爺ちゃんの「ずくだせ散歩」!

藤森神社の紫陽花!

 薄曇りの京都です。
 婆さんから「今日は出かけない。あんたは、邪魔だから出て行って」と言われてしまいました。そこで、少し早いかと思ったのですが、紫陽花を見に藤森神社に出かけることにしました。
 京阪電車の祇園四条まで歩き、電車を待っていると特急電車が到着しました。藤森神社の最寄り駅は墨染駅ですが、一駅先の丹波橋駅まで止まりません。
 地図を見たら、丹波橋駅からは、伏見桃山城に行けることが分かったので、特急電車に乗り込みました。
 丹波橋駅で電車を降り、改めて地図を見ると、伏見桃山城の手前に「桓武天皇陵」がありましたので、そこを目指して歩き始めました。
 改札を出て右手に歩いて行くのですが、だらだらとした坂道になっています。婆さんが来たら、「絶対に文句を言うな」等と思いながら歩くと「桓武天皇陵」の入り口にぶつかりました。
 杉木立の中の緩やかな坂道を登ると、左手に桓武天皇陵があります。桓武天皇は、平安遷都をした天皇です。

 道に戻り左に歩いて行くと、広い道に出ました。そこにあった道標を見ると、左に行くと伏見桃山城ですが、直進していくと明治天皇陵に行けることが分かりました。
 先に「伏見桃山城」に向かいます。このお城は、豊臣秀吉や徳川家康が作った城の跡に作られたものではなく、昭和39年(1964)、「株式会社 桃山城(近畿日本鉄道株式会社のグループ会社)」が作った遊園地の施設として作られたもののようです。それでも、その時代の雰囲気を感ずることが出来ました。

 桓武天皇陵から出てきた道のところまで戻り、左に曲がって明治天皇陵を目指します。京都を作った天皇と、その京都から東京に移った明治天皇の陵が、同じ一帯にあると言うのは興味深いものがあります。
 杉木立の中を進んでいくと、広い砂利道に出ます。明治天皇陵に向かう道です。明治天皇陵は、広々としていて、伏見区の向島方面もよく見えます。良く整備されていて気持ちの良い場所でした。ここは、豊臣秀吉が築城した「伏見城本丸」の跡と言われています。

 陵から続く広い砂利道を降りて行くと、京阪の「伏見桃山駅」向かう大手筋通です。参道の入口に石碑が建っていました。

 大手筋通を降りて行くと、以前来たことのある「御香宮神社」がありました。立ち寄って、神社の名前の由来となった「御香水」をいただいてきました。

 道の途中には、大きな鳥居があります。

 大手筋通には、京阪の他に、近鉄の「桃山御陵駅」もあります。その駅のガード下に、良い感じのラーメン屋さんが目につきましたので、ここで昼食。有名なラーメン屋さんの様でした。美味しかった~。

 京阪の「伏見桃山駅」から電車に乗り藤森神社がある「墨染駅」に向かいます。
 墨染駅の西側には、「墨染寺(ぼくせんじ)」があります。豊臣秀吉により復興されたお寺で、「墨染桜」で知られています。現在の木は、三代目のようです。「桜寺」とも呼ばれ、本堂には「桜寺」の額がかかっていました。

 墨染駅に戻り、踏切を渡って直ぐの道を左に進んでいくと、藤森神社になります。
 「藤森神社」は、約1800年前に、神功皇后によって創建された皇室ともゆかりの深い古社で、菖蒲の節句発祥の神社・勝運と馬の神様として知られています。競馬関係者や競馬ファンの参拝者も多いようです。境内に紫陽花の花がたくさんあることから「紫陽花の宮」とも呼ばれています。

 境内に二箇所ある紫陽花園は、花が咲き始めた所で、来週頃が見頃になると思います。

 本殿の右横には、神功皇后が軍旗を掲げた「旗塚」や名水「不二の水」がありました。名水で喉を潤して来ました。  
 旗塚は古い「イチイの木」の切り株が祀られていて、「腰痛が治る」と書いてありましたので、しっかりと拝んできました。

 神社を出て、右に進み「藤森駅」に向かいました。深草商店街が続いていました。
 今日は、坂道を多く歩いたので、少々、疲れました。駅について歩数計を見たところ、表示が狂っており正確な歩数は分かりませんでした。表示されていた歩数は、12,194歩となっていましたが、明治天皇陵で確認した時には、1万歩を超えていましたので、四条烏丸に戻った時は、2万歩を有に超えていたと思います。
 良く歩き、紫陽花の花を楽しんだ散歩でした。



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