ラブが行く!

家族と自分自身のための、愛犬ラブの平凡な日々の記録
2代目ララとの日々

お墓参り

2008-08-11 20:52:57 | Weblog
今日は4年前の8月に亡くなった友人のお墓参り。

丘の上のメモリアルパークからの眺め。街が見渡せる。


高校3年生だった息子たちは、今、大学4年生になりました。
亡くなった彼女の一人息子さんも無事就職が決まったとのこと。
当時高校生だった一人っ子を遺して、どんなに無念だったろうか。



子供が生まれた時、どんなことを思いましたか?

私は、自分の子供が二十歳になるまではなんとしても生きていたい、と思ったのです。日々の生活のなかで、親の何気ない言葉や振る舞いなどで学ぶことはたくさんあると思っていたから。
何故こんなふうに思ったのだろう・・
私の母は今70代で元気に生きているが、私が4歳の時、交通事故であやうく命を落とすところだった(らしい)。当時の記憶はほとんどないのだが。
一旦停止せずにとびだしてきたオートバイが、県道を直進していた母のバイクと衝突。昭和30年代で県道とはいえまだ舗装されていない道路に投げ出された母は瀕死の重傷、というか一週間ほど意識不明の重体。入院は3か月にもおよんだそうだ。
後の母の話では、その意識不明の時、ずっと耳のそばでお寺の鐘の音が鳴っていたそうだ。どうしてこんなに大きな音でお寺の鐘の音がするのだろう、と思っていたそうだ。そして少しずつ鐘の音が小さくなっていき聞こえなくなった時に意識が戻ったのだそうだ。半分以上あちらの世界に行っていたのかもしれない。そして母は”もしもあの時自分が死んでいたら、この家にはきっと後妻がきていたかもね・・”
こんな話をしたのは私が小学校高学年か中学生のころだった。おそらく話した母自身は忘れていると思う。でも私には何故か忘れられない言葉だった。4歳で母を失っていたら、仮に継母に育てられたら、、今と違う自分が育っていたような気がしてならない。

子供が二十歳になるまでは生きて傍にいたいと思ったのはこんな記憶からかもしれない。




彼女ももっともっと息子のそばにいたかったろうに。




毎年三人でお墓参りに行きます。
普段多忙でなかなか会えない友人とも会える機会になっています。

お参りの後は、
  
きょうはパスタをいただき、


自由が丘でこんなものみつけてきました。

カメラのキーホルダー。
後ろのボタンを押すとレンズの部分にLEDライト点きます^^*