バラの二番花が次々に咲いて来ました
ゴールデンセレブレーション
アンクルウォルター
プリンスドモナコ
うらら
トムトム
クレマチス
美作市観光ボランティアガイドの会主催の木地師の館体験ツアー
私の作品
【木地師】
木地師とは、とち・ぶな・けやきなどの木を伐り椀や盆などの木地を作る職人のことをいい、轆轤師・杓子師・塗物師・引物師を木地業の四職ともいいました。明治までは木地師は全国のどこの山に入っても良く、山の8合目以上の木は切っても良いという許可を得て近江国小椋村の君ヶ畑、蛭谷を原籍地として、ジプシーのように全国の山を20~30年ごとに移動しながら生活をしていました。当地右手・木地山の木地師は456年前の永禄3年(1560年)苫田郡の越畑から移住してきたといわれています。このような木地師たちの身分を保障し、職業の繁栄に尽くしたのが永源寺町(現在東近江市)蛭谷の筒井公文所と君ヶ畑の高松御所でした。伝承によれば、即位の機会を失った惟喬(これたか)親王は貞観元年(859年)、小椋谷に入山しました。このとき親王は、法華経の巻物のひもの原理から、里人に綱を引いて軸を回転させる手引きロクロを造り、椀や盆を製作する木地挽きの業を伝授したといわれています。このようにして生まれた小椋谷の木地師は、この地に良材がなくなったことから、小グループに分かれ全国各地に移住していきました。木地師たちは、惟喬親王を木地業の祖神と仰ぎ、小椋谷を自らの出身地として頼り活動し、現在でも小椋谷が全国の木地師の子孫たちに「ふるさと」と慕われる由縁となっています。また、蛭谷の筒井公文所や君ヶ畑の高松御所も、各々が全ての木地師は自らの氏子であると称して保護したため、江戸時代には全国最大の木地師支配組織が確立しました。 両支配所は、その権威を高め、通行の自由・諸役免除といった木地師の特権を保護するため、お墨付きと称する朱雀天皇や正親町天皇の綸旨をはじめ、時の為政者の免許状の写しを下付しました。各地の木地師は、こうして与えられた御墨付・宗門手形・往来手形などをもっていると安心して活動ができたわけです。また両支配所は、氏子として木地師の身元を確認し、氏子かり料や初穂料・奉加金などを集め、氏子には神札・御墨付などを配布しながら各地を巡り歩きました。
薬剤散布中に4匹捕殺・・・・・幼虫がテッポウムシで太くなったバラを枯死させる大敵です
今日のバラ・・・・ローズオオサカ
ラブ
カーデイングミル
チャリテイ
クレマチス・・・・アバンギャルド
半数を剪定植え替えをしましたがまだまだ鑑賞できるものも残っています
栄冠
千代の光
栄冠
左が寿光、右が翠扇
左が山の光、右が華宝
今日のバラ・・・・サマーソング
スカーレットメイアン
トムトム
センチメンタル
地区の高齢者を集めて年5回ほど開催する会合に県の消費者センターのSさんを招いて詐欺被害にあわないための講話を聴いてもらいました
委託管理をしているお試し住宅3棟紹介ビデオ制作前の清掃作業
作東バレンタインホテルのレストランで母と二人で久しぶりのなごみ弁当(和洋ミニ懐石風)・・・・完食しました
今日のバラ・・・・モナリザ
エターナル
アパイトウクリニュー
ラジオタイムス
岡山県重要無形文化財の山本雄一氏を迎えて雄杉会の窯出し・・・・・
今日のバラ・・・・ビオレッタ
クロッカスローズ
マダムシャルルソバージュ
アイコニック
セバスチャンクナイア