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楢篠賢司の『人間とは』

人間とは何かを研究しています。現在は経済学を自分のものにしたいと目下勉強中です。

富とは人生を豊かにするもの。それは労働である

2008-12-12 17:40:45 | Weblog
この題名にやっとたどり着いた。人が書いていない世界、手探りの世界がそこにはある。自分自身の頭の中で何度となく答を出しては消し、また新たな答を出していく。そしてたどり着いたのが『富とは労働である』という答になる。労働は富を生み出すものと考えることもできるが。そこには以前書いた文章の中でコラムニストの文章を引用させてもらったが、富とは肥沃な農場、効率的な工場、そこで働く技能の高い労働者などであると学んだ。となっていたが私なりにそれを一歩深読みをしてみたい。

まず「肥沃な農場」と書いているがそれは富を生み出す土地と考えることができる、ではどのようにして肥沃な農場が富を生み出すのか、いくらそこに肥沃な土地があったとしても、そこに人の手が入らなくては作物も実らない、肥沃な農場だけでは富を生み出すことはできない。そこに人間の労働が入ってはじめて作物を実らせ富を生み出すのである。
また人間の労働が入らない前の状態では耕作に適した土地とはいえない。富を生み出す肥沃な土地は人間の労働が入ってはじめて優良な耕作地として富を生み出すのである。

最初痩せ細った土地であったとしても、人の労働が入ることによって肥沃な土地へと生まれ変わる。そこから肥沃な農場が富を生み出すのではなく、人間の労働そのものが富を作り出し、富を生み出すものであるというとき、人間の労働そのものが人間社会の富であると言えないだろうか。

 私はあえて人間の労働そのものが国家の富であるという言葉は使いたくない。

 効率的な工場も同じことが言える、最初から効率的な工場があったのではなく、長い時間をかけ、そこで働く人間の労働があってはじめて効率的な工場になったといえる。またたとえ効率的な工場が出来上がったとしても、人間の労働がそこに投入されなくては物を生産することもなく、なんの富を生み出すこともない。

 そして最後に技能の高い労働者が富を生み出すということになっているが、何度もいうようだが最初から技能の高い労働者がいたのではない。最初は素人であったが先輩から技能を叩き込まれやがて技能の高い労働者へと育っていったのである。教え導いたのもそこに労働があったことによる。

最終的な結論『人間社会の富は労働である』と言うことになる。

次回は富(労働)は富として扱われているかということになる。