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爺ちゃんの「ずくだせ散歩」!

京都祇園祭:山鉾巡行(先祭)を激写!

 今日は、晴れ間も広がった昨日から一転、小雨時々大雨と言った天気の京都です。気温は30度程度ですが、蒸し暑く感じます。

 昨日は祇園祭(先祭)の山鉾巡行がありました。天気を心配していたのですが、時々、晴れ間も広がり、雨の心配もない中で巡行が行われました。祇園祭にかける皆様の熱意が、八坂神社の神様に通じたのだと思います。

 平日でしたので、巡行を見る場所に苦労するほどの観客数ではありませんでした。発表では、約12万人ということです。私は、四条通で一番前に陣取り、縁石に腰を下ろして見ることが出来ました。時々、警備の方から「足を引っ込めて」と注意されながら。婆さんは、家で「テレビで見ている方が良い」とのことでした。

 8時30分頃に家を出て、室町通を下がって四条通に向かいました。山伏山や霰天神山、菊水鉾が出発準備を完了していました。

 四条通には山鉾が入って来ていて、開始直前の光景を見ることが出来ます。長刀鉾も四条烏丸の交差点まで移動し、稚児の搭乗を待っていました。

 道路に座って開始時間を待っていると、何やら歓声が上がりました。望遠レンズで覗くと長刀鉾に稚児が搭乗するのが見えました。いよいよ出発です。

 1番は「長刀鉾」です。生稚児が乗る唯一の鉾です。この長刀の刃は、八坂神社と御所の方には向かないという話を聞きましたが、確認したことは有りません。

 2番目は「蟷螂山」です。屋根にカマキリを乗せた山で、唯一、からくり仕掛けでユーモラスな動きが人気です。

 3番目は「芦刈山」です。世阿弥の謡曲「芦刈」が基になっている山です。

 4番目は「木賊山」です。これも世阿弥の謡曲「木賊(とくさ)」が基になっていて、我が故郷「信濃国」に関係する話のようです。

 5番目は「函谷鉾」。中国の故事を題材にした鉾で、前懸けは旧約聖書の場面を表現したタペストリーです。乗っている稚児人形は「喜多丸君(かたまるきみ)」と言います。

 6番目は「郭巨山」です。江戸時代に疫病が流行り、それの退散祈願のために急遽、山を建て八坂神社に参拝したため、山鉾の中で唯一、鴨川を東へ渡った山だそうです。

 7番目「綾傘鉾」。ここだけ2基の傘鉾です。稚児行列や「棒振り囃子」が特徴的で、棒振り囃子は見応えが有ります。

 8番目「伯牙山」。明治の初めまで「琴割山」という名前だったそうです。中国の琴の名手「伯牙」の名前に由来している山です。

 9番目は「菊水鉾」です。昭和27年に再興を果たした鉾で、町内にあった井戸「菊水井」が名前の由来です。稚児人形は「菊丸」。

 10番目は「油天神山」です。北野天満宮の「菅原道真」公を「丑の日」に移しておまつりしているので「牛天神山」ともいわれています。他の「舁き山」(担つぐ山)もそうですが、実際に担ぎ上げるのは「辻回し」や「くじ改め」の時ぐらいで、通常は、山に車輪付けて引いています。

 11番「太子山」。聖徳太子をおまつりした山で、この山だけは松でなく杉の木を立てています。

 12番目は「保昌山」です。保昌という武士が和泉式部に恋をして、その求めに応じて御所の紫宸殿から「左近の梅」の枝を折ってきたという話がテーマです。

 13番目は「鶏鉾」です。見送り等の懸想品は、16世紀にベルギーで制作されたものだそうです。稚児人形に名前は付いていないようです。

 14番目は「白楽天山」です。名前は唐の詩人「白楽天」からきています。ここの前懸けもベルギー製で「トロイア陥落図」を描いています。

 15番目は「四条傘鉾」。この傘の下に入ると病気にかからないと言われ、子供たちが棒振り踊りを披露します。

 16番目は「孟宗山」です。中国の史話に出てくる孟宗が、母親のために、雪の中でタケノコを探したという話が題材。

 17番目は「月鉾」です。山鉾で最大の鉾です。左甚五郎作の白兎や円山応挙の草花図が描かれていて「動く美術館」と言われています。稚児人形は「於菟麿(おとまろ)」です。

 18番は「山伏山」。ご神体は「山伏」で、八坂の塔が傾いた時、祈祷をして真っすぐにしたという伝説があります。

 19番目は「占出山」。神功皇后がご神体で、戦勝の「吉兆アユ」を釣り上げた神話から「鮎釣り山」とも呼ばれます。

 20番目は「霰天神山」。室町時代の大火の際、「霰と共に小さな天神像が降ってきて類焼を免れた」という話が名前の由来です。

 21番目は「放下鉾」です。鉾頭は、「日・月・星」の光が下界を照らす形を現してます。稚児人形は「三光丸」で唯一の操り人形です。

 22番目は「岩戸山」。鉾と同じく引き綱をつけて引っ張る「曳山」です。「天の岩戸開き」「国生み」の神話が由来で、「イザナギノミコト」など三人の神様を安置しています。真松が青空に良く似合っていました。

 23番目、常に先祭の「しんがり」を務める鉾です。神功皇后が出兵する際の「出陣の船鉾」といわれます。きらびやかな鉾です。

 全部で23基の山鉾を見てきました。いままでは見たい山鉾だけを見ていましたので、全部を見るのは今回が初めてです。立ったり座ったりの繰り返しで足腰が痛くなりましたが、その甲斐があった先祭りの巡行でした。

 その後、街を少し歩いたのですが、その様子は明日アップする予定です。今日は写真が多すぎました。

 

 

 

 

 

 


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コメント一覧

kyoto2014
@tyaromaron さん
寺町通を巡行していたのは、松原通を巡行していた時期なんでしょうか?そんな昔では無いのかな?
身近を通る鉾、迫力があったと思います。新町通で見たことがありますが「これぞ巡行の魅力!」と感じました。

祇園祭りの思い出はたくさんお持ちなんでしょうね!羨ましい限りです。是非ともいろいろ聞かせてください!
tyaromaron
一時期、寺町通を巡行したはりました。
あれはなんでか子供やったしよく知りませんが・・・😆
足をひかれそうなすぐネキを通らはるんでヒヤヒヤ・・・
月鉾に可愛がってくれたはる お兄~ちゃんがお囃子の笛で乗ったはって
腰にぶら下げたはる紐に粽をくくって私に下ろしてくりゃはるんです🤩
あのお兄ちゃんも、もう90近いかもな~😅

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