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徒然(つれづれ)中国(ちゅうごく) 其之九拾九

2016-06-20 09:08:32 | はらだおさむ氏コーナー
ジャ・ジャンクーのこと・・・



 
 「・・・パリ滞在中、わたしはエドワード・ヤン(楊徳晶=台湾映画界の巨匠)の新作『ヤンヤン~夏の思い出』上映の広告を目にした・・・チャオ・
タオ(趙涛)は中国語圏映画であると聞くと見に行きたがり、わたしはかの女に付き合って、メトロに乗り・・・映画館のライトが明るくなると、わたしは趙涛の目の周りが少し赤いのに気づいた・・・みなが拍手をした、スクリーンに向かって・・・我々はみな自らを見たのだった・・・」。

 これは、先日手にした中国映画界第六世代の監督・ジャ・ジャンク―(賈樟柯)の著作『「映画」「時代」「中国」を語る 1996-2008』(2009年北京大学出版社刊、丸川哲史・佐藤賢=訳、以文社出版)の一節である。

 そのむかし、わたしも愛飲した汾酒の産地・山西省の田舎町汾陽で、文革末期の1970年、生を享けたジャンク―は、小学校の高学年から文筆に目覚め「山西文学」などに投稿、地元作家協会からも嘱目されていた。「文革」で大学へ進学できなかった教師の父と折れ合い、地元大学の美術科へ進学したジャンクーではあったが、看板書きや映画のポスターつくりのアルバイトで稼いでは、ディスコなどで遊び呆けていた。
チェン・カイコーの映画『黄色い大地』が、ジャンク―の人生を変えた。
かれが田舎町・汾陽を離れ、北京電影学院に入学したのは、93年のこと、
 23才からの再出発であった。
  「あの事件」後の西側の経済制裁が、前年の「南巡講和」と「天皇訪中」で緩みはじめ、中国の「社会主義市場経済」が唱導されはじめた年でもある。

  入学間もない翌年の初冬、かれは学内の同好の士と「青年実験映画小組」を結成、変わりゆくふるさとの「市場経済化」と出稼ぎ労働者の姿を描いた
 『小山(人名)の帰郷』(『小山回家』‘96)を制作した。
  そのころ 北京で開催された「中日映画交流シンポジュウム」には、研究生クラス在学中のかれも参加しているはずである。

  いくら「市場経済」化されたとはいえ、映画の一般公開には政府の管理機構の許認可が必要であり、無名の新人監督の映画には中国国内のマーケットは存在しない。98年制作の『一瞬の夢』(『小武』)はいきなりベルリン映画祭で入賞、世界の映画界から注目される。日本のオフィス北野も、次作からの提携と日本市場での配給を申し入れる。2000年制作の『プラットホーム』(『站台』)もカンヌ国際映画祭で、最優秀監督賞を受賞。ヴェネチャ映画祭のあと、この映画の女主人公チャオ・タオ(趙涛)と一緒にパリ経由でトロント国際映画祭へ行くことになっていた。以後のかれの作品にはタオはいつも顔を出す主演女優であり、いつしかジャンクー夫人となる。冒頭の一文には、すでに、彼女へのジャンクーの想いが読み取れるのではないだろうか・・・。

  80年代から90年代にかけての中国映画は、おもしろかった。
  『芙蓉鎮』に涙し、『黄色い大地』に心打たれ、宴たけなわになると『紅高粱』の主題歌を口ずさみ、コン・リーの艶やかさにこころが弾んだ。
  しかし、映画界の「官僚統制」は進み、ハリウッドの「進出を阻む」との
 かけ声で、「大型の娯楽作品」ばかりが氾濫する・・・。
  わたしはジャンクーの第三作以後、そのほとんどを見てきて感想を書いている(『青の稲妻(任逍遥)』、『長江哀歌(三峡好人)』は、『ひねもすちゃいな 徒然中国』。『四川のうた(二十四城記)』は、『徒然中国~みてきた半世紀の中国』に)。
  『罪の手ざわり(天注定)』は、昨年末の93号で紹介した。
ジャンクーは日本での会見でつぎのように述べていた。
「現在、中国は急速に発展しており、以前よりもずっと裕福に見えます。しかしながら、多くの人びとは、全土に広がる富の不平等、そして大幅な貧富の格差に起因する人格の危機に直面しています」そして、「四人の登場人物たちの置かれている状況や環境が昔からの武侠の世界によく似ているなと思い、武侠ものの視点で現代を撮るとどうなるかということが今回のアイデアの発端でもあった」と付け加えている。

わたしはこの映画を見落としていて、日本語版DVDで観ることになった。
ケースの表には「第66回カンヌ国際映画祭脚本賞」が、裏面にはフランス、トロント、台湾、アブダビなどの受賞が記載されている、が、中国では上映が未だ認められていない。
この『罪の手ざわり(天注定)』でオムニバス的にとりあげられている四つの事件は、いずれも中国で発生した殺人事件の「実話」だそうだが、監督が述べている「武侠ものの視点で現代を撮る」という発想はうまくマッチングしたのであろうか・・・。わたしは、特に第二話の、出稼ぎ労働者を装った“無差別強盗殺人狂”のストーリーには納得が行かなかった。この男の銃弾には<不正を憎み、悪に立ち向かう>“武侠ものの視点”があるのだろうか、と。

いま上映中の最新作『山河ノスタルジア(山河故人)』は、北京では昨年の11月初旬上映、同下旬には東京映画祭のクロージング作品に採用されている。日本の公開は今年の四月末から。東京、大阪のロングランが終わり、いま全国各地を巡回上映中である。
日本語のキャスティングを見ると、女主人公の名前がタオとなっている。ひょっとして、監督夫人のチャオ・タオ(趙涛)と同じではないかと気になって、ネットサーフィンしてみた。
東京での記者会見で、つぎのようなやりとりがあった。
Q:女主人公の名前が、演じているチャオ・タオ(趙涛)さんと同じ“涛”
  で、“波”を意味するなど印象的に使われていますが・・・
A(賈樟柯):涛にかぎらず、炭鉱のオーナーの張やもうひとりの男性も本名です。演者は、脚本に自分の名前があると、役を自分のことのように
 考えてくれるようです。ぼくが脚本を書くときは大抵まだキャストがきまっていないので、その時点では名前は書いていません。キャストがきまってから入れます。
A(趙涛):自分と同じ“涛”という名前で、役に親近感が湧きますし、彼女の環境にも入り込みやすかったです。
Q:息子にドル(到楽)と名付けた意味は?
A(賈樟柯):お金を稼ごうと思った・・・面白がって・・・。

  この映画は1999、2014、2025を過去、現在、未来ととらえ、中国の田舎町・汾陽の女教師の二十余年を描くなかで、中国を見つめる。
  幼友達のひとり―金儲けにはげむ男と結婚、やがて産まれた男の子(ダラー)の親権を渡して離婚(経緯不明)、父親の葬儀に上海から息子を呼び寄せて参列させるが、息子は継母と携帯でオーストラリアの国際学校進学の話に興じている。場面は2025に転じる。母国語が話せない中国人の若者たちに
 プートンフア(標準語)を教える、香港出身の女性(離婚訴訟中)。マンション暮らしの父親とはパソコンによる会話でしか意思が通じない(共通の言葉がない)息子。香港でマネーマンダリングしたと噂されている父親には帰る祖国がなく、なぜか終日買い集めた銃を磨いている(継母の姿がない)。
  中国語の教師に母親を憧憬する19歳の若者は、ふるさとの汾陽経由でトロントに行こうと誘う教師を押し倒す・・・、それは「祖国喪失」の、デスペレートでアンニュイの世界におぼれる光景だ。
  ラストシーンは、母親のタオが子犬を川岸で放し、ひとりむかしのディスコのメロディ(Go West)に身を任せて、踊り続けている・・・ジ・エンド。

              (2016年6月18日 記)


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1 コメント

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前回の・・・・・ (ku-ma)
2016-06-21 09:12:12
徒然中国 の掲載ができなかったこと、申し訳ありません
私のパソコンでは、編集がうまくできなくて
ついでがあれば、再送頂ければ、ありがたいのですが。
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