風の遊子(ゆうし)の楽がきノート

「楽書き雑記「白鳥への旅②=石徹白(いとしろ)の神社や阿弥陀ヶ滝(あみだがたき)へも」

 

白鳥神社の碑と拝殿


白山中居(ちゅうきょ)神社の大杉と拝殿


白山信仰の里・岐阜県奥美濃の郡上市白鳥の「白鳥おどり」を楽しんだ同窓会仲間の我々は、前夜の踊り疲れを見せることなく福井県境の石徹白(いとしろ)まで足を延ばし、神社や滝などを回ってきました。
飛び石観光でしたが、白鳥おどりに対する認識を深める一方、郡上一揆の史料にも接することができました。

白鳥の中心部にあって養老年間(717年~724)の創建という白鳥神社。
「白鳥おどり 発祥の地」の碑があり、説明板には「約280年前の文献によれば、白鳥おどりは庄屋や名主(みょうしゅ)の庭先や寺の境内で踊られていた。それが現在の拝殿踊りにつながっている」とあります。
商店街通りで和楽器も使って賑やかに踊るのではなく、古式豊かに歌を口ずさみながら踊りを奉納する拝殿踊り。こちらも魅力的ですね。

福井県境の石徹白の白山中居神社(はくさんちゅうきょじんじゃ)。石徹白へは現役時代に仕事などで2回訪れていますが、神社に詣でるのは初めてでした。
「白雲がたなびくのを見た大神が『これ いと しろし』と申され、これにより『石徹白』という」の記述を読んで境内に入ると、参道ではスギの巨木が何本も林立して迎えてくれます。

「石徹白は天領とされ、藩政時代も神に仕える村として苗字帯刀を許された」「住民は白山参詣の巡礼者を手助けする役割があった」といった観光情報などを思い起こしつつ、石徹白の誇りである本殿や拝殿踊りの舞台を見て回りました。

郡上といえば、教科書でも学んだ江戸時代の「郡上一揆」を連想する方が少なくないでしょう。
宝暦4年(1754年)、郡上藩による農民に対する年貢の課税方法の変更に農民が反発。庄屋から農民、郡全体へと広がり、約5年にわたる幕府も巻き込んでの大騒動です。

農民や村々が意志表明の手段としたのは、有名な「傘連判状(からかされんぱんじょう)」による直訴です。運動の代表者や首謀者が分からないようにするため、傘を広げたように円環状に直訴人や村の署名を書き入れたもので、立ち寄った白山文化博物館でそれを見ることができました。

白山信仰の修験者たちの修行の場であり「日本の滝100選」にもなった阿弥陀ヶ滝へも。
長良川の源流のひとつで落差60m。僕にとってはこの夏、富士山麓の白糸の滝、三重県名張市の赤目四十八滝に次ぐ3カ所目の滝見物でしたが、阿弥陀ヶ滝の瀑布や巨岩を洗う流れ、大小の石を敷いた散策道もなかなかのもの。
この夏を締めくくるにふさわしいひとときでした。

傘連判状

阿弥陀ヶ滝

白鳥神社に咲くキツネノカミソリ

民家の庭先で見かけたコスモスやサギソウ





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