兵庫県精神障害者連絡会・代表のブログ

1995年に設立された兵庫県精神障害者連絡会の設立時メンバーであり,20年間代表を務めているメンバーのブログです

髙見さんの『重度精神障害を生きる』を読んで 〈感動し大きな展望を持った〉

2023-07-16 | 日記

髙見さんの『重度精神障害を生きる』を読んで

〈感動し大きな展望を持った〉

精神科医・木村政紘

 

 私はこの本を読んで感動しそして大きな展望を持ちました。「当たり前に生きるための闘う」これがこの本の本質を見事に表しています。

「各人は能力に応じて働き必要に応じて受け取る」という「将来社会の原理でなければ障害者は解放されない」という道を自分の闘いを通して勝ち取ったのです。

 

 幼児期から悩みながら成長し、高校生の時には内科医から「ノイローゼ」と診断を受けていた。家族からも社会の誰からも共感されることのない中で、映画『明日に向かって撃て』を観て衝撃を受ける。大学生になりベ平連のデモに参加し高校のころ読んだサルトルのアンガージュマン〈参加〉を表現していった。その後、運動の中で政治組織の中で人間としての尊厳を否定され精神症状を再発する。1977年に郵便局に入局、2年後職業病であるバイク新藤病と頚腕・腰痛症を発症し徐々に「うつ状態」にまで悪化していった。病状は進行し二度目の病気休職後、総務課長は勤務時間も内容も十割でないと復職を認めないと圧力をかけた。交渉はずるずると続き期限切れで免職にされた。その後、一度目の解雇取消しを経て、1992年に強行された二度目の解雇に対しての解雇撤回闘争は、全逓4・28連絡会、南兵庫郵便局部落解放研究会連合、関東「障害者」解放委員会などの支援を得て一気に全国闘争化した。裁判になり一審神戸地裁判決で森本彪裁判長は「今の社会では障害者は差別されている。障害者差別を改善するには雇用促進は重要であり、この解雇は取り消されなければならない」と、原告勝訴の判決を出した。2000年3月、大阪高裁は「重度精神障害者には障害者雇用促進法は適用されない」という酷い差別判決を書いた。最高裁は上告を棄却したが、最高裁に向け取り組まれた署名運動は14,500筆集まった。大勢の人たちがこの解雇撤回闘争に注目していた。この闘いは精神障害者の労働権獲得の道を開く一歩の前進だった。

 

〈障害者差別について〉

 

 19世紀末英国のゴルトンは「劣悪な遺伝形質を持った人を排除し優秀な民族を発展させる」という優生学なるものを打ち出した。アメリカでは1907年~23年にかけて32州で断種法を広げた。ドイツではT4作戦という安楽死令によって30万人の障害者をガス室で虐殺した。日本では1930年頃より日本民族優生運動協会を作り「民族の花園を荒らす雑草は断種により刈り取り民族の永遠の繁栄を期さねばならない」と障害者差別・民族差別を強めていった。1940年には国民優生法を制定した。1948年、優生保護法を制定し強制不妊手術に加えて妊娠中絶手術も行われた。1970年代には兵庫県から始まった「不幸な子供を産まない運動」が全国に広がった。優生手術は1949年~96年の間に84万5千件行われた。そのうち強制不妊手術は2万5千人に上る。反対運動の高まりによって1996年には優生手術は削って母体保護法に代わった。しかし、今でも出生前診断でダウン症などの障害が見つかれば中絶しようとの動きがある。

 1960年代にはコロニー政策によって知的障害者の収容施設は全国的に展開された。元職員の植松によって「障害者は生きる価値がない」として障害者19人が殺され、26人がけがを負わされた「津久井やまゆり園」は1964年に設立された大規模収容施設である。

 いま、優生思想・強制不妊手術を許さない闘いは手術を受けた当事者を先頭にして全国で闘われている。しかし最も大量に強制手術をされた精神障害者はまだ声を上げることができていない。

 1950年には精神障害者の隔離・収容法である精神衛生法が制定された。当時は2万人だった精神病院入院者は1970年には33万3千人という世界にも類を見ない大量の人々が入院させられている。その多くは強制入院だ。社会が精神障害者を作るということをこの数字は示している。

 髙見さんが「入院しなくて良かった」というのはその通りだ。関西では1968年栗岡病院、69年安田病院、70年十全会病院、79年大和川病院で大量の虐待と虐待死が表面化し、最近の神出病院事件へと続く。関東では1983年宇都宮病院事件で4年間で222人死亡、最近では滝山病院事件へと続く。それに負けないで社会の中で生き闘っている精神障害者も多くいるが、この闘いをもっと大きなものにしていかないといけない。

 髙見さんは、資本主義社会にとっては『資本の価値増殖に役立たない者は社会的に存在価値がない』という差別・抑圧を告発し、障害者解放は資本主義を打倒し、共産主義社会を勝ち取らねばならない、と高々と提言している。

 

〈共産主義社会とは〉

 

 マルクスは「人間は類的存在である。個人は社会的存在である。個人の生命発現は他の者と一緒に遂行される共同的な生命発現という直接的な形態をとるが、そうでなくても社会的生活の発現と確証される」とした。

 髙見さんが「能力に応じて働き必要に応じて受け取る」と言っている社会である。重度障害・脳性麻痺で自分で食べたり歩いたり排泄したりできない人も他の人の介助を受け、共に喜びをもって社会生活を当たり前に生きて行ける社会である。これこそが障害者が解放された社会である。全ての人間が解放された社会である。

 

〈どうやって共産主義革命に勝利していくのか〉

 

 髙見さんが言うように、マルクスは労働組合の闘いを重視していた。「労働組合は賃労働と資本の制度そのものを廃止する組織として重要であるが、労働者階級の完全な解放の為に、あらゆる社会運動と政治運動を組織しないといけない。賃金の最も低い労働者の利益を細心に図らなければならない。労働組合の努力は狭い利己的なものででは決してなくて、踏みにじられた幾百万の大衆の解放を目標にするものだと一般の世人に納得させなければならない」(マルクス)。髙見さんはマルクスの言説を「労働者階級は差別・抑圧と闘い、自らの差別をのりこえて、それ等の解放を勝ち取ることで被差別・被抑圧人民の信頼を得ることがプロレタリア解放の前提条件だ」とまとめている。

 1917年のロシア革命は勝利したが世界革命は起こらなかった。ロシアにおける革命派の敗北、ドイツ革命の敗北やイギリスでの革命が起きず、世界革命は成就しなかった。髙見さんはこれを総括して革命勝利の道を作ろうと言っている。今、労働者人民は、革命に勝利した社会はどんな社会なのか、人民が解放された社会をイメージできなくなっています。また、どうやって勝利していくのか分からなくなっています。

髙見さんと共に考え闘っていきましょう。

 障害者を中心とした運動を大きく作っていきましょう。重度障害者が当たり前に生きる社会を作っていきましょう。そして、在日アジア人民・部落民・女性・沖縄・LGBTQなどの被差別民衆の闘いと共闘していきましょう。

 

【木村政紘さんは、82歳の現役の精神科医。1960年安保闘争を闘い、関西「障害者」解放委員会結成に加わった老革命家である。現在、髙見の主治医。この文章は原文がA4で7枚分あり「自由に削ってくれて構わない」ということであったので、かなり大幅に削っています。そのために意図が分からない箇所があるとしたら、編集した髙見の責任です。】