紫陽花の色が徐々に鮮やかに・・・・・・・・
ヤマアジサイ
ピンクアナベル
宿根フロックス
風車
5月下旬の揃い咲から約一か月・・・・・・・バラの二番花が次々に開花
今日のバラ・・・・・・・桜霞
夢
ホットココア
ジャルダンドゥフランス
アパイトドゥクリニュー
レッドクイーン
36鉢のうち25鉢を剪定
剪定前
剪定後
今日のバラ・・・・・・アンネフランク
ルーゼンドルフスタット
オフィーリア
モナリザ
クレマチス・・・・・・アバンギャルド
蛍が一番飛翔するのは午後8時から9時ごろまで・・・・・久賀ダム下と楮地区で蛍観察・・・一目数百匹
楮地区では三頭の鹿に遭遇
落花生やジャガイモ栽培している畑の畦の草刈り(今年3回目)面積が広いので2時間はかかります・・・・刈った草は蒟蒻畑のマルチングに使用・・・・・・
今日のバラ・・・・・・パピーデルバール
オクラホマ
プレーボーイ
フォールスタッフ
さつき盆栽の剪定と草取りで一日が終わり・・・・・・今日のバラ・・・・・・・2番花が咲きそろってきました
パパメイアン
ジュリア
レオナルドダビンチ
美作市右手の木地師の館で実施の木地師体験ツアーのボランテイアガイドとして同行・・・・・木地師の手助けも受けながら満足のいく作品ができたようです・・・・・13名参加
【木地師のふるさと】
木地師とは、とち・ぶな・けやきなどの木を伐り椀や盆などの木地を作る職人のことをいい、轆轤師・杓子師・塗物師・引物師を木地業の四職ともいいました。
明治までは木地師は全国のどこの山に入っても良く、山の8合目以上の木は切っても良いという許可を得て近江国小椋村の君ヶ畑、蛭谷を原籍地として、
ジプシーのように全国の山を20~30年ごとに移動しながら生活をしていました。
当地右手・木地山の木地師は約450年前の永禄3年(1560年)苫田郡の越畑から移住してきたといわれています。
このような木地師たちの身分を保障し、職業の繁栄に尽くしたのが永源寺町(現在東近江市)蛭谷の筒井公文所と君ヶ畑の高松御所でした。
伝承によれば、即位の機会を失った惟喬(これたか)親王は貞観元年(859年)、小椋谷に入山しました。
このとき親王は、法華経の巻物のひもの原理から、里人に綱を引いて軸を回転させる手引きロクロを造り、椀や盆を製作する木地挽きの業を伝授したといわれています。
このようにして生まれた小椋谷の木地師は、この地に良材がなくなったことから、小グループに分かれ全国各地に移住していきました。
木地師たちは、惟喬親王を木地業の祖神と仰ぎ、小椋谷を自らの出身地として頼り活動し、現在でも小椋谷が全国の木地師の子孫たちに「ふるさと」と慕われる由縁となっています。
また、蛭谷の筒井公文所や君ヶ畑の高松御所も、各々が全ての木地師は自らの氏子であると称して保護したため、江戸時代には全国最大の木地師支配組織が確立しました。
両支配所は、その権威を高め、通行の自由・諸役免除といった木地師の特権を保護するため、お墨付きと称する朱雀天皇や正親町天皇の綸旨をはじめ、時の為政者の免許状の写しを下付しました。
各地の木地師は、こうして与えられた御墨付・宗門手形・往来手形などをもっていると安心して活動ができたわけです。
また両支配所は、氏子として木地師の身元を確認し、氏子かり料や初穂料・奉加金などを集め、氏子には神札・御墨付などを配布しながら各地を巡り歩きました。
この廻国の記録が「氏子駈帳」「氏子狩帳」です。
今日のバラ・・・・・・ゴールドバニー
さつき盆栽10鉢剪定終了
地区の民話に興味ある人を集めて湯止め観音から右手三社大明神を巡るウォーキングが実施されました。
30名を超える参加で盛況でした。
今日のバラ・・・・・・ムタビリス
しのぶれど
チャリテイ
ジェーンオースチン
久し振りのモンレーヴ・・・・・ランチの値段は据え置き(実質値下げ)・・・・努力に拍手・・・・これで税込1000円
ガーデンの縁石交換作業・・・・・少しグレードアップ
山アジサイ
今日のバラ・・・・・・スピリットオブフリーダム
二番花が咲いてきました・・・・・ルイ14世
ゴールドバニー
ハニーデイジョン
ティー・クリッパー
芳純
てっせん
クレマチス
さつきで寛ぐ雨蛙
三晃の月
会員17名で大阪・池田、能勢方面に研修旅行・・・・・・目の保養をしてきました
ランチはかごの屋のなでしこ弁当・・・・・税込1382円・・・・皆さん満足
今日のさつき・・・・・・・暁天
山の光
華宝
華宝
今日のバラ・・・・・・シャンテロゼミサト