車好きオヤジのブログ

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親子

2013-04-14 20:17:00 | インポート

若隠居さんに乗せられてダラダラと書き綴ってしまったが、
車ネタでもなく場にそぐわぬ重い話にしてしまい申し訳なかったが

今回で最終章とさせてもらおう。
どこの家庭でもその屋根を一つ捲って覗いてみれば必ず何かの問題を抱えている。
最低限の経済的な部分も終戦直後じゃあるまいに

食うに困るなんて者はほとんどいないだろうし、
たとえ何不自由ないように見える金持ちでさえも例外ではないと確信している。

俺の場合なんて所詮親が先に逝くという極々普通の話で愚痴やぼやきは出るかも知れないが、
心の底では恵まれていると思っているのだ。
子供を先立たれた知人がふと漏らした「順番通りが1番やで」という台詞が忘れられない。
普通とか当たり前みたいなことがどれだけ有難い事なのかなんて思ってしまうのは

単に歳行ったからかもな。


納期の問題もさることながら色々なハウスメーカーや工務店に相談して判ったのは
都度改正される建築基準法によって狭くて傾斜に面した実家では建て直すと
今より更に狭くなってしまうことだった。
参考に見積してもらったプランニングを見てもかなり無理がある。
それでは何の為の建て替えか意味がなくなってしまうというものである。

人気テレビ番組の「ビフォーアフター」が新築をしないのもその辺りにポイントがあるのだ。
つまりその家が建てられた当時の建築基準で合法であれば

そのままの広さで改築は可能なのである。

築30年以上の実家は躯体はまだしっかりしていたが震災で外壁やブロックにクラックが入り
そのまま住み続けるには遅かれ早かれいずれやり直さねばならなかった。

ある時見かねたかのように知り合いの建築士がプランニングしましょうかと

声をかけてくれたのです。
仕事で付き合いのある方ではあったのだが公私混同したくない為に敢えて依頼しなかったのと
わざわざ別に設計してもらうには費用的に高くつくと考えていたのだったが

これは全くの先入観であった。

プランニングだけならタダでして上げますよとやってもらった図面を見て驚いた。
どこの住宅メーカーより合法的でに広く、またその動線も無駄のない設計だったからである。
因みに建築士の彼は広い土地さえあるのなら平屋が1番で、
日本の住宅事情ではなかなかそうはいかないのでマンションの間取りがベターだと言う。
集合住宅に対しては狭い日本では何十年間も蓄積されてきたノウハウがあると言うのである。

通常自社で建築士を抱えている会社の方が設計料金が込み込みで

安くつくと思いがちなのだが、
どうしてもその会社が得意とする工法、材料、間取りなど一定の制約の中でする為に
案外それがベストの設計とは言えない場合が多いのだ。

極端に書けば客の都合より自社の都合を優先するという事になるな。

また誰もが黒川紀章や安藤忠雄に設計を依頼する訳ではない。
専門家に依頼するのは建築費用に比べると実際にはたいしたこともない場合が多いのだ。
寧ろ良い設計なら工事代金も安くつくのは盲点であった。
このプランニングを基に再度各社に見積依頼をした結果、

結局は建築士の紹介してくれた工務店になったのだ。

大手ハウスメーカーにも少し触れておこう。
自社の設計プランより優れていると認めて再見積をしてきたのはダイ○ハウス。
費用的な差が詰まらず依頼する事が出来なかったが1番まともな会社のように思う。
敢えて名前は伏せるが他のメーカーは似たりよったり。
一般客を相手にするには非常に馬鹿したような舐めた営業マンが多かったのが事実だ。
知らない素振りをしていたが残念ながら俺自身全くの素人でもないのである。
親が倒れて同居の為に急いでいるのを適当な対応で誤魔化して済ませようという魂胆が

見え見えなのだ。
人の足元を見るような営業マンが増えているのは非常に残念に思う。

業者が決まってからの手配は周囲の関係者の協力で驚くほど早く進んでいった。
建築士、基礎屋、大工、瓦屋、電気屋、等などから土地家屋調査士、司法書士に至るまで
合法内ながらもちょっとここには書けない裏技的な連携でただ感謝するだけだ。

上棟式にはホームに親父を迎えに行きミニバンの車内からだけだったけど見せる事が出来た。
そしていよいよ完成。
親父が危篤になったのは引越しした翌日の事だった。

くも膜下出血というのは発症直後の危険な状態を脱すれば比較的致命的なものではない。
親父の場合も適切な処置によって緊急入院、手術も成功し主にリハビリを重ねている段階で、
歩行とトイレの問題さえクリアされれば自宅養生も可能と思えた。

ホームから救急車で運び込まれた時に肺炎を起こして意識がなくなったのが不思議だったが、
これは「誤嚥性肺炎」というものである。
人は意識せずとも自然に息を吸い、水や食事を摂れるようになっている。
つまり喉からは肺と食道に自動的に弁が切り替わる訳だ。
たまに慌てて食事をした際に気管に入ってむせることがあるが、

あの状態になってしまうのである。
口から食事を摂らずに点滴状態だった親父だが唾液が肺に入って炎症を起こすのだった。

正月に必ずと言って良いほど年寄りが餅を喉に詰まらせて亡くなる事故が報じられるのも
ほとんどの場合注意不足ではなくこの類なのです。
これもある意味老衰なのだろう。
医学が発達し治療法や手術によって今迄では致命的だった病気が

延命されるようになったものの患部以外も当然寿命が来ているのだとね。
当時はこんな考え方は出来なかったし、それが我が身に起こるとも思ってなかったのは勿論だ。

引越しの段ボール箱もまだ全ては開けていない状態で

泊まりがけに必要な最低限の衣類を取りに帰り、
夕方母親と交代する為に病院に向かって走っていたのだった。

静まり返った病室に入った俺だが親父の傍に駆け付け、まだ温かい手を握って叫んだ。
「親父。今着いたで、俺や○○や。」

!!!!!!!!!!

ビックリしたが突然親父が目を開けて何かを言いたかったのか口を動かし始めたのだ。
視線は定まらず朦朧としていたが、

もう呼吸もしていなかった状況ではもがくだけで声にもならない。
「もう判った。判ったからもう喋らんでええ。ここにずっとおるから安心しいや。」
手を握ったまま俺が言うと納得したように静かに目を閉じ、それが臨終となったのである。

この世に未練があったのか頼りない息子が心配だったのか判らないが、
俺が到着するまで待っていてくれた気がしてならなかった。

主治医の言うには人は医学的に死亡と診断されても直後にはまだ脳は生きていて
周囲の者の声や会話が聞こえているらしいのだった。
尤もそれに応えるのはとても珍しいようなのだが。
昔の人が亡くなった身内の前で家族が言い争ったり揉めたりするのは良くないと
言うのも本人に嫌な会話を聞かせながらあの世に送らない為だとすれば納得出来る話だと思う。

先に俺が「血」と書いたのはこの事だ。
最初は驚き不思議がっていた母親の落胆ぶりも大きかった。
朝に危篤になり交代してからずっと手を握ったり呼びかけをしても全く反応がなく、
俺が到着するや否やの状態は自分が嫁いで来てから今迄の長い人生を

全否定されたように思ったようだ。

結局親父と一度も同居はすることもなく母親とも半年だけしか一緒に住むことが出来なかった。
まもなくして肺癌が再発したのだ。
高齢もあり再手術も出来ず自宅養生の後、

最後はホスピスのお世話になるしかなかったからなのだ。
ホスピスとは終末期を迎える為の医療機関の事であるが、
これも実際に利用するまでは誤認していた。
謂わば姥捨て山的な感覚で家族としては入れたくない方の気持ちが大きかったのだ。

末期ガンに加えて認知症が入って来た母親も親父の時と同様に

俺以外にまともに話せない状態になっていった。
親父より性質が悪かったのは中途半端に動き廻れるのと一見普通に会話が可能な為に
介護申請の為の担当者がヒヤリングに来た際も実際には

かなり日常の生活に支障をきたしていたのに
何でも普通にこなせると答えたので死ぬまで要支援の認定しかもらえなかった。
また俺が仕事に出た後は妻には態度がコロッと変わって

好き勝手言うようになっていったのだった。

見かねた妹が一旦帰宅した際に初めて一人でユニットバスの30センチが

越えられなくなっているのが判ったくらいで意識がはっきりしている段階では

実の息子であってもトイレや風呂に入れるのは困難だった。
認知症もあったろうが母親は能天気なタイプで嫌な事はすぐに忘れてしまう性格が、
肺癌になった時にステージ3と診断されて6年以上も生存出来た

理由のひとつではないかと感じる。
何度も本人に隠すことなく伝えていても最後は自分の背中の痛みが

何故なのかとしきりに言うようになっていた。

ホスピスは今後益々現代社会ではなくてはならない存在になっていくだろう。
延命治療は行なわないが、患者本人が1番苦しまない方法を選択してくれるのは

家族として非常に有難い。
また水やお茶、食事もきちんと出してくれるが飲み食い出来なくなっても

点滴や外科的に強制することがないのも
1番自然死に近い形を取ることが出来た理由である。

何より本人が苦しむ事が少なくて家族の負担も軽減されるのは最大のメリットである。

食が細くなり水分もあまり摂れなくなってから丁度1週間で息を引き取ったのだ。
最後には姉や妹も呼び寄せて臨終を迎える事が出来たのは良かったと思うしな。
親父の時と違って妹が付き添っていた夜中に亡くなったので俺は実際の間際には

立ち会えなかったけど母親も娘に看取られて良かったのじゃないだろうか。

新しくなった自宅はまだまだローンが残っているけれど

こんな事情がなければ新築することもなかったと
思えば両親のお陰で建てられたのかも知れない。

今月から娘が京都、息子が徳島と巣立って行き急にガランとなってしまったけれど、
俺の子供達が今の俺の様になった時、どうなっているかは誰にも判らないし、

今の俺と同じようにさせるのは酷だと思う。

この世は全て巡り合わせか順送りとと思うしかないだろうって事なのだ。       

 

(了)


コメント

--------これより以下のコメントは、2013年5月30日以前に-----------
あなたのブログにコメント投稿されたものです。

北のはげおやじ [2013年4月14日 20:55]
順送りできたのは、なによりでした。
自分自身の死に方も、そろそろ考えなくてはと妻とはなしています。
車好きオヤジ [2013年4月14日 21:02]
おやじさん。
サプライズコメントは有難しですが手術はいつなのでしょうか。
決して鬼の居ぬ間の洗濯やなくて気にしてまんねんで(笑)!
オジジ~ [2013年4月14日 22:32]
大変なご苦労、ほんとにお疲れ様でした。
我が家も、まもなく新たな展開が間近であるだろうと思っています。
以前恩師に「親の死は、子供にできる最大で最後の教育」と言われたことがあります。
まったくもって「順番通りが1番」なのでしょうね。
これをもって、この先の自身の振る舞いに活きるのでしょう。
若隠居 [2013年4月14日 23:41]
長い!!
けど、一気に読んでしまった。
これだけ長く書ける筆力!!

折角、オヤジさんが書いてくれたので、
私の養父の場合を書かざるを得ないね。。。

肺気腫を発症して15年
(70歳近くまでヘビースモーカー)
傘寿を迎えようという頃、
自宅療養に付き添ってもらっていた家政婦さんから、
便が黒いので大腸がんの可能性があると示唆されて、
再入院させた。
小康状態が続いた後、
4月某日の夕方、病院を見舞った。
親父が、珍しく
「もう帰るのか、もう少し居てくれ」
という。
「近所の飯屋で夕飯を食べて直ぐ戻るから」、
と言って病室を後にした。

しかし、用事を思い出して、病院に寄らずに帰宅した。
その夜、零時を過ぎたころ、
病院の家政婦さんから電話。
「危篤なので、直ぐ来い」。

駆けつけた時には、白布をかけられていた。。
若隠居 [2013年4月14日 23:42]
入院時、親父を車に乗せようと、久しぶりに抱きかかえた。
骨と皮だけになった親父の軽さに驚いた時、
文句ばかり言っていた
親父(養父)が、一言、
「世話になった」
と言った。。。

あの晩、親父は何故、
「もう帰るのか」
と言ったのか。。。
オヤジさんのブログを読んで
思い出した。
北のはげおやじ [2013年4月15日 4:55]
私の手術は、今日の午後1時半。
明日から、二三日うなされているとおもいます。
入院3日間は暇だった。
頑張ります。
車好きオヤジ [2013年4月15日 6:40]
オジジさん。
自分がそうなった時にはどう考えるでしょうかね?
案外子供に我儘言ってたり・・・。
車好きオヤジ [2013年4月15日 6:43]
ご隠居。
なるほど、やはり人生はその人その人のオリジナリティに溢れてますね。
人生色々、親子も色々って事ですなあ。
車好きオヤジ [2013年4月15日 6:45]
はげおやじさん、了解しました。
悪口書くなら今日の午後からですね(笑)!
無事を祈念しています。
はやてこまち [2013年4月15日 12:52]
こんにちは。
2編ともじっくり読ませて頂きました。若輩者の小生が軽々しくコメントするのは控えます。私の両親は健在ですが、妻の父(義父)は既に無くなっております。義父は私と大ゲンカした直後に無くなったので、妻は義父の死に際に立ち会うことができませんでした。私は今でもその事を妻に対して「申し訳ない」と心に残り続けています。
車好きオヤジ [2013年4月15日 14:06]
はやこまさん。
一人として同じ状態がない以上、若いも歳もおませんで。
てことで軽々しくも重々しくもないって事やないですかね。
今の時代はどうかは判りませんが女性は一旦嫁げばもうそこの先の人間になります。
カットビさんも既にはやこま家の者ですからね・・・。
若隠居 [2013年4月15日 18:02]
オヤジさん
追伸。
親父をみとってから行きたいと言っていた義母(後妻)、
親父が死んだとき、癌で入院中で、しかも既に重篤な状態。
痛みが酷くて、モルヒネ点滴中。
時々幻覚も出ていたが、
親父が先に行くまで頑張った。
でも、正気になったときに、
親父が逝った、とは伝えられなかった。

敢えて、延命処置はしないでくれ、
と医者に伝えた。
1か月後、僕らが見守る中、
静かに息を引き取った。
今でも、呼吸と心電図のグラフが
減衰して行くのを覚えている。
若隠居 [2013年4月15日 18:04]
幾度もごめん。
僕も、これで、やめる。
若隠居 [2013年4月15日 18:09]
オヤジさん
またまた、ごめん。
たまには、こういう深刻な話題もいいんでないかい?

オヤジさんのおかげで、
我々の今後を考える良い機会になった~
車好きオヤジ [2013年4月15日 19:12]
ご隠居。
コメントは何度いただいても結構ですよ。
こちらの記事掲載能力に限界があるというだけですわ。
普段もふざけて書いてるつもりはないのですが、
送り手より受け手が深刻になり過ぎるのは遠慮しといた方が良い気もしますね。
オジジ~ [2013年4月15日 21:07]
私もたまにはこういう話題もいいと思います。
全国にいらっしゃるカムリユーザーを通して
これから直面するであろう様々なことに対して、
自分にとってとても考えさせられる、良い場だと思って
ありがたく思っています。

こんなこと、普段の生活の場で話せないですよ・・・。

若隠居 [2013年4月15日 22:39]
オジジ~さん
ありがとうございます。
カムリhブログの良さですよね~
車好きオヤジ [2013年4月15日 23:55]
オジジさん、ご隠居おおきにです。
年配の方にはそう言っていただけるのは有難いと思っています。
でもこんな事って誰でも言うか言わないかだけで
皆さん経験する事ですから決して特別な話ではないでしょうね。
北のはげおやじ [2013年4月16日 19:23]
車好きオヤジさんの話題提供に皆さん共感したんですね。
コメントを読み、気持ちが穏やかになりました。
私は、昨日三時間半の手術を無事に終え、数日間は、痛みにうなされることを覚悟していましたが、全く痛みを感じません。今日から、早速リハビリを開始、手術した左足を寝た状態で上げ下げするのですが、PTの方が、手術の次の日からこのような運動ができることにおどろいていました。療養報告です。

車好きオヤジ [2013年4月16日 21:38]
はげおやじさん。
話がえらい違うやないですか。
悠長に構えてて悪口書く間がないやおまへんやん(笑)!
まずは無事な様子で良かったです。
リハビリはゆっくりしてくださいよ~!
若隠居 [2013年4月16日 22:28]
はげおやじさん
ひとまず、安心しました~
是非、おやじさんのブログに報告してください~
皆さん、喜ぶと思いますよ~
オジジ~ [2013年4月16日 22:52]
はげおやじさん。
良かった! コメントを見てびっくりしましたよ。

でも、無理は禁物ですよ。


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