月明かりの下の独り言

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格差社会と社会政策のあり方。1月25日の「太田総理」感想

2008-01-27 | 民主主義とは
格差社会と言われている現在。それに政治がどう対処していくのか、考えさせられた。

1月25日の「太田総理、秘書田中」。格差社会に関する二つのマニフェストが議論された。

一つめは、塾の是非を巡る議論。品川庄司の品川くんが、家庭の経済状況によって塾に行けない子どもたちが出てくること、塾に行けないために有名大学への進学率が低所得の家庭で低いこと、を問題にし、義務教育の間は塾通いを禁止する、というマニフェストを掲げた。

二つめは、年金問題を巡る議論。東ちづるさんが、お金持ちの人ほど多く支払い、貧しい人ほど多く受け取れるシステム、を提案。それに対し、お金持ちの人達は、「努力していない人達に、自分たちが頑張って稼いだお金をあげるのは嫌だ」という意見。

どちらも、格差、というものに、政治はどう向き合っていくべきか、という問題に正面から組み合った、面白い議論だったと思う。

ずっと昔のように、資本主義がプロレタリア革命を経て社会主義へと移行する、ということはもうほとんどの人が信じていない。資本が一人歩きし、人間自体を操つり、人間は資本の動きをコントロールできない時代に、さらに最近の中国を見ても、あれがなぜ共産主義なのか、というのは分かりがたく、どちらかというと管理された部分は自由主義国家にくらべて大きいけれど、あれはあれで資本主義である、といえるだろう。それに社会主義国家ソ連の崩壊は、言うまでもなく、社会主義に対する信頼性を失わせた。けれど、最近の若手研究者の中では、再びプロレタリア革命への期待が高まる傾向が見られる。これについては、またいつか書こうと思っているけれども、私も、革命的な手段で社会主義へ移行するという説は承服できないけれども、今のままで行くと社会主義的な傾向にも至らざるを得ないのかな、なんてことをぼんやり考えてみたりする。

資本主義に矛盾するようなものであれ、とにかく何もかもを呑み込んでいく資本主義の原則からいくと、資本を持っているものが絶対的に有利であることは確か。資本は、どこに向かって流れていくのか、予測がつかない。たとえば、サブプライム問題で行き場を失った資本は、石油市場の投機へと向かって、今の原油高をもたらしている。思わぬところで、それほどお金を持ってないとは言えない中流の人達が、大きな損害を受けたりする。

う~ん、うまく繋がらないけど、きっとお金持ちの人達の「成功=努力」という論理は、まったく否定できないにしても、最初からお金を持っている人達はより有利に上昇していける、ということも、確かだろう。同じだけの、上昇にむけての動機を持っており、同じだけの努力をした場合、やはりお金持ちのほうが有利だろうな。そんな意味では、ある程度の格差解消を目指した、資本を強制的に再分配するような、社会主義的政策が必要になってくるのかもしれない。

塾論争でめずらしく反対席に座ってた太田さんが、次のようなことを言ってた。彼は、松本清張を引き合いに出し、彼が小学校までしか行っていないこと、彼の小説のすばらしさは、そんな不遇の時期があったことによって生まれてきたこと、その機会を奪うことになるんじゃないか、そんなことを発言してました。

逆境があったからこそ、生まれた個性。逆境があったからこその、発見。逆境があったからこその、強い精神力だったり、強い動機だったり。いわゆる、ハングリー精神、みたいなものの存在。なにかが足りない状況ってのは、人間にエネルギーを与えてくれるからね。

行き過ぎた格差は、是正していくことが必要だろう。だけど、行き過ぎた格差是正もまた、いろんな可能性をつぶしてしまうんだろうな。努力してもそれだけ報われない社会が、どんな結果をもたらしたのか、それはソ連の事例を見たら明らか。さらに、頭のいい奴は、かならず手厚い福利厚生にタダ乗りしてくるんだな。そういう輩がたくさん出てきたら、やっぱり社会主義的な行き過ぎを是正することが必要になってくるんだろう。そうなると、また自由主義的な社会に振り子は戻っていくんだろうな。

社会主義と自由主義、どちらも、絶対的にうまくいくシステムではない。だから、バランスが大事、だと思うんだな。


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