これは“『新・校本 宮澤賢治全集』に収録された4パターンの原稿(第1次稿、第2次稿、第3次稿、第4次稿)を比較対照して読めるように工夫された本です。全体を通じて判読可能な形で残っており掲載されているのは第3次稿、第4次稿なのだが、この両者のみ残っている場合には上下に、第1次稿、第2次稿も残っている場合には上下左右に、比較対照できるように配置され、しかも判別しやすいようにそれぞれのフォントが変えてあるので、比較対照がとても楽である。
さらに、「銀河鉄道の夜」の前駆的作品や関連する作品、作中に出てくるものを理解するのに役立つ図版やコラムが適宜ちりばめられていて、とても楽しい構成である。
各原稿をバラバラに見ていたのではなかなか気付けないようなことも、この構成によっていろいろわかるのだが、中でも第3次稿、第4次稿にのみ番号のみの形で記されている賛美歌の番号が実は第3次稿、第4次稿ともに欠落しているのだが、第2次稿では歌詞が記されており、解説図版である『賛美歌明治36年版』(同志社大学蔵)の写真には第2次稿のものと同じ歌詞の賛美歌が掲載されている。これで、第3次稿、第4次稿と第2次稿の賛美歌が同じであると仮定すると、その番号は「第二百四十九番」であることがわかるのである。
学生時代、文学部史学科で日本史学を専攻していて、こういう資料の比較対象に慣れ親しんでいるせいか、どうしてもこういうところに感嘆してしまう。
もちろん、先日書いたトマトに関するコラムをはじめ、当時のもろもろの事情がわかる参考情報がたくさん載っているので、作中のジョバンニの心理を探るのには都合がいいです。っていうか、いろいろな本を首っ引きで比較対照する手間が要らないので満員の通勤電車の中でも広く深く「銀河鉄道の夜」が楽しめるのです。
誰か、「グスコーブドリの伝記」で同じような構成の本を書いてくれないかな(笑い)。
さらに、「銀河鉄道の夜」の前駆的作品や関連する作品、作中に出てくるものを理解するのに役立つ図版やコラムが適宜ちりばめられていて、とても楽しい構成である。
各原稿をバラバラに見ていたのではなかなか気付けないようなことも、この構成によっていろいろわかるのだが、中でも第3次稿、第4次稿にのみ番号のみの形で記されている賛美歌の番号が実は第3次稿、第4次稿ともに欠落しているのだが、第2次稿では歌詞が記されており、解説図版である『賛美歌明治36年版』(同志社大学蔵)の写真には第2次稿のものと同じ歌詞の賛美歌が掲載されている。これで、第3次稿、第4次稿と第2次稿の賛美歌が同じであると仮定すると、その番号は「第二百四十九番」であることがわかるのである。
学生時代、文学部史学科で日本史学を専攻していて、こういう資料の比較対象に慣れ親しんでいるせいか、どうしてもこういうところに感嘆してしまう。
もちろん、先日書いたトマトに関するコラムをはじめ、当時のもろもろの事情がわかる参考情報がたくさん載っているので、作中のジョバンニの心理を探るのには都合がいいです。っていうか、いろいろな本を首っ引きで比較対照する手間が要らないので満員の通勤電車の中でも広く深く「銀河鉄道の夜」が楽しめるのです。
誰か、「グスコーブドリの伝記」で同じような構成の本を書いてくれないかな(笑い)。
文学部史学科だったんですか、くまきちさんは。私は理系の人だとばかり、思っていました(笑)。
法律は、日常生活と仕事とで必要なので覚えているだけですしねえ、「理系」のイメージがコンピュータ関連の話題からきているとすれば、それは必ずしも当てはまらないんだよなあ…。
ちなみに、私は世間一般がイメージする「読書家」ではありません。キャラメルボックス関連以外ではほとんど小説とか読みませんからねえ。ただ凝り性ではあるので、特定のテーマの本を短期集中的にたくさん読むということはあります。
ちなみに私の考えでは、
単に「趣味:読書」って書く人は無趣味
です。本を読むこと自体は生命活動の一環としての人間としての基本機能に過ぎないので、「趣味:読書」が許されるならば、「趣味:肺呼吸」とか、「趣味:食事(による栄養補給)」「趣味:血液循環」とかもアリだと思っちゃうんですよね。
だから、趣味欄に書くのは
「どんなジャンルのどんな本ををどの程度の幅と深さで読むか」
だと思ってますから、そうですねえ今書くとしたら
「趣味:宮澤賢治の童話の初期形から最終形までの変遷の比較検討」
とかですかね(笑い)。