新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

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ババア・デカ女・ブスのどこが悪いのだ

2022年06月25日 | ニュース

いやなニュースを読んだ。

 

 

https://news.yahoo.co.jp/articles/be511eb0156d76beb5b15d62916c4ef06f331ac3

 

音楽大手エイベックス(東証プライム上場、東京)の松浦勝人会長が、自身のユーチューブの番組で、女性タレントの名前を挙げながら、容姿を中傷する発言などを繰り返していたという。

 

 

松浦某がリスナーの質問に答えながら、約2時間超を一人で話す内容で、松浦氏はそこで、特定の職業を明示して「基本的にブスしかいない」と述べたほか、有名タレントや歌手の名前を挙げながら、「ババア」「うすらでっかい女」「よく見たらブス」などと発言していたとニュースは伝える。

 

 

「女性が多いと時間がかかる」と発言した元首相の森、「生娘シャブ漬」発言の吉野家元役員のマーケッター、政界・経済界の要人たちの女性差別発言が続いている。

 

吉野家の元常務を招いたマーケティングセミナーの会場では笑いが起きていたそうだ。森も、松浦某も、基本的にミソジニストとセクシストしかいない地獄のようなホモソーシャル向けのリッピサービスで、「悪意」はないのだろう。太宰のことばではないが、無意識の暴力こそが真の悪というほかはない。

 

 

私は激しい怒りを覚える。セクシャル・ハラスメント規定の制定に始まる、この20年あまりの活動を通じてようやく息吹いた男女平等のひこばえが、踏みにじられ、傷つけられ、汚されているように感じるからだ。

 

 

われわれの職場にも、過去にはセクシャル・ハラスメントもパワーハラスメントもあった。われわれ労組はさまざまな問題に、失敗を繰り返しながら粘り強く取り組み、一つひとつ解決して、「ホワイト企業」といわれるまでにしてきた。定期採用では、女性志願者のほうが多く、近年の新入社員の男女比は逆転している。

 

 

男女平等のたたかいは、組合対会社、労働者対資本家という、組合運動、階級闘争の旧来の枠組みでは進めることができない。私自身も含めた男性組合員の意識改革、行動改革が必要不可欠であった。

 

 

 

吉野家の元常務はP&Gのマーケティング部門のブランドマネージャーだったそうだ。粉末洗剤に代わって液体洗剤が主流になるきっかけとなった「アリエールのイオンパワージェル」のブランド開発などの実績があると知って、私はことばを失った。

 

 

私も含めた世間一般の男性よりは、マーケッターとして、女性の考え方やニーズ、ライフスタイルにも精通しているはずだ。それなのに、なぜあんな女性差別発言を平然と行うことができるのか。

 

 

彼には「女性が男性に高い食事をおごってもらう」という主旨の発言もあったそうだ。女性は男性におごってもらい養ってもらうもので、そのかわり育児や洗濯や掃除や炊事は女性の仕事だという、古い考えの持ち主だったのであろう。

 

 

P&Gもライオンも花王も、あからさまにそうは主張しないけれど、たまに見るテレビのコマーシャルでは、結局のところ育児・選択・家事は女性の仕事だという価値観を再生産している。あの解任された元常務のなかでは、「女性のためにより良い商品を開発するエリートマーケッターの私」と「ヤクザのマネができるちょい悪オヤジのおれ」の間に、何の矛盾もなかったのであろう。

 

 

私は、松浦の発言要旨をまとめたネット記事を読んだ。ここに引用する気にもなれない。本当に腹が立つ。

 

「ジジイ」「うすらでっかい男」「ブ男」だからといって、この社会で、その人の人格や存在まで否定されることはないだろう。「ジジイ」は貴重なシルバー人材であり、「うすらでっかい男」も蛍光灯の交換には役立ち(私がいわれたことばである)、実力社会の男社会には「ブ男」のボスなどいくらでもいる。

 

 

「ババア」「うすらでっかい女」「よく見たらブス」であることのどこが悪いのだ。この男には、若くて美人でかわいくて、自分に都合のいい女以外は、存在価値はないのだ。

 

 

以下、不快に思う人もいるだろうが、こんな外道には、外道の流儀で応じるしかない。風俗産業をシノギにすることを、ヤクザの世界では「オメコ汁」をなめて生きると表現するのだという。アイドルだか、エンターテインメントだか知らないが、エイベックスなど、所詮は「オメコ汁」「チンポ汁」をすすって肥え太ってきた女衒屋稼業であろう。

 

 

女衒風情が大きな口を叩くな。おまえのようなクズでも生んでくれ育ててくれた「ババア」たちに感謝しろ。「うすらでっか」かろうが、そうでなかろうが、女の前では、こうべを低くして生きるがいい。「よく見ればブス」たちのおかげで今まで儲けさせてもらった恩義を忘れるな。犬は三日飼えば三年恩を忘れぬというが、犬畜生にも劣る男だ。

 

 

キャバクラで一晩1億2千万円捨てるほど有り余る金は持っていても、いつまで経っても誰からも尊敬も称賛も得られなかったのだろう。惨めな承認欲求の塊だったというほかにない。結局、YouTubeにハマって、自分も心の底では軽蔑しているだろうネットイナゴどもから「いいね」をもらって喜んでいるうちに、株主総会直前に決定的な失言をして、「謝罪」に追い込まれた。

 

 

もちろん、「謝罪」は形だけのもので、本当の意味で反省なんかしていないだろうと思う。

 

 

エイベックスの株主総会リポートを読むがいまから楽しみだ。

 

 

別の話題の前フリだったのが、長くなってしまった。今日はこれくらいで勘弁したる。

 

同志諸君には、『ミス・マルクス』を見てほしい。マルクスの三人の娘のなかで、唯一、社会主義者として生きたこの献身的な革命家を、マルクス自身、看護婦や介護士として遇することしかできなかった。しかしエリノアの父に対する愛情と尊敬は不変だった。

 

彼女がロシア革命の時代まで生きることが可能だったら、世界は変わっていただろう。みんながエンゲルスの仕事と信じている、マルクス入門の基本文献たる『賃労働と資本』のテクストは、彼女の仕事なのだ。画像は、映画『ミス・マルクス』より。

 

 

映画『ミス・マルクス』に寄せて - 新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ) (goo.ne.jp)

 

 

 



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2 コメント

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Unknown (白鑞金)
2022-06-25 21:17:24
東京五輪の前後くらいからですかね。戦前生まれと戦後生まれとの違いもわからないくらい、昨今はあからさまな差別発言をちっとも違和感なしに口にする人々に関する報道が激増してきてうんざりです。

>無意識の暴力

これって主にマスコミがさぼってるってことなのでは。だからマスコミに期待しても無駄だろうという女性たちが増えました。自分で自分の居場所作りやそのサポートに力点を置き出した。学生時代から動き始めてもう十年という女性はぐんと増えたと思います。

一方、女性の社会進出にともなって精神を病む女性もまた増えています。女性の実力うんぬんではなくて勤め先や家庭内の問題に苦悩している患者さんが、男女雇用機会均等法以来数十年にもかかわらず加速的に増大しました。その理由の一つにですね、キャリアを積んで上級職についた女性社員の仕事の方法がかつての男社会の方法論とまるで変わっていない点が上げられるのはおわかりかと思います。そういう職場で一度つまずいた女性は再就職や労働自体に不安を持ってしまうようです。でも家計が苦しいのでアルバイト、パート等という方向で考えるわけですが、すでに競争は激しいですし。

また一言で家事労働といってもどの世帯も同じ内容ではなく、むしろ世帯ごとでまるで違う。それを一括りに論じることは到底不可能だと思います。でも国会では、ある程度仕方ないにしても、それをやってしまっているというのはとても不可解です。例外を一度許すと元に戻すまでに何倍もの努力と理解とが必要になってきますしね。

>「謝罪」

「形だけ」あるいは「空回り」について。これも一九八〇年代にやったはずです。

「『反省』とは何か。それは『行動』で示す以外にはありえないことなのだ。『謝罪』とは何か。これもまた『行動』によってしか表すことの不可能な概念なのだ。行動のともなわぬ《反省》や《謝罪》を定義すれば、すなわちそれは『免罪符』にほかならぬ。これほどキラクな行為はない」(本多勝一「『反省なき民族のために』」『殺す側の論理・P.86』朝日文庫)

>『賃労働と資本』

入門書というより「資本論」(第一部)を繰り返し読んだほうが速いかと思います。価値形態論、絶対的剰余価値論、相対的剰余価値論と、この三つをフォローしておけば古典的な解釈にもポストモダン以降の現代思想にも対応できると思うので。

>惨めな承認欲求

カミュの言葉に、「世界の優しい無関心」(異邦人)というのがありますが、主人公ムルソーの心境が不思議にも偲ばれてきたりします。

長くなってすいません。ではでは。
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Unknown (kuro_mac)
2022-06-26 04:27:03
おはようございます。

うんざりですが、こういうことがあるたび、きっちり反撃していく、犬のしつけと一緒で、ミソジニストとセクシストにはこうべを低くして生きていくことを教えていくことが重要かなと思います。吉野家の部分は、組合ニュースで書いたことの焼き直しです。

男女雇用機会均等法は、逆に女性間の分断を進めた側面もあるだろうと思います。以下、ご参考までに、上野千鶴子の発言です。

均等法の時に言われたのは「女を捨ててかかってこい、だったら男並みに扱ってやるよ」だった。ジェンダー研究者の大沢真理さんが論文で卓抜な表現をしていました。均等法は「テーラーメイド(紳士服仕立て)な法律」だと。身体に合わない紳士服を着て男並みに働かないと男並みに扱ってもらえない、と。
そのとおりの働き方を実践した結果、結婚しなかった女性、あるいは離婚した女性、結婚しても子どもを作らなかった女性がたくさんいたけど、その人たちは次の世代のロールモデルにならなかった。私たち、あんなふうにはやりたくないし、やれないって。
https://www.hakuhodo.co.jp/magazine/65297/


この問題については、また別にエントリを立てるかもしれません。今は参考文献をメモ。

大沢真里『企業中心社会を超えて―現代日本を「ジェンダー」で読む』 (講談社学術文庫)

「雇用関係は家父長制そのものではないのか?」というのは、鮮烈な提起でした。
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