憩いの家西510

入院中の備忘録、記録、思い出として

旧友

2022-06-26 18:39:00 | 日記
退院してから1週間が過ぎ
いよいよ明日からは仕事に復帰しようと考えている

昨夜、友たちが何人かで
快気祝いの会を開いてくれた
気の置けない親しい友人達に退院を祝われ、とても幸せな時間を過ごすことができた
なぜか大量の「シメジ」をお土産に下さったので、甘ジョッパク炊いて、常備菜にしよう
 
入院中と違い、食事の支度から片付けを当然だが自分でこなさなければならず、めんどくさい事甚だしい
入院中には病棟に勤務しているナースの皆さんにも大変お世話になった、その中には耳に覚えのあるお名前の方もおられたりして、例えば「増本さん」と、言うお名前のナースさんは旧友と同じ苗字なので親近感が湧いた

田舎の高校を卒業してから
僕は今住んでいる天理にある
天理教の専門家を養成する
専門学校のような所に通った
「天理教校専修科」と言う名前のその学校には、同年代の若者が集まってきていたが、高校卒業以上というのが入学条件だったので、年齢は様々で、年上の同級生も何人もいた
熊本から来ていた増本さんもその中の1人、僕らより2つ年上のはずだった
僕は群れの中で暮らす事には向いていない、「みんなと同じ方向を向いて」「みんなと同じ事をする」のが極めて苦手
団体生活には致命的に向いていない
だから、浮く
良くも悪くも目立つし、浮いてしまう
人は群れの中にあって、異なる他者を排除しようとしたり、のけものにしようとしたりするから、僕のようなタイプの人は、そう言う環境の中では生きづらい思いをする事になる
増本さんはその中でも、優しく声をかけてくれて、普通に扱ってくれた数少ない友人だったと覚えている
そんな優しい、増本さんとも、卒業以来パッタリと会う機会はなくなり、そのまま何となく数十年が経過して、あの頃の同級生達とも、ひょっとしたらもう死ぬまで会う事も無いのかもなぁと、思い始めていた。
そんな頃、世の中の文明が進み
ほとんどの人がスマホを持つようになり
SNSを使うようになり、自然と古い友人達の近況も聞こえてくるようになってきた。
増本さんは地元の熊本で元気にしておられる事
お仕事をしておられる事
数年前の熊本地震で、教会の建物が全壊だった事
などが聞こえてきた

同級生は青森にもいる
青森の佐々木君は毎月、何百キロもの道のりを「下道で」天理まで走って通っている
彼が腰が痛いと、いつも言うているので、今回メールで 
「腰は大丈夫ですか?こっちに来ているのなら、おさづけに行かせてくださいね」 と、連絡をとってみた  
「ありがとう、僕は大丈夫やけど、増本さんが、入院するとか手術するとか、再発やとか噂を聞いたので、天理に来てるはずやから、増本さんのところへ行ってあげてください」
と、返事が来た
おおっ、懐かしい増本さん
こっちに来てるなら会いたいなぁ
早速彼にLINEで連絡を取って、今日の午後彼に会いに行ってきた 
かなり久しぶり、数年ぶりの再会
話は弾む
「どこがお悪いの?」
と、聞いてみると増本さん小声で
「膀胱癌なんよ」と、囁いた笑
思わず握手をして、「僕もやで〜、この月曜日に退院したばっかりよ〜」
死ぬほど驚いている増本さん
「えーっ、お前と同じ病気かよ〜」
増本さんの癌は「多発性」とか言うらしく、小さな癌が膀胱内に幾つもできて、それが再発を繰り返すタイプらしい
「もう今回で3回目の手術や」
そして、僕が月曜日まで入院していた、「憩いの家」病院で娘が2人勤務しているんよ。と、言う 
次女さんはレントゲン技師で
そして三女さんが看護師で
「泌尿器科」の病棟に勤務していると、凄い‼️又繋がった
こんな僕みたいな薄汚いジジイに献身的に看護してくださっていた、かわいい「増本さん」は
我が旧友の娘さんだった
凄い、まさかそんな偶然があるなんて思いもしないから、病棟で看護師の増本ちゃんに、お父さんの話なんかき聞くはずもなかったけど
あの頃、僕みたいな何もできない異端児にも優しく接してくれていた同級生の娘ちゃんだったとは、そしてその同級生がまさか同じ病気だったとは、神様はつくづく粋な事をなさるこんな喜びを味わう事ができたのも膀胱癌になったればこそだ
本当に膀胱癌になって良かった
膀胱癌になるって本当に素敵だ 
今日は6月26日
天理教本部の月次祭の日
幸せな1日であった
明日から働きます
働けるかな?笑

ハッピーさんの事

2022-06-24 20:19:00 | 日記
ハッピーさんは、他系統ではあるが
四條畷にある天理教の教会の会長さん
もう、古い付き合いになる
かれこれ10年以上にはなるだろう
天理教とは縁もゆかりもない家庭に生まれ育ち
調理師学校を卒業後、フランスで修行をしたパティシエだった
そんな彼がどんなご縁か
天理教の教会の娘さんとお見合いして、結婚することになり
その教会へ婿養子で入られたのだと聞いている
結婚後もパティシエのお仕事を続けられ、自身のお店も開いておられた

僕たちの仲間とは、SNSを通じて知り合いになった。
ハッピーさんと言うのは彼が使っていたハンドルネームだ。
かけちがってとうとう彼のケーキを口にする機会には恵まれなかったけれど、その腕は大したもので
友人の娘は誕生日のケーキを彼にオーダーして特別に作ってもらったりしていた

前会長さんが高齢になられたので
教会長の座を引き継がれ、
所属大教会の敷地内にある「布教研修所」のような施設にも入られ熱心に、教会の御用も務めておられた

まだ年齢も若いのに、何度か病の話も聞いていたが、それでもたまにお会いする事があるとお元気そうで
僕らなんかは「せっかく」と、残念に思ってしまったりしたのだが
経営しておられたケーキ屋
のお店も閉じて
教会長としてのご用一筋で進まれる決意をされたようだった。

そんなある日、Facebookの記事に
「パーキンソン病と、診断されました」との書き込みがあって驚いた。
その頃僕は三重の実家に暮らしていて、なかなか会う機会もなく
ネットを通して伝わってくる近況に心配だけを募らせる日々だった

入院したけど、パーキンソン病の薬が体質に合わず苦しんでいる
とうとう起き上がれず寝たきり状態になった
聞こえてくる情報は決して芳しいものではなかった
そんな中、再度詳しく調べてもらったところ
パーキンソンではなく「多系統萎縮症」と、診断が確定されたと聞いた。MSAとして、MSAの治療が開始され薬も変わり、起きられるようになった、退院して自宅療養に移ったと、聞いて喜んだりもした。
だが病名はMSAなので、パーキンソンどころの騒ぎではなく
行く末は決して安閑とはしていない事は分かっていた。
 
メールをして、アポイントを取ったのち
何度か四條畷の教会まで足を運び
ほんの少しの時間話し相手になり、いやこちらが話し相手になってもらい
おさづけのお取次をさせてもらって、帰ってくると言う事が何度かあった。
距離も離れているし、頻繁に会えるわけではなく
そうすると会うたびに、病状の進行が目に見えて分かり
彼に会うために四條畷まで走るドライブは楽しい時間ではなかったかもしれない
歩き方が覚束なくなってきている、呂律が回らなくなってきている
教会の神殿に上がるわずかな段差を手を貸してあげる事も何度もあった

一度死んでも忘れない光景に出会した
教会に着いて、お参拝をし、ハッピーさんのいる隣の事務室に通ると、彼は天理教の布教をする時に配布するパンフレットを何枚も重ねて、一枚一枚に教会の住所や名前の書いたゴム印を押している
彼は言った
「らんぷさん、僕ねもう呂律がが回らなくなってきてね、それでもう言葉で伝える布教はもうだめやなと思ってね、これからは文書布教やと思って、それでこのパンフレットにゴム印押してるんです

たったそれだけの会話も緊張して聞いていないと、聞き取れない所があるような状態だった
そんな病状の人が
そんな病状だからこそこれからは文書布教だと言うて、そのための準備をしておられる

驚いたし感動した
そんな病の中にあって、こんなに前向きに将来を見据えている、その態度に頭が下がった
「パーキンソンって診断されるのは『無期懲役』の判決を受けたようなもので、MSAと診断されるのは『死刑判決』を受けたようなもんですよ」彼は回らぬ舌でそう言って笑った
MSAといえばただの病気ではない
いくら厚かましい僕であっても
断りもなしに押しかけていく事はできなかった
数日前から必ずメールでアポイントを取り、滞在時間も極力短くして、病人を疲れさせないように気を使った、この僕が気を使うなんて、僕の事を知る人はきっと笑うに違いない
いつの頃からかアポイントのメールに返事が来なくなった
「どうぞ来てください」と、言われなければ訪ねていけないので
辛抱強くメールの返事を待った 
でも、やはり返信メールは来なくなった
何度か「どうしてますか?」とか、「会いたいです」と、メールをしたがそれでも返信は来なかった
それで、とうとう訪ねていく事も出来なくなり、その内僕の身の上の方にも色々と変化があったりして
決して忘れたわけではないけど、何となくそのままになっていた
病気が病気なので、「もしかしたら?」と、言う思いも頭のどこかにはあったと思う

今回癌が見つかり、入院することになったある日の夜
夢の中に彼が出てきた
実年齢よりも若返ったように見える彼は、背も高くハンサムで早足で颯爽と歩いて僕に近づいてきた
「ハッピーさ〜ん、俺膀胱癌になったよ」って夢の中で彼に報告した
彼が何と返事を返してくれたか、夢の事で記憶が無い

手術室に向かうのは11時と聞いていたので、それまでの間にシャワーを済ませ
麻酔が覚めてから飲むのに、冷蔵庫の中に水を用意して
もう何もする事がないので、仕方なくベッドに横になって、看護師ちゃんが迎えにきてくれるのを待っていた。それでふと手にしたスマホ端末の画面に
Facebookからのお知らせアラートが届いた
「今日はハッピーさんの誕生日です』
正直言って、鳥肌が立ち同時に
「ハッピーさん、守ってくれてはるんやな、こらどんな事があっても大丈夫やな」と、確信した

今日、ハッピーさんと同系統の知り合いの会長さんに、彼の近況を尋ねてみた
「自宅での療養が出来なくなり、入院されたと聞いています」 と、返事がきた
正直安心した、よかったと思った
詳しい事が分かり、本当にコロナが終息して、病院に面会に行けるようなら、話し相手になってもらいにいくつもりである。

人は多くの他者に守られている
多くの人の思いを受けてこの世に生きている
ちょっとやそっとの膀胱癌くらいで死んだりするものか

こんな事を考えるようになったのも、膀胱癌になればこそだ
膀胱癌になるって本当に素敵だ


キャパシティ

2022-06-22 08:13:00 | 日記
退院して2日経った
病院の中の生活に慣れきっていたので
逆に実社会の生活に戸惑っていたりする
入院前、バタバタしながら準備をして、バタバタしながら家を出たので、家の中はバタバタの後遺症がえらい事になってて
でも、さすがに身体は少なからずダメージがあるみたいで、あまり動く気にもならず
ようやく今日あたりから家の中を片付けたり、掃除や洗濯などもこなしていこうと思っている
今週いっぱいは仕事も休ませてもらうつもり、その間に家の事をして、退院のご挨拶に行くべきところには行って
どうしてもどうしても気になる、確認しておきたい事が1点あるので、それの確認
そして、せっかくこの時期に休めるんだから、行きたいお寺もいくつかあったりもするし、性分だから仕方ないけど、慌ただしい気配の6月末。

膀胱に癌ができていて、今回それを取ってもらった。
僕の癌は大きくて、膀胱の中の6割ほどを占めていたんだとか
それが一気に手術によってなくなったので、必然膀胱のキャパシティが広がった事になる
すると、溜まる尿の量も増えたんだろう、入院前あんなに通っていた夜間のトイレにいっさい起きなくなった。
原因の一つには術後の「導尿」の後遺症もあると思う
尿道カテーテルを数日つけた後抜去すると、尿意が弱くなったり、排尿痛や排尿困難の症状が出る事があるらしい
しかし、それも日にち薬で改善されていくので心配ありませんよと、退院時主治医の先生から教わった

言われたように、今現在尿意がはっきり来ない
でも、時間の経過とともにそれも治ってきてる気がしている
僕たちの年代よりもっと高齢になると、導尿の後遺症の治りが遅く
尿意が無いのに尿が漏れたり、反対に尿意があっても自分で排尿することが一時的にできなくなったりする事もあるらしい

僕が受けた手術は身体の表面にはどこにも傷の残るものではなく
故に身体へのダメージも比較的少なくて済むのである
自覚症状として、ハッキリ分かるのは膀胱のキャパシティの広がりによる、尿の回数の変化だろう
 
膀胱癌になればこそ、今日のこの幸せも味わう事ができるのだ
僕は今回膀胱癌になって本当に良かったと喜んでいる
膀胱癌になるって本当に素敵だ

さて、暫くお読み頂いたこのブログでありますが
当初の目的は
コロナ禍のこの現状お見舞いに来ていただく事ができないので、入院中の様子などをお知らせするのが目的でした
退院しましたので、目的を果たし
ブログを閉じてもよいのですが、せっかく書き始めたブログでもあり、暫くは不定期にでも書いていこうと思います
お読みくださる皆様方には
LINEやメッセンジャーなどにURLを添付する事で、共有してきましたが、今後も引き続きお読みくださる意思のある方は、ご面倒でもその旨LINEやメッセンジャーでお返事をください、下さった方にはこれまで通り配信しますし、お返事のなかった方々には今回をもってブログの公開を終了させていただきます。
お読みいただきありがとうございました

さらば愛しき日々よ

2022-06-20 10:07:00 | 日記
入院して15日目の朝です
体温36.7
体重79.0
血糖値110
数値は問題なしですな

懸案の尿道カテーテルが抜けて
発熱や、便秘や、下痢や
幾多の困難を乗り越え
今日は主治医のT先生から退院のお許しを頂いている日です
前日から荷造り、準備に余念のない私
朝イチ血糖値測定に来た夜勤の看護師君に満面の笑顔で
「このオッチャンは今日退院でいいんやよなぁ」と、訊ねたら
「いえ、退院の指示は出てません」
との返事笑
主治医の先生の指示を待ってください
やがてやってきたT先生
「村瀬さん、退院どうします?」
いやいや先生


って事で
村瀬善規59歳本日退院します
テレビカードは冷蔵庫と、洗濯機乾燥機とで4枚買いまして、今残高の残ってる1枚を忘れないうちにと精算に行ったら、650円の残高を100円玉と10円玉で出しゃあがったのでちとイラッとしました笑

糖尿病もあるので、内分泌内科の先生にも来てもらったり、薬の事を聞いたり、言うたりして着々と退院の準備は進む



入院生活ちょうど15日
生まれて初めての入院
入院がこんなに楽しいとは夢にも思わなかった
病院食がこんなに美味しいとは夢にも思わなかった
看護師の皆さんがこんなに献身的で優しいとは寝る前から信じていました
日々、生活のことをお世話くださるスタッフの方々
美味しいお食事を毎回運んできてくださる方々
毎朝、お掃除に来てくださる方々
毎日、おさづけに通ってくださる事情部の先生方
もちろん、膀胱癌の手術に関わってくださったスタッフの皆さん
ベッドまでわざわざ説明に来てくださった、薬剤師の方、管理栄養士の方、レクチャーに通ってくださった、内分泌内科の先生、
何度も何度も何度も血糖値測定をしてくださった看護師の皆さん 

入院中内緒でおさづけに通って下さったお友達の皆さん

LINEやメールを通して応援をくださった皆様

こうして列挙しているだけで実は目頭がジンとしています笑笑

皆さんありがとう

この愛しき日々とも今日でお別れです

退院に向けて、バタバタと院内を歩いているだけで
ちょっとだけふらついたり、ボーッとしたりします
やっぱり体力落ちてるんやろなぁ 
豊井の家までどうやって帰ろうか思案中







カテーテル抜去、退院決定

2022-06-19 10:44:00 | 日記
一昨日のお昼ご飯は

豆ご飯
入院して初めての「色ご飯』
軽く感動して、今日も完食

手術から病室へ帰ってきたら
いつの間にか、いつの間にかっておかしいけど
尿道カテーテルが付いていて、その先にオシッコの袋が付いている
慣れるまでこれが強烈に気持ち悪い
時々、痛みなんだか尿意なんだか訳の分からない感覚に呻吟することになる

普通にオシッコできる幸せを噛み締める 

そんなカテーテルも主治医のT先生が様子を見に来てくれて
熱も下がったし、尿検査の結果も
細菌とか無かったし
今から抜きましょうか
と、あっさりおっしゃる
そのままオシッコのチューブを掴んで、「エイッ!」と、引き抜きそうな勢いだけど流石にそんな事はなく

でもわりとスルッとカテーテルを抜いてくださる
スッキリした、病衣から自前の服に着替えて、足取りも軽く廊下を歩いてみたりする

さてオシッコもそうだが、ウンチも大事な事は言うまでもなく

元々毎日便通があるタイプではなく
何やったら数日に1回
それで健康
でもここ数日便通がないからって事で、下剤を処方されたんだが
今度は腸は動くんだけど、便が固く出口を塞いでいるらしく
強い便意と出せないもどかしさに呻吟
何度もトイレに通い、いやトイレかは出られず、脂汗を垂らして苦しむけどうまくいかない
昨日はとうとう昼食も夕食も喉を通らず、その影響かな熱までぶり返し
頭をアイスノンで冷やし、お腹にホットパックを当てて温めると言う寒暖差の激しい身体

それでも便を柔らかくする薬を飲んで
お御供さんをいただき
おさづけのお取次ぎをいただき
夜遅くに出口で頑張っていたものたちが、ドッと下界に解放され
後に控えていた若干軟弱な奴らも、その後をしたって、出てきたりして すると現金なもので体調もスッキリ良くなり
おかげさまで、明日月曜日の退院が決まりました
これもみな、お心寄せ頂いた皆々様のおかげと、本人もこうして平身低頭して、お礼を申しております


皆さん本当にありがとうございます
癌になって本当によかったです
膀胱癌になるって本当に素敵です