美作市大字右手小字中右手の北にある右手(うて)三社大明神は、三穂太郎伝説で有名な菅原朝臣満佐(みつすけ)、菅原道真、猿田彦が祀ってあります。
社殿は梶並川の中州に造られており落ち着いた佇まいの神社です。
創建はおそらく13世紀後半ではないかと推察されますが、いまも右手姓の右手忍さんが(代々)管理をされています。
菅原朝臣満佐(みつすけ)は菅原道真公より13代後の末裔にあたり、知仁勇に優れていましたが、1234年9月15日に赤松久範と佐用で戦い、52才で討死しました。
死後、頭(こうべ)は奈義町関本の三穂明神(こうべさま)、右手は梶並の右手(うて)大明神、肩の部分は智頭町土師のにゃくいちさま、胴体は奈義町西原の荒関荒神として祀られ美作菅家党の基盤を創りました。
満佐公は歴史上の実在人物で、別名三穂太郎とも呼ばれおり 「那岐山の頂上に腰をかけ、瀬戸内海で足を洗い、京の都まで三歩で行った」と言う伝説も残っております。
久賀ダムの八重桜もピンクの絨毯に
まだまだ観賞に耐える・・・・・・・