イラスト講義日本史

旧「歴史のじょーせき」。日本史が好きになってほしいという気持ちから、イラストつきで講義するよ!

大伴金村の失脚

2011年04月13日 18時10分45秒 | 古代史


大伴金村は、欽明天皇の時代になって、失脚した。

継体天皇のあとは、その子安閑天皇、宣化天皇、欽明天皇が相次いで即位したことになっている。
あくまでも、『日本書紀』だけどね

実際は、安閑天皇と宣化天皇の政権は、欽明天皇の政権は対立・並立していたらしい。

それはよく解明されていないので、大学入試なら無視して欲しい

とりあえず、父親の継体天皇の時代では権勢を誇っていた大伴金村が、
その子の欽明天皇の時代になって、
失脚することは「事実」として把握しよう。

すでに、512年の「任那(みまな)四県割譲問題」については、4月12日の記事で触れたけど、
欽明天皇が即位した540年になって、新羅が、ヤマト政権の拠点があるとされる「任那」を併合する事件が起きた。

その際に、任那四県問題が蒸し返された。
要は責任のなすりつけあいってとこかもね

そこで、物部尾輿(もののべのおこし)によって、「大伴金村は、百済に賄賂をもらっている」という爆弾発言がされた。

証拠はないようだ。

第一、任那四県割譲は、大伴金村の独断ではなく、継体天皇も承知している。
もし、これが、継体天皇の治世だったら、きっと物部尾輿の言うことは取り上げられなかっただろうね

特定の天皇や将軍の信任や寵愛だけで権勢を握る人物は、
その特定の天皇や将軍が亡くなったあとは、
だいたい、惨めな末路を迎える。

そういう例は日本史上、多いよ。
奈良時代の道鏡や、江戸時代の田沼意次なんか、その代表的例だよね。

いかに、権勢を握った時代に、他の人達の心をつかんでおくかってことだよね

さて、個人的なことだけど、
明日からうちの予備校(S台予備学校)は、新学期。
ちょっと忙しくなるから、「毎日更新」は無理だけど、続けるから楽しみにしててね。

ブログランキング参加してます。
お帰りの際はクリックお願いします
 ↓ ↓ ↓
人気ブログランキングへ