもっと映画を楽しもう!
という趣旨の元はじめたこの企画。

ひさびさのがこれですわ。

というような映画。

なんか、「ほんわかした映画」とか「愉快な映画」とかいう前評判を聞いていて、
きっといい映画なんだろうなぁ、と期待して観たわけなんですが、
なんなんだ。
これの、どこが、面白いんだ!!?

どうクソだったかというと
話の筋がなにもないくせに、まず冒頭で「ネーム攻め」にあったわけです。
つまり、「全部台詞で説明してくる」わけです。
おまえら、ちゃんと聞いとけよ!?といわんばかりに。
何度も繰り返される、いつ、どこで、なにを、なぜ、どうやって、だれと、、、を丁寧に解説する、永久を思わせるほどクソ長いナレーション。
何の意味も持たない映像。真っ暗でもあの台詞があるからたいして変わらんのじゃなかろうか。
しかし僕は「いい映画」という前評判を持っているので、
「なにか意味があるはずだ」と一生懸命、一字一句、一秒たりとも画面を逃さないよう映画に集中する。
そもそもこの映画すべてに何の意味もないことは後に知ることになるのですが
冒頭で疲れた僕に次に襲い掛かるのは急すぎてよくわからんテンポの展開。
アレかと思ったらいつの間にかコレになってて、あれ、ソレ?
アレはどうなったの?
こいつ誰?
なんで?

えっ。

いやいや…。





ハァ?





やっと終了


見ていて「下妻物語」を連想したんだけど、
下妻物語のすごいところはあのテンポやキャラで話の筋が通っていたところ。

でも、「アメリ」はただネタの寄せ集めであり
その場で思いついたのを一緒くたに集めて編集せずに公開したというか
誰よりもこの映画を好きなのは監督自身だけで
周りの人は置いてきぼりというか
そういう、クソ映画。
ああもう

二時間返してよ!!!

でも、この映画が好きな人もいるんだよなぁ。
理解できん。

映画館の宣伝みたいなものでさ、
「映画を非難する人と どんな映画でも楽しんでみる人 どちらが映画が好きなんでしょうか」という台詞があったんだけど
僕は、どうやっても、この映画は好きになれんよ
金払って映画館で観てたとしたら絶望するよ。


評価:★☆☆☆☆☆☆☆☆☆

スウィングガールズ

スカパーでやっているので観る。
今月は「金出してまでは観たくないけど観てみたい」映画が多くてたいへんだにゃあ。
特に明日からは映画ラッシュだ。まいった。
金を払っているかと言われれば払っているんですが、
銀行振り込みだからさぁ。実感ないんだず。
やはり、「ちゃんと金を持って物を買う」って言うのは、大切だなぁ、って思うず。
お財布携帯とかが流行りだしているが、絶対いつか「お財布携帯破産」する人が出てくるず。



スウィングガールズ。
なんだかなぁ。
「楽しい」し、「誰も死なない」し、「ハッピーエンド」だし、よかったんだけども、
もっと、できたんじゃなかろうか、って。
だって、スウィングガールズの皆さん、急にうまくなりすぎたでしょ?
観てる側からすれば、さっきまでへただったのに、いきなりうまくなって「えっ」って感じ。
イノシシのシーンにあんなに時間を割くぐらいなら、練習してる彼女らのシーンを少しでも入れたほうが、観る側も彼女らに感情移入しやすかったんじゃなかろうか。
音楽祭も「相当下手じゃない限り出れる」っていわれても、練習シーンを見ていないから「え、彼女らは結構うまいの?うまいんだよね??」って観客はちょっと置いてきぼり。
努力の上に立つラストシーンだからこそ、大きな感動が生まれる、と思う。
監督がこの映画で言いたかったことはなにかわからんのですよ。
「ジャズって楽しいで」なのか「ジャズに出会った女学生たちのロードストーリー」なのか。

あの「四人」が結構うまいのは理解できる。
が、バイト代でブランド品を買いあさって遊び呆けてた十数名が、なんでいきなり4人のバックで結構な演奏をしてしまうんだ?
ブランド品を売って楽器を買ったぐらいだから、隠れて練習していたと言うわけでもなさそうだし。
ラストの演奏シーンでメガネの子が音叉を鳴らすシーンでも、なんであそこでわざわざ前置きもなく出してきたのかわからない。
音叉を知っている人ならまだしも、知らない人からしたら「なんだいきなり」って感じじゃなかろうか。
あそこでわざわざ音叉を出してメンバーが落ち着く、というシーンを出すのなら、以下のようなワンシーンを最初のほうに出すべきじゃなかろうか?

  鈴木「(中村が持つ音叉を指差して)なんだず、それ?」
  中村「音叉っていって、バンドが音を合わすのに基準にする音を出すんだず。」
  鈴木「なんでんな事するんだず。」
  中村「同じ楽器でも、環境とかで出る音が微妙に狂うことがあるんだず。
     ちょっとの差でもバンドがひとりひとり音が外れてたら変な演奏になるから、
     これで合わせるんだず。」
  鈴木「ふーん。やってみるず。」
  中村、音叉を鳴らす。
  バンドのメンバー、戸惑う。
  鈴木「合わせ方がわからんず!」

な!?

このようなちょっとした会話を入れるだけで、音叉から中村の詳しさ、バンドの難しさまでを観る人に印象付けることができるのである。

な!?

で、ラストの演奏シーンも。
盛り上がってきたところで、スウィングガールズが竹中直人を壇上に呼んで、
細かいことは抜きにして、みんなで楽しく演奏してイエーで終わったほうが気持ちよかったよなぁ。
なんか、最後は生徒と教師は離れて終わった、ていうの、逆に印象悪いんだ。
で、ラストシーンをあんなふうに切るよりは、
あの舞台演奏をバックにそのままスタッフロールを流す、っていうほうが余韻が残っていいと思うんだけどなぁ。

前の「用心棒」では感情移入できないからよかった、とか言ってるけど、
感情移入って、大切ですね。
感情移入できるかできないかで、感動は全然違ってくる。
そのためには、観る側の立場から自分の作品を見なければならぬ。
大変だのう。



今から観れば、世紀末頃全盛を迎えた「日本映画クソ期」が終わり、
「日本映画はこれからこういう風に行くんだ期」が始まったのが2004年ごろのような気がする。
大した根拠はありませんが。
かの名作「デビルマン」も2004年公開だし。
でも最近、日本映画がアイデンティティーを持ってキてる、と僕は思うのです。
この映画もその時代の代表的作品と言えるだろう。

評価:★★★★★☆☆☆☆☆

用心棒

「俺たちに明日はない」とか、40年50年前の映画を見ると、「当時の情報量の少なさ」がよく分かります。
「これが名作になりえた」社会だったんですもの。
その気になれば世界中の映画を好きなときに見ることができる現代日本において、
たとえばいま「俺たちに明日はない」が「初公開」されたとしたら、絶対にヒットしない。
むしろ、駄作といわれるだろう。
昔と現代、「成功するための」ハードルは確実にあがっていると思います。
それは映画に限らず、どの分野においても。
いまさらベルトコンベアー式生産方法を思いついても、「フォードさんがずっと昔に思いついたよ」とか
「おい!地球が太陽の周りを回ってるぞ!!」という事実を長年の研究成果から発見しても、「数百年前にコペルニクスさんが発見してるよ」ってなもんだ。

そんな現代日本で「初公開」として現れても十分ヒットするんじゃないか、
と黒澤明監督の映画を見ていると思ってしまう。
美しいし、しびぃし、ナウい。
現代映画界でも十分通用する、と言ったら偉そうだが、黒澤明監督の映画はそんな映画。

どうやったら全編通してあんな美しい映像を作れるのだろう、と思ってしまう。
映画製作なんて、何ヶ月もかかるはず。
いくら監督がイメージを思い描いても、常に環境がそれに答えるはずがない。
普通は妥協するものなのだろうけど、
黒澤明にはそれがない。
で、観る側は映画を通してその黒澤魂を感じ取る、って寸法だ。

話としてはむむむ、って感じ。
勧善懲悪、ともいいがたい感じ。うーん。
それに、主人公であるところの三十朗がなぜあんなにがんばるのか、がわからない。
動機がない。だから、観るほうも主人公に感情移入しにくい。
が、それが逆にいいのかも、と思う。
主人公に感情移入せず常に客観的に観るから、対立する二大勢力を冷めた目で見れるのかも。
映像に集中するのかも。
三船敏郎の渋さに惚れるのかも。

監督がそれを意図したかは知らないが、そんな感じ。

評価:★★★★★★☆☆☆☆

みんなのいえ

THE有頂天ホテルがそこそこキタので、おなじ三谷はんの映画であるところの「みんなのいえ」をみました。
「ラジヲの時間」も録画したかったんだが、「パッション」なんぞを録画したためにできなかった。くそ。

で、「みんなのいえ」
映画じゃないよなぁ。
こんなの、「新春特別ドラマ劇場」とか「夏休みファミリードラマアワー」とかでやればいいじゃない。
わざわざどでかい映画館のスクリーンに映すほどのものだろうか。
THE有頂天ホテルは結構「大きな絵」があったので、映画館のスクリーンに耐えるが、
これはなぁ。
特に音楽にこだわりがあるわけでもない、舞台も非常に狭い、画にこだわりがあるわけでもない。
「ドラマとかも売れてるし、映画とかしたいんですけど。」
「いいね!すきにやってよ!」って感じ。

最近の日本映画はだいぶ復活していると思いますが、この当時が一番「日本映画がクソだった」時期に当たるのではなかろうか?
これを高い金払って映画館でわざわざ観たのなら激しい憤りを感じたでしょうが、
僕はテレビで見たのでよかった。

そう、僕はテレビで見たので、実は結構楽しめました。
「面白い話」ではある。ココリコの田中もいいし、別の田中はいうまでもない。
「ベテランと新鋭」のやり取りも、なかなか興味深いものでありました。
今から見ると、出ている俳優がめっちゃ豪華!
「あの人をそんなチョイ役で」とか、逆に今だから楽しめる部分もあるのかもしれない。
レンタルビデオ店で「なんか見たいんだけど特に見たいものがない」と悩んでいる人にこれを勧めたら、
まあ悪くは言わないだろう、そんな映画かしら。
けど、映画館でやるものではない。

評価:★★★★★☆☆☆☆☆

パッション

今日、電話があった。
「聖書のお話をしています…」とかいうやつだ。
ときどき、家のインターホンを押してまで
「聖書のお話をしています…」
もうほんと、迷惑ですわ。いちいち「いそがしいので…」と断るこちらの気持ちにもなってほしい。
「ああ、聖書のお話を断ってしまった」とちょっと罪悪を感じるこっちの気にもなってほしい。
だいたい、人のプライベートに踏み込んできてなにが「ありがたい聖書のお話を…」だ。
悪徳金融会社の脅迫電話とかおれおれ詐欺とかと本質的には変わらんじゃないか。
どの宗教に自分が惹かれるかは人の勝手だが、人に自分の考えを押し付けるなと。
「私の宗教はこんなにすばらしいんですよ」ってことでしょ?
むかつく。
聖書を読みたいと思った人は自分で読もうとするから。
ほんとやめてほしい。

そんな今日に「パッション」を見たと言うのは、もはや運命と言ってもいいのかもしれない。
最悪のなかでも超ど級に最悪な映画でござった。
「アメリカでは結構ヒットした」というので見たんだが、何なんですかこれは。
悲劇です。
いや、本当に悲劇なんだが、映画として悲劇。なんでこれが全国劇場で放映されたんだ?
「どんな映画?」と言われれば、
おっさんが殴られ、蹴られ、叩かれ、罵られ、つばを吐きつけられるだけの、
陳腐なうえに下劣で下品で程度の低いスプラッター映画。
と答えるだろう。

キリストが殴られ、蹴られ、罵られているバックで流れる「悲壮」を感じさせる壮大な音楽が不快感を一層掻き立て、
「どうぞキリスト様をありがたく思ってください」という製作者側の自慰を押し付けられる拒絶感。
もう、こういうのは、もういいです。
みんなひげ面で誰が誰かわからんし。
僕は駄作だと判断すると早送再生(×1.3倍速)で見るんですが、今回は一時間半を切ったときから×4倍速で見ました。
聞いた話によると、これを中学校の道徳の時間みたいなヤツで見せたらしい。
気がくるてるんとちゃうか?そこの教師。
R15指定がないだけでも十分納得いかないものを、授業として見せるなんて。

多分、ありがたい聖書の内容を理解した上で見たのなら、多少の見方は変わったんでしょうけど、
そんなん、話にならない、ってことでしょ?
「その映画の背景を事前に調べとかないと分からない映画」なんて、話にならない。
何様のつもりだと。
こちとら金払って見にきてんのに、なんでお前がそんな上からものをみんねん、と。

これはアメリカというキリスト教国家でヒットしたらしいんですけど、
キリスト教の人はこの映画を見てどう思ったんですかね?
「いやぁ、やっぱりキリスト万歳!」
と思ったのなら、キリスト教が歴史上やってきたことが、ちょっと理解できるような気がします。

評価:☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

THE有頂天ホテル

流行に流されやすい僕は、「THE有頂天ホテル」をビデオで見るつもりだったのに我慢できなくなって映画館で観た。

CMとか、宣伝活動って、大切だよなぁ。
出ているキャストのわりにはあまり面白くないし、ギャグも陳腐。
映画として斬新なとこがあるわけでもなく、泣けるところもない。
「何がいいか」といわれれば「特に何も」としか言いようがない内容。
冒頭から「しくった」とおもったし、見ている間も「もっといろいろできたやろ」「なんでこれがひっとしてんねん」としか思えなかった。

しかし。
映画が終わってスタッフロールが流れ、そのスタッフロールも終わった瞬間、
表現しがたい「さびしさ」を感じた。
なんか、さびしい。
ちょうど、子供の頃に盆か正月に両親の実家に帰って、
親戚もそこに集まり、特になにをするわけでもなく、だらだらと一週間程度過ごし、
その期間も終わって、「自分の家」に帰ったときに感じる「さびしさ」みたいなもの。

そんな映画でした。

評価:★★★★★☆☆☆☆☆

俺の大和

いまさらながらに「男たちの大和」を観た。
うう、うう、不覚にも涙してしまった。
ほんとに、うう、って、声に出して泣いてしまった。
映画館はがらがらだったのが救いだ。
そういう意味では僕の感受性の豊かさを証明する作品だといえるだろう。
ちょうど、「チキンライス」に号泣した槇原さんのようなものだ。
ようなものか?

で、この映画から学んだことは、
「間」と「ロングカット」の大事さだ。
劇中、頻繁に現代と過去がリンクするんだが、
場面の変わり方が唐突なために、観るほうは混乱する。
現代と過去の場面の変わりに、なんらかの間か、導入みたいなのがいったんちゃうか。

あと、アップの画がおおすぎて、場面の状況がわかりにくい。
どかーん、がーん、ちゅどーん、子供の漫画か!
ロングがあるからこそアップが生きるのだなあ。
うんうん。

結論としては、
戦争はいけないことだと思いました。

評価:★★★★☆☆☆☆☆☆
     
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