2番センター 大山勝也 君。昭和33年、第30回選抜高校野球大会の、 我が坂商の大山君です。
さかのぼって、9番ライト 大山 勝 君。(昭和7年、第9回全国選抜中等学校野球大会の出場)。第30回大会出場の、大山勝也 君の父上です。当時2年生で、監督は三木忠章先生でした。
同期の勝也君は、丸亀東中ではバレーの選手でした。
運動神経は抜群で、当時の岩田監督の英才教育を受け、甲子園でのレギュラーの位置をつかむまでになりました。
惜しくも、神戸淡路大震災の年に亡くなってしまいました。佐久間捷之 君と共に、生涯、忘れられない、心友です。