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まどマギのはなし 『魔法少女まどか☆マギカ』再び

2022年06月27日 | 映画/音楽

 

Twitterの相互フォローさんが、『まどマギ』をご覧になったらしい。

お忙しいそうなのに、薦めちゃっていいのかなあと思いつつ、お眼鏡にかなったようで、まずは何より。

 

 

感想ツイート。

 

この週末を使って10年前に公開された「まどかマギカ」の前編、後編、「叛逆の物語」を観ることができた。アドバイスをしてくれたSさんとくろまっくさんに感謝。観念批判の話でもあるようなので笠井潔がどんな論評をしているか気になった。

 

 

ふむ!

 

希望が絶望に転化し、魔法少女が魔女になる魔法少女システムは、たしかに、笠井が『テロルの現象学』で批判した、解放が抑圧に転化する、20世紀の革命の歴史の悪夢そのものですね。ワルプルギスの魔女を倒したまどかは、力尽きると、世界を滅ぼす最凶最悪の魔女となってしまうのです。

 

 

『まどマギ』は作家としての笠井にとっても、孫世代にあたる作品です。『石の血脈』や『ウルフガイ』の世界観を換骨奪胎した笠井の『ヴァンパイヤー戦争』では、三種の神器は、実はエイリアンによる人類文明化装置=奴隷化装置でした。この世界観は、魔術師たちが命がけで争っていた聖杯が、実は破壊すべき禍々しいものだったという『Fate』、そして『まどマギ』の世界観に影響を与えていきます。

 

『Fate』のTYPE-MOONの作家・奈須きのこを講談社からデビューさせるきっかけを作ったのが笠井でした。『まどマギ』の脚本を手がける虚淵玄は、『Fate』のスピンオフでアニメ化もされた『Fate Zero』の作者です。『まどマギ』の佐倉杏子のキャラクターデザインも、元ネタをたどれば、虚淵がノベライズを手掛けた『ブラックラグーン』のレヴィです。

 

ちなみに、暁美ほむらの外観や設定は、どうみても、『Fate』に影響された『ひぐらしのなく頃に』で、真犯人を見つけるまで何度も同じ「昭和58年の夏」を繰り返す古手梨花がモデルです。

 

だからこの方のご慧眼のとおり、笠井に『まどマギ』関連の発言があっていいところなのですが、笠井が『まどマギ』を論じているのを見たことはありません。ある講演会のまとめで、「セカイ系」をギミックの一つとして使った作品として、『まどマギ』に言及があるだけでした。

 

このあたり、笠井の限界かなと思うところです。この問題は、いつか展開するかもしれません(しないかもしれません)。

 

私と同じくこの作品を薦めていたSさんは、この作品を仏教的に解釈しているそうです。予想外でしたが、ありえなくもない。この作品は、多種多様な解釈が可能ですね。

 

左翼的には、魔法少女システムは、マルクスのいう搾取システムそのものでしょう

 

 

資本の魂の衝動

資本家としての彼は、「人間の形をとった資本」にすぎない。資本家の魂は、資本の魂である。そして、資本の生の衝動はただ一つである。みずからの価値を増殖すること、増殖価値を作りだすこと、資本の不変部分である生産手段を利用して、できるだけ多くの増殖労働を吸いとること、それが資本の「唯一の衝動」である。

資本は死せる労働であり、吸血鬼のように、生ける労働を吸いとることによってのみ生きている。

(『資本論』第一巻II 第8章 第1節 「労働日の限界」 中山元訳)

 

 

 

裏を返して言えば、資本にとって、労働者とは「人間の形をとった労働力」にすぎません。死せる労働である資本に、吸血鬼のように、生命力を吸い取られていくしかないのです。


魂を対価に願いを実現した魔法少女の本体は、ソウルジェムです(肉体の損傷は魔力で復元できるようですが、ソウルジェムを破壊されると死にます)。「人間の形をとった奇跡と魔法」として、宇宙のエネルギー回収に酷使され捨てられる魔法少女が、「人間の形をとった労働者」のアナロジーであることはいうまでもないでしょう。自分がすでに死体と一緒だと知ったときのさやかの深い嘆き。

 

 

と、そういう小難しいことはいわなくても、、『まどマギ』を一言で簡単に説明するのなら、ある人の言い方を借りることになりますが、ニートの少女が、友だちが次々と死んでいったブラック会社に入社し、いきなり社長になって、すべてをちゃぶ台返しにして労働者を解放する物語です。

 

 

「まどマギ」の「契約」は流行語になりました。この作品がヒットした背景には、バイトやパートや派遣、雇い主に一方的に有利な「契約」を結ばせられた非正規雇用が増加した、この社会のリアルがあったと思います。

 

長くなってしまいました。

 

前言撤回するようで申し訳ないのですが、私自身は、そういう左翼的関心から、この作品に入ったわけではありませんでした。真逆で、当時仕事で取り組んでいた「源氏物語」からだったのです(なんと!)。

 

前編、後編でお届けします。以下、『叛逆の物語』より。

 



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2 コメント

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Unknown (白鑞金)
2022-06-28 10:28:36
>「まどマギ」の「契約」は流行語になりました

ほかにやることがあったのとアニメには余り関心がないのとで、見ていないのです(節約しなくてはいけない立場なので)。が、柄谷行人「トランスクリティーク」の底本出版が二〇〇四年。そこで柄谷は「資本論」の「契約」に注目しています。以来、十八年が過ぎました。岩波現代文庫版出版からも十二年以上になりますね。

「契約をその形態とするこの法的関係は、法律的に発展してもいなくても、経済的関係がそこに反映している一つの意志関係である」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第二章・P.155」国民文庫 一九七二年)

>資本の魂

もう一方の<魂>について。

「話のわかる共産主義、だが、レーニンはこうした語の前で一歩もひかず、共産主義の《魂》とはそれを《許し難い手に負えない》ものとする当のものだと言ってのけたのだ。ヒューマニズムの過誤について反省することは、与し易い共産主義の過誤について反省することでもある。それは、何ものをも失うまいとしてあらゆるものと妥協し、人間的なあまりに人間的な価値である民族の諸価値とさえ妥協するにいたったのだから」(ブランショ「明かしえぬ共同体・付録・P.225〜226」ちくま学芸文庫 一九九七年)

レーニンから。今のウクライナ問題の困難化について。予言的になりますが「議長」の一極集中を批判していますね。

「大ロシア人的排外主義にたいして、私は生死をかけたたたかいを宣言する。忌まいましい歯から解放されしだい、すべての健全な歯でこれを食いつくしてしまおう。同盟中央執行委員会では、ロシア人、ウクライナ人、グルジア人、《その他》が順番に《議長をつとめる》ことを、《絶対に》主張しなければならない、《絶対に》!」(レーニン「大国排外主義との闘争についての政治局への覚え書」『レーニン全集33・P.385』大月書店 一九五九年)

さらに労組について。

「共産主義者が反動的な労働組合に参加しないという、このおろかな『理論』こそ、これら『左翼』共産主義者たちがどんなにかるがるしく『大衆』にたいする影響の問題をとりあつかっているか、彼らが『大衆』についての自分たちの叫び声をどんなに悪用しているかを、きわめてはっきりとしめすものである。『大衆』をたすけ、『大衆』の同情、共鳴、支持をかちとるためには、困難をおそれてはならないし、『指導者たち』(日和見主義者や社会排外主義者であって、たいていのばあい、直接間接に、ブルジョアジーや警察とむすびついている指導者たち)のがわからする言いがかり、あげ足とり、侮辱、迫害をおそれてはならない。そして、ぜひとも《大衆のいるところでこそはたらかなければならない》。たとえもっとも反動的なものであろうとも、プロレタリア大衆あるいは半プロレタリア的な大衆さえいるなら、その機関、団体、組合内であらゆる犠牲に耐えぬき、最大の障害にもうちかって系統的に、頑強に、ねばりづよく、しんぼうづよく宣伝煽動を実行しなければならない」(レーニン「共産主義における『左翼』小児病・P.53~54」国民文庫 一九五三年)

レーニンの言葉はいちいちもっともだと思います。ですが、ブランショはこうも言っています。

「ビラ、ステッカー、パンフレット、際限ない街頭のことばたち、それが是非とも必要なのは、効果を考えるからではない。有効か否か、それはその時〔瞬間〕が決める。それらはすべてを語らない。逆にすべて〔というもの〕を崩壊させる。それらはすべての外にあるのだ。それらは断片として作用し、断片として反映する。それは跡を残さないーーー痕跡のない仕業・線。あちこちの壁に書かれたことばのように、それらは危険の中で書かれ、脅かしの下で受け取られるが、それら自身のうちにも危険を抱えており、それを人に渡し、失い、そして忘れ去る通行人と共に消えてゆく」(ブランショ「明かしえぬ共同体・付録・P.229~230」ちくま学芸文庫 一九九七年)

この中に「すべての外」と意味深長な言葉があります。「すべて」とは「統一・全体」という意味であって、だからブランショは、「統一・全体」といったものは不可能だと言っているのだろうと思います。

同じことを言っている文学者にプルーストがいます。「失われた時を求めて」読解ではその点についても読み進めているところです。

「ビラ、ステッカー、際限ない街頭のことばたち」は、ネット社会の中でもうどうしようもなく何かを見せつけては消えていく。それでいいのではないでしょうか。そもそもそれだけでも出来れば上出来なほうでしょう。直接「金銭ばらまき」なんてしたり、受け取ったりするほど社会人は馬鹿ではありません。一度受け取れば次から「ノー」と言えなくなってしまいます。

危険なのは共産主義がどうしたこうした以前の、幼稚な、極めて幼稚かつ深刻な次元、近畿財務局が出してしまった一人の自殺者をめぐる問題について本音では誰も腑に落ちていないという身近なところにあるのではないでしょうか。

ではでは。
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Unknown (kuro_mac)
2022-06-28 13:27:27
こんにちは。

まどマギはタイトルもご存じなかったですか。「契約」が流行語になったといっても、ネットミームのようなもので、ピクシブ百科事典にも項目があります。
アニメは時間も拘束されますしね。YouTubeが大流行ですが、ずっと視聴しているのが苦痛で。テキストで書き起こしてくれたらいいから!と思うことがよくあります。

今週は労組の新人勉強会ですが、マルクスを教えるのにも『まどマギ』は好都合でした。過去形なのは、昨年はタイトルも知らない人がいたし、今年の新入社員は、よほどアニメ好きでないと知らないかもしれないからです。流行の移り変わりは激しいです。

『まどマギ』の余得は、その後数年間、映画館に通う習慣が身についたことです。昨年は3本止まりでしたが。
ブランショは、少し気になっているのですが、なかなか手が出ません。
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