3月6日に久喜総合文化会館オリジナル企画~大人のクラシックサロン~を開催します。
今までクラシックコンサートは行ってきましたが、今回のコンサートは、ちょっといつもの雰囲気が異なります。
前半・後半で様子が変わります。前半は、スライド投映などしながら、どちらかというと演奏よりもクロストークが
メインかもしれません。しかし、今回のピックアップでもあります<リスト>に関して、様々な発見!!も。
その辺りが、<新感覚コンサート>につながってくるのかと思います。
では少し、その辺りの部分を今回、企画制作に携わってくださっています浦久俊彦さん、そして、演奏者の近藤嘉宏さんに
お話しを伺いました。
Q1.<新感覚コンサート>というのは、どのようなことが今までと違うのでしょうか
<浦久氏>
音楽を立体的にとらえる!という視点でしょうか。いままでのコンサートでは、音楽に関すること、作曲家の人生背景などをお伝えすることはありましたが、今回は、もっと等身大のリアルな人間像に着目していきたいと思っています。例えば、当時、リストが結んでいたネクタイの結び方…というのは、どういうものだったか? 音楽とは関わりないと思われるかも知れませんが、その視点から、当時の生活・流行がわかってきます。例えば、ショパンとリスト、どちらがオシャレだったか・・・ということも知ることができると、より彼らの人間性が見えてきますよね。また当時の料理だったり、彼らが生きた時代は、どのような時代だったのか、ということを知ることによって、立体的に見えてくるものがあるように思うのです。その辺りをうまく組み込みながら、リストという人間とその音楽をひも解いてみたいと思っています。
<近藤氏>
音楽を聴いてもらうときに、その曲がどのような材料でインスパイアされたのか、という基となる知識を得ることは、非常に重要だと思います。どのような時代を過ごし、その時代にその人がどのように生きて、どのような人物と出会い、ということを知ることにより、作品にもすべてつながってくるのですよね。
<浦久氏>
リストは、8年間で1000回という前人未踏のヨーロッパ・ツアーを行ったピアニストですが、これ、リストがヨーロッパでリサイタルを行った都市の一覧表ですが、(資料をみせながら)よくもこんなところまでというところまで行っています。全部で260の街を廻っています。当時は、鉄道も飛行機もない時代ですよね。たとえば、ロシアのサンクトペテルスブルクからは北欧経由で船を使って廻っていたようです。そして当時の移動手段は、馬車なのですが、リストが使用していたのは、六頭立ての白馬の馬車と決まっていて、リストが街を後にする時の見送りの数もすごかったようですよ。そして7年間で260ヶ所(ヨーロッパ全土)をまわる生活。今の時代であれば、自動車、飛行機もありますし、道路も整備されているので、移動はかなりスムーズですが、リストが生きた時代は、まったく違いますからね。しかし現代のピアニストでも、これを行うことは難しいのではないか、と思いますけれどね。
<近藤氏>
そうですね。いつ、練習するのだろう・・・、という感じですね。移動、移動の毎日ですからね。
<浦久氏>
だから、移動用の簡易ピアノを持ち歩いていたみたいですよ、リストは。カタカタ動く、音の出ない鍵盤。
<近藤氏>
どうにかして、ピアノをさらおうという気持ちがあったということですよね(笑)
<浦久氏>
なので、リサイタルでも即興演奏が多かったと思います。パラフレーズも即興で作っていたように思いますね。リストは、ピアニストを引退してから、楽譜を出版を多くしていますけれど。
<近藤氏>
ぼくもそう思います。だから、リサイタルで、パラフレーズが多かったのだと思うのです。自由にその場で即興で作ることができますからね。詰めて練習しないといけない作品だと、厳密になってくるから大変だと思うんですよ。旅、移動が長いがために、自由度の高いパラフレーズが進化していったのではないか、と。
※パラフレーズとは??
本来修辞学のことばで、「類似」や「擬似的」を意味する「パラ」と、「文」「言葉」を意味する「フレーズ」の合成語。他の言葉で、本来の文や一節を言い換えることをいう。
<浦久氏>
自分の作品以外の曲でリサイタルを行ったというのは、リストが初めてと言われてるくらい、当時の演奏は、作曲者の自作自演だったわけです。モーツァルト、ベートーヴェン、ショパン・・・。そんな中、リストが初めて他人の曲を弾いて、様々な都市に、生の音楽を持っていったというのは、かなりインパクトがあったと思うんです。今であれば、CDやラジオなど気軽に音が聴けるけれども、当時は、音がない時代ですから。彼は楽譜ではなく、生の音楽を提供したわけですからね。だから、ショパンが亡くなってからもヨーロッパやロシアにショパンの作品が拡がっていった、という背景には、リストの功績がかなりあると思いますよ。あと、リストの弟子たちですね。弟子たちが、ヨーロッパ各地、そして、アメリカにも広がり、リストの伝道師となっていくわけです。近藤さんもリストの直系の弟子になんですよ。
近藤嘉宏 → ゲルハルト・オピッツ → ヴィルヘルム・ケンプ → カール・ハインリヒ・バルト → ハンス・フォン・ビューロー → フランツ・リスト
とさかのぼることになります。しかし現代のピアニストで、リストの直系(血が入っていない)ピアニストはいないかもしれませんね。
鍵盤の魔術師と言われ、後世に残る作品を多く残したフランツ・リストですが、彼も元々は人間です。
その時代にどのようなことを想い、どのような生活習慣であったのか、ということを知ることができると、
リストの音楽の聴き方も変わってきませんか。
ぜひ、3月6日、その実態を観に、聴きにいらしてください!!!
さて、次は、数多くいる作曲家の中で、なぜ、フランツ・リストに焦点を当てたのか・・・について伺っていますので、
お楽しみに♪