扶余・白村江川
日本(倭国)とは切っても切れない交流のあった百済
韓流ドラマでは
『朱蒙』(チュモン)
扶余の第3王子で高句麗の初代王
「朱蒙」の恋人「ソソノ」の息子が母親とともに百済を作る
『ソヨンド』 日本では聖徳太子の時代
百済は仏教を日本にもたらし文化面でも学術面でも
日本にその技術や学問を伝来しなくてはならない存在になっていた
この時代に「オンドル」は作られたもの

その百済700年の歴史の幕を閉じる戦が日本からの援軍(4千人)と
ともに白村江川で高句麗と新羅と唐の連合軍とが戦った場所が扶余
15日間の戦で日本と百済の連合軍は破れ、現在の大阪城のあたりに
百済貴族は亡命して住み着いた(奈良や高槻にも伝説が残されている)
倭国では、中大兄皇子と舒明天皇(中大兄皇子の母親)の時代
戦のさなか舒明天皇は亡くなります

残された宮廷女官3000人余りは、敵に捕らえられ辱めを受けるならと
チマチョゴリの裾を翻して、白村江に4~5メートル余りの岩場から
次々と飛び降り、その姿がまるで華が舞い散るようだったと後世まで
語り伝えられている。
その場所がこの写真の「落華岩」今残されて亭が建っている


白村江のゆったりと流れる河には、観光客ように古代舟がある
岸の生い茂る草や、落華岩を望みながら川風に吹かれた
昼食は「キムチチゲ」
辛さが3種から選べて、私は一番辛いのを食べたが美味しかった
写真は撮るのを忘れて、韓国ドラマ「ソヨンド」の話に夢中
そして 世界遺産「水原の華城」へ
日本(倭国)とは切っても切れない交流のあった百済
韓流ドラマでは
『朱蒙』(チュモン)
扶余の第3王子で高句麗の初代王
「朱蒙」の恋人「ソソノ」の息子が母親とともに百済を作る
『ソヨンド』 日本では聖徳太子の時代
百済は仏教を日本にもたらし文化面でも学術面でも
日本にその技術や学問を伝来しなくてはならない存在になっていた
この時代に「オンドル」は作られたもの

その百済700年の歴史の幕を閉じる戦が日本からの援軍(4千人)と
ともに白村江川で高句麗と新羅と唐の連合軍とが戦った場所が扶余
15日間の戦で日本と百済の連合軍は破れ、現在の大阪城のあたりに
百済貴族は亡命して住み着いた(奈良や高槻にも伝説が残されている)
倭国では、中大兄皇子と舒明天皇(中大兄皇子の母親)の時代
戦のさなか舒明天皇は亡くなります

残された宮廷女官3000人余りは、敵に捕らえられ辱めを受けるならと
チマチョゴリの裾を翻して、白村江に4~5メートル余りの岩場から
次々と飛び降り、その姿がまるで華が舞い散るようだったと後世まで
語り伝えられている。
その場所がこの写真の「落華岩」今残されて亭が建っている


白村江のゆったりと流れる河には、観光客ように古代舟がある
岸の生い茂る草や、落華岩を望みながら川風に吹かれた
昼食は「キムチチゲ」
辛さが3種から選べて、私は一番辛いのを食べたが美味しかった
写真は撮るのを忘れて、韓国ドラマ「ソヨンド」の話に夢中
そして 世界遺産「水原の華城」へ