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村上龍『オールド・テロリスト』

2018年08月30日 | 読書
更新が1年ほど停まってしまった。

8月の初めに、村上龍『オールド・テロリスト』を読み終えた。その読書メモを残しておきたい。

震災直後のエッセイ『櫻の下には瓦礫が埋まっている』を読んで以来だから、6年ぶりだった。
最後に読んだ龍の小説は、2000年の『希望の国のエクソダス』だった。刊行直後ではなく、文庫になった2002年ごろだったろうか。かれこれもう16年も前だ。偶然だが、『オールド・テロリスト』は主人公が『希望の国』と同じフリー記者で、10数年後の物語になる。

『13歳のハローワーク』は2003年の旧版、2010年の新版も共に読んでいる。職業体験で実際の中学生と触れ合う機会があったことが大きい。このブログでも『愛と幻想のファシズム』に言及したこともある。ただ、3・11以降は、急速に関心が薄れ、ダブル村上では、春樹は批判があっても現在の人、龍は好きでも過去の人、そんな印象を抱いてきた。

さて、その日はあまりに暑く、冷房の効いた本屋で涼んでいたかった。スマホゲームで自動周回している間に何か読む長編小説もほしい。しかしすっかり小説から離れてしまって、読みたい本が見つからない。久しぶりに手に取ったのが、『オールド・テロリスト』だった。

本の1/3ほど開き、前方に向かってパラパラめくる。文字列が流れていくのを見ていると、自分の関心のある作品かどうか、だいたいの感じは掴める。「満州国」という単語が目に入り、少し気にはなったが、それだけでは読む意欲はわかない。冒頭でページをめくる手が止まった。見た目はホームレス同然だが、スーツを着てネクタイをすれば、それなりに様になるという主人公の自己描写が、なんだか身につまされた。出版不況というが、実際には淘汰であるというのは、全くその通りだろう。

本書には石原莞爾が構想した、本土決戦における山岳ゲリラ戦への言及がある。本書を支えているのは、『五分後の世界』以来の戦前幻想だろう。ラストはVサインで希望(?)を残して終わるが、世界最終戦争も本土決戦も、軍人や小説家の空想ではなく、すでに現在進行中であると言わざるをえない。吉本隆明は村上龍の「現在性」を「自殺を禁じられた太宰治」と評したが、「自決を禁じられた三島由紀夫」と言い換えても等価な時代になってきたようだ。

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