4月6日の記事(「ヤマト政権と国造」)の続き。
ヤマト政権に服属し、国造(くにのみやつこ)となった地方豪族は、
ヤマト政権の創立メンバーでもある蘇我(そが)氏や物部(もののべ)氏といった有力豪族同様、
「姓(かばね)」という称号を授けられる。
姓を授けられるという点では平等(上の図参照)だが、
その姓には「臣(おみ)」、「連(むらじ)」「君(きみ)」などの種類があり、
ヤマト政権における地位や職能を表す。
そういう点では、平等からほど遠い。
さらに、同じ国造でも、あとから服属した者、支配エリアの狭い者などは、「直(あたえ)」という姓があたられる。
「あたえ」があたえられる………ダジャレみたいだね~
君を授かった豪族は、臣、連を授かった豪族より、
一段も二段も下のランクとされる。
直を授かった豪族は、
その君を授かった豪族よりも一段下のランクとされる。
しかも、どんなに努力しても、出身氏族の姓はかわらない。
おそらくは、君・直姓の豪族達は悔しい思いをさせられたのだろう。
実際、彼ら地方豪族の子弟は、ヤマト政権のある近畿地方へ出て、
そこで政権に奉仕させられたようだ。
これは、きっと戦国時代のような「人質」の意味もあったんだろうね。
明日は、とうとう反乱を起こした筑紫(つくし)国造磐井(いわい)の話を書こう。
磐井は、若い頃、ヤマト政権のもので仕えていたことがわかっている数少ない例なんだ。
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