
3年の森﨑です。運悪くブログを書く機会に恵まれず、初めてのブログ投稿です。
山下和雄
艇長 植村[3]
メイントリマー 森﨑[3]
ヘッドセールトリマー
今出[2]、佐藤[2]
ピット 阪本[2]
バウ 土谷[3]
藤田[3](新)
太田[1](新)

曇天の空。風は吹かず、重い空気。なにやら嫌な予感がするような天候だった。まるで何かの前触れのような。もう事前にわかっていたことではあるが、この日の予報は最悪なものだった。雨は降り、最大瞬間風速は40kt強。過去に経験したことがあるだろうか。いや、ないと自信を持って言える。それほどの予報だった。

さて、艇に移動し、出艇準備をする。普段ならとくに艤装することもなかったが、マリンカーニバルでメインセールが裂けてしまったため、メインのバテンを入れるなどの準備をする必要があり、準備は全部で20分ほどかかることになった。しかし、帰りのエンジンのための軽油を購入するには、燃料を買える9:30まで待つ必要があったため、待ち時間を有意義に過ごすことができたと思えば幸いであろう。
給油施設の桟橋にて
「今日本当に出艇されるのですか?」
と給油施設の方が私たちに尋ねる。別に出艇前に給油をすることなど、給油施設の方にとっても当たり前のことであるが、今日という日は話が違う。予報を見るに、明らかに出艇するべきではない。こんな日に出艇しようなど、命知らずの馬鹿者に決まっている。もちろん施設の方も心配しての善意で話しかけてくれたのであろう。それに対して和雄先生がこう答える。
「いやー、今日はいけますよ」
このおじいちゃんは何を根拠に言っているのだろうか。一寸も理解が及ばなかった。やはり見えているものが違うのだろう。これが歴戦の猛者であるか。流石と言わざるを得ない。
さあ出港だ!
急に吹き出す風。ハーバー内であるというのに白波が立ち、荒れ始める空。今まで幾度となくこのハーバーに来たが、こんなこと一度もなかった。薄々嫌な予感はしていたのだが、「今日は出艇やめておきませんか?」という言葉を口に出せなかった。心底には和雄先生がいるなら大丈夫だろうという安易な考えを持っていた。
ハーバーから出てしばらくすると大きく様相が変化する。目が開けられないのだ。雨だけでなく、風が強くなり、まるで雹のようだった。波も高く、ドライブやピット付近にいるのに海水がかかってくる。雨か海水かも見分けがつかない。あの時言えなかった一言がこれほどまでに後悔することなどあっただろうか。これほどのコンディションは3年目の私も初めてであるが、それより大変なのはちゃんとヨットに乗るのは初めての一回生だ。本当に申し訳ない。その気持ちでいっぱいだった。出艇前は帆を上げる気があった和雄先生も上げない判断をするほどだ。懸命な判断と言わざるをえない。そんなコンディションでも出艇後30分ほど進んでいたのだが、部長こたろうからのハーバーバックせよ!という一言が我々を救ってくれたのだ。まさに神使だった。なんとかハーバーバックすることができ、九死に一生を得た。私は生きて帰ったのだ。私の人生においてこの出艇は非常に良い経験になったと振り返ってそう思う。

出艇から帰港まで、この最悪のコンディションの中、ヘルムを常に持っていた植村くんには感謝してもし切れない。この日、普段は隣で練習している関学と関大のヨットが転覆し、救助されていたというではないか。運良く事故しなかっただけであちら側になっていたかもしれないと思うと非常に恐ろしい。
着艇後、ハーバーのシャワーを使わせていただきました。やはり最高だった。びしょ濡れだったが、温かい湯に包まれ、なんとか前夜祭を楽しめるほどに息を吹き返した。
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