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ジュブナイルステークスで活動をしている作家『紅楓』の公式blogです。

回想。

2006年12月15日 16時42分58秒 | 紅楓
名古屋は思い出がある。
今よりも、体も状況も最悪だった頃、あれは確か洗礼前だ。

生活も、ぎりぎり。
まるで地を這うような生活。
血を吐く思いで頑張って生きていたけど、私は捨てられてしまった。


本当にいきなり、それはやって来て、あっけなくぶつりと一方的に繋がりを絶たれてしまった。


生活の為に、必死になったけど、私は、私の体ごと悲鳴を上げる羽目になった。


家に戻ってみたけど、地獄は続いてた。
荷物と共に帰った私の居場所など、とうになかった。
帰った、と書いたがあれは荷物扱いの運搬業務みたいなもんだ。

残金残りわずか。
仕事など出来なかった。

今では皆が嘘だと言うけれど。
逆に言えば、それは有難い勘違いでもある。
該当する人たちはきっと、この国における私が味わってきた地獄を見てない人たちだ。

連絡が付かないとなじられる。
こうなったのはあんたのせいだと言われる。
孤独なお荷物扱い。
具合が悪くなる。

寝ているより仕方なかった。
病院にかからせて欲しいと懇願した。
あれはもう家に帰って、どれくらいの日数だったのだろう。
でも、かかれなかった。
親の手を借りられなかった。
罵られた。
助けを求めたのにダメだった。
私は布団の上で泣いた。

弟からは寝てばかりいると言われる。
傷付いたが仕方がなかった。
私は動けたら、動いていられる力と余裕があれば、とうに動いている。
そう思った。
今でもそれは変わらない。

まともに立っていられなかった、あの頃。
私はじんわりと、死を覚悟していた。
名古屋をさ迷っていたのは、もう生きる希望がさほど見付からなくて、悲しさや怒りと言う前に、涙も出なくなってしまった。
泣きすぎてしまったのだ。

私は死にたくはなかった。
でも、どこにも居場所がその時はなかった。
いつ、倒れてもおかしくなかった。

死ぬかもしれない間際の自分がこれか、と静かに思った。
幾度となく考えていた内容だが、家の外に出てしまえば、あっけなかった。

この場所には、私を知る人間はいない。
それだけで自由で、悲しくて、寂しくて、辛くて幸せだった。

名古屋で私に文章を書いてくれた男の子、元気かな?
私は今でもあれを大事にしているよ。
ノートの字がゆがみまくってゴメン。
あれを見た時の君の顔は、私は今でも覚えている。
まだ、あそこにいるのかい?

そうそう、ほちきすがいたなあ。
なんか聴いてて泣いたなあ。
ライブ行けなかったな。
今、どうしてる?

優しい人たちもいた。
だから私は少し救われたような気がしていたんだよ。

大丈夫。私は生きているよ。
ちゃんとここで。

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