goo blog サービス終了のお知らせ 

彷徨う普代村民

普代村の一村民、
彷徨う村からの貧民の呻き声

議会の住民傍聴ゼロ

2013年12月21日 | Weblog
 猪瀬都知事が辞職することになった。 日本道路公団の追求や東電株主総会での東電病院の売却についても
理詰めで追求し、すごいなと思っていた。


 残念だ。
しかし、何かがおかしいからこのような結果になったのだろう。何かが。

 畑代議士が最近よく口にするのが、「ただガンガン言って追い詰めるのではなく、
言うことをしっかりと言って冷静に質問し、そうせざるをえない方向に持っていく
ようにしなければならない」というようなことを。

以前に議会で議員会館を訪問した時も言っていて、聞きながらドキットした覚えがある。

大声を張り上げ、鬼の首を取ったように相手のミスに食い込み、攻め上げる光景は
はたから見ていて分かりやすく、権力に対する正義感を思わせる。

しかし、相手をやっつけたり、ウケ狙いが目的ではなく、より良い解決方法を模索
するのがお互いの目的である。

いかに問題解決に近づけていけるか、相手に聞く耳を持ってもらうか。それが重要になる。
いくら正しいと思って言っても、言い方によっては責めているだけで反発しか買わない。
問題解決どころか、感情の泥沼にはまる。

誰が言ったのかわからないが、「人に責められたくなかったら、人を責めるな」という言葉を思い出す。

自分にも耳の痛いお言葉・・・

結局は、その「責め」が自分にも降りかかる結果となることを教えているのか?
いかに相手を傷つけずに、納得してもらえるように言えるかというのも難しいことだが・・・


聖書のヨハネの福音書というのがある。(聞いたことはあるがよくはわからない)

日本語の源流とか言われているカタカムナ語は48音からなるという。

ヨハネの「はじめに言葉ありき」というのは有名な言葉で知らない人でも知っている。

48音= ヨ(4)ハ(8)ネ(音) だそうだ。 

ん?日本人だった? 

それはいいとして、

 これは言葉や思いは現象を呼び込むことを教えていると言う人もいる。

「怒りには怒り事を、不安には不安事を。感謝する人には感謝事を呼び込む。
コノヤローという言葉には、コノヤローという現象をその人に与える。」
のだそうだ。

言葉は怖い。

猪瀬さんもそこにはまっちゃったのか。
猪瀬さんは鋭すぎたなあ。 その分反感を買った人も多いということか?

鋭くはないが、口の悪いわが身を省みて、ヒヤッとします。
気をつけっぺ!

      議会傍聴者ゼロ/font>

傍聴ゼロは議員になってはじめてと記憶する。

ひとりふたりは必ずいた。

今回は日報の記者だけ。

腰が悪いから足が痛いのか? 足が痛いから腰が痛いのか?
議員が活発でないからこないのか? 住民が関心ないからこないのか?

どっちも?

下のロビーのモニター前にはいたのかは確認していない。

それではダメなのだろうが、
議場の傍聴席に人がいないと、自分としては気が楽にはなるのも確か。

テレビに映るから国会議員も頑張って質問する。
あのよく見る、議員が大きなパネルで説明するのもテレビを意識したものらしいです。
一枚5000円だったか8000円だったかで発注するらしくて、あれをいっぱい使う議員
はお金持ち・・かな?

最新の画像もっと見る

コメントを投稿