めろめろ

とまったままのまま(09年6月25日) 2011.1.15ひさしぶりのぶり

苦難の一週間

2005年11月26日 | 紅色
 テスト点数が思わしくないのは「勉強法が悪いのかもしれませんネ」なんて先生がいつも僕に言っている事なのだが、なぜか僕はそこで妙に開き直って「うるへー」なんて言っていたものだから、結局今もそのまんまなのだ。
 それで、ふとそういう事を思い出して、いざ勉強というとき。
 はッとあたりを見回す。
 僕は急にウロタエはじめる。どうしよう・・・と刹那に激しく問答する。つまりこういうことだ。僕は一体自分がこれからなんの勉強をすべきか、ということがあまりよく判らなかったのである。勢いごんで始めんとした試験勉強が早くも大きな壁にぶち当たった瞬間であった。
 さてこれからなにをすべきなのか。僕の脳内ではすぐさまこれから何をしたら委員会本部が設置されせかせかと慌しく動き出したわけである。そこで僕は紙に、とりあえず試験科目を書き出してみることにしたのであった。
 一応としては目に優しくリラクゼーション効果もあるとされる緑色の紙を選んだ。書いてみると、八科目あった。
 さてここから、えー、まずいったい僕は何が不得意な科目であるのか。とりあえず英語は絶望的にニガテである、ということは中学校からよく知られている。OCなんかのリスニング形式もダメ。理科も計算問題はからきしダメだ。数学もそれなりにダメ。世界史のあの長ったらしい人名もまったく暗号のようである。国語・古典も僕はどうもニガテなのだ。主人公の気持ちなんて、主人公だけの問題にしてくれッ! と思いたくなる。
 えー、それで、苦手な科目は、いち、にい、さん・・・あ、八科目全部だ。

IF専用車両

2005年11月25日 | 紅色
 そういえば、JRその他の各鉄道が「女性専用車両」なるものを実施して何年かが経つわけである。
 もひとつそういえばだが、まもなくテスト一週間前なのである。それで最近この「紅色」の更新が滞りがちなのはもちろん僕がアッチャコッチャに出かけていて、帰ってきたときにはもうヘトヘトのぐでんぐでんになっていてそのまますぐに眠ってしまうからである。
 それで、もうすぐテスト一週間前だという頭の中で、僕は専用車両について考えていた。
 そもそも「女性専用車両」というのはマコトに結構、どうぞよろしく的設備なわけだけれども、フトした瞬間に「ああー、なんちゅうか、一度でいいからラッシュピーク時に女性専用車両に乗り込んでみたいものだ」と思ってしまわないこともない。
 JR東海道線は、前から三両目あるいは後ろから三両目が女性専用車両となっている。僕はだいたい七時半ごろの電車に乗る。と、例の如く女性専用車両の乗り口には女の人の列ができていて、やはりなんだか朝だからか知らないけれども、冴えないうしろ姿で電車を待っているわけである。

 専用車両は始発から朝九時までとなっていて、九時以降は専用車両でなくなるから、別にオッサンが乗ってもおじいさんが乗っても巨人大鵬卵焼きが乗ってもそれでいいわけである。しかし大抵の場合、お昼過ぎの電車、「元」女性専用車両には、やはり女性が多数乗っていて、乗車口付近にオッサンがぶすッとした顔で突っ立っているわけである。どういうわけか女性専用車両にはオッサンが乗り込んでいる。紅顔の美青年っちゅうのは女性専用車両内で見たことがない。すべてオッサンなわけである。こういう僕も実はというと、今まで一回しか女性専用車両に乗った事がない(本当だぞッ)。
 なぜ一回だけ乗ったのかというと、とある定期テストの帰り道、ホームに上がった時、ちょうど電車が出発しようとしている場面であった。いや僕は別に急いでいたということでもないのだが、久しぶりに早めに家に帰れるということも手伝ってか、閉まろうとするドアーをかいくぐって間一髪乗車成功したのであった。そこですぐさま僕は異変に気付く。
 そこには女の人もしくはオッサンしか乗っていなかったのである。これはまさかッ! であった。まさにそこはレディース・オンリー的空間、異次元世界であった。
 「むむむむむ、こ、これはッ」
 えー、額に汗がにじみですね、僕はまさに大変なことになっとった。それでさっそく僕は次の駅で飛び降りて一番前の車両まで移動したのであった。
 それにしても、一体全体なぜ僕が昼過ぎのあの場面で車両を移動せねばならなかったのか。それはもう、あの三両目が根っからの女性専用車両になっているからである。んもう二十四時間男を寄せ付けないような特異なオーラを放っているのである。まるで「時間帯を選ばず、この車両に乗り込んできた男どもは全員痴漢候補とみなす」という感じで・・・。

 それでもやはり時々僕は「ああー、なんちゅうか、一度でいいからラッシュピーク時に女性専用車両に乗り込んでみたいものだ」と思ってしまわないこともない。
 でも、髪の毛を真紫に染めたオバちゃんが専用車両に乗り込む姿を見ると、どうも矛盾を感じずにはいられないのはナゼだろうか。また、おばあちゃんと一緒におじいちゃんも専用車両に乗り込んでいる姿も、なぜか気になる。
 それから、一番乗ってみたくない車両はやはり「力士専用車両」であろう。なんだか想像するだけで息苦しくなってくる。
 「オタク専用車両」も嫌だ。
 もしも「オバチャン専用車両」なんちゅうモノができたら、すんごいことになるだろう。ひと車両すべてトラ柄、イスもトラ柄、吊り革もトラ柄なんちゅう事になってしまいかねない。
 また、「力士専用車両」のうちでもさらに「KONISHIKI専用車両」あるいは「高見盛専用車両」なんちゅうものができたらなお息苦しくなるに違いない。ラッシュ時は相当なものである。
 「すかしっ屁専用車両」も絶対に乗りたくないし「ナメック星人専用車両」もイヤだなぁと試験前の頭は考え続けるわけである。

できたて

2005年11月21日 | 紅色
 実は今日、懇談会やなんやらで学校の授業は午前中四時間授業でおしまいッ。そんでもって僕のクラスは一、二時間目油絵、三時間目現代文、四時間目体育と、いや実に楽と言っちゃなんだけれども、とにかく授業らしくない授業が続きました。
 それで、ご飯も食べたし、時計を見ればまだ一時半。六時までクラブするとして、約五時間を油絵制作に当てるのはちょいとコレ無理難題のような気がする。だいたい、金曜日に描いた油絵の油絵の具がまだ乾いていない。というか、現状維持のままカンバスにはりついている、という感じだから、描き足そうにも描き足せず。
 そしていつもの如く「さて何をしよう・・・」である。
 そういえば最近内輪的同人誌「月刊脳細胞」を書いていないなぁ。(『紅色』ご愛読の方々には今更説明は不要だろうと思うのだが、月刊脳細胞を一文で書き表すとこういう感じの雑誌になるのだ→とにかく何でもイイから書いて下さい書いたら載せます絶対載せますボツには決してなりません的・学校中央論理総合雑誌)いやしかし今は絵を描くクラブ中。絵を描かねば。
 と思って、カンバスを二枚取り出してきてイーゼルに立てかけてみたのだが、なかなかアイデアが浮かばない。まずアイデアを作らなければ・・・。そうか、そうかそうか、スケッチに行こう。そういえば今日の朝「今日はスケッチだスケッチだヨロレリィッヒー」と有頂天だったではないかッ。
 そうと決まったら僕はこういう場合の行動は早いのだ。なにしろ二ヶ月ぶりぐらいにするスケッチだから、いろいろと手が震えるくらいコーフンしつつあるのだ。
 そうそう前にスケッチをしたときは、まだ夏であって、死んでしまうのではないか的太陽光線の下、僕は重い足取りで、レンズ付きフィルムを片手にまたクロッキー帳と6Bの鉛筆を片手に持ってフラフラしていたのだ。夏休み僕はとにかくスケッチに四、五回ほど出かけたがそれはいつも学校周辺の工場地帯の風景を描きに行ったのである。
 そんな二ヶ月前の思い出とはウラハラに、もう紅葉している落ち葉を踏みしめつつ僕は少し肌寒い道を歩いた。もう何回も歩いた道なので、僕の中で「順路」のようなものができていて、一応所々にスケッチポイントのような部分もある。十字路なんかに出ッくわすと、僕は「今日はどちらへ行こうかな。アッ、風が吹いたから左だ」という風にして道を決めるのだ。それもそれでなかなか楽しい。あるいは信号に出くわすと青信号のほうに進む。スケッチとはいえ、僕は基本的に歩き回るタチなので赤信号でペースを乱されると困るのだ(非常に個人的な点に於いて)。
 どこかしら晩秋あるいは初冬のサビシゲな雰囲気が漂っているので、僕もなんだかシンミリしてしまって
 「よしよし今描いてやるからナ、動くんじゃあないぞ」
 と青い倉庫に向かって言う。そして「倉庫ってぇのも、ああ見えてナカナカ大変なんだーなぁ」となぜか男はつらいよ渥美清・寅さん的口調でそう呟いたりもしてしまうのだ。一人の場合、僕はひとり言を言う。だからひとり言と言うのだが。
 学校周辺の工場では主に材木を取り扱っている商店が多く、中には紙製品、パルプなどの紙工業も盛んであるようだ。できたての紙がぐるぐる巻きになって、背丈半分ほどのドでかいトイレットペーパーのようになっているものが道路の端っこにどすんどすんと五つ並べて置かれていた。そしてそのドでかいトイレットペーパーからは湯気が立ち上っていた。できたてのドでかいトイレットペーパーっちゅうものは実にホカホカしていて、見るからに
 「今しがた生産されましたッ」
 という感じであった。そして僕は鉛筆をポケットにしまって、また歩き出した。

英語英語英語

2005年11月19日 | 紅色
 先日O先生が
 「おおお、高橋の絵になってきたなーぁ」
 とおっしゃいました。それが嬉しくて嬉しくて。いやー、はたしてこれからどうなるのかよくわからない状況なのであって(一日一枚油絵完成という驚異的ペース)、そういう状況の中、こうやって嬉しいことを言ってくれると本当に励みになります。

 ところで・・・。えー、ここ一、二ヶ月の僕は週末の予定を、その週の始め頃から考えることが習慣になっておりまして、ちなみに今回、月曜日から「よし、今度こそ万博でヒルネだッ!」と意気込んでおったわけである。ところが週間天気予報欄を見ると、土曜日は雨予報。
 そしてなにより、突然気温がドカーンと下がったこともあって、僕は
 「うううーむ、こんな気温の中ヒルネすると、どうもただならぬ事になってしまいそうだなぁ」
 と思っていたわけである。ところがところが、ここ数日の週間天気予報では、土曜日「ハレ時々曇り」の予報に変更され、僕は
 「よっしゃよっしゃ、これで外出可能であるわけだッ。とすると、万博公園でヒルネはできないにしろ、京都にて紅葉狩り・・・っちゅうのもイイかもしれん。うむ、よしよし、よーっしゃ、今度の週末は京都観光だーッ!」
 と、さっそく予定を組み始め、せっせとカメラやなんやらの経済面での工面をどうにかしてつけていたわけである。僕にとって休日の外出というのは、一回ごとに命を賭けているようなものだから、とにかく必死なのである。この限られた時間内で、どれだけ多くのものを見、聞き、触れ、歩けるか、というのが僕の信条であるからして、朝から晩までせっせと歩き回る、というのが最近の外出になってきている。

 英語の授業は、月曜日と金曜日の五時間目にあって、英語が本当に本当に苦手な僕はこの英語の授業になるとひどく沈んだ気分になる。いやいや、んもうその前日から「英語ヤだなー」という気分になる。どうにかして判りたいッ! と思うのだが、ぼくにとってはまことネイティブ的アクセントイーングリッシュな発音で、まさに「ペラペラー」と読み進める先生に、ついて行くのがシンドイ!
 それで、金曜日の授業もあとこれと、古典を残すのみ。そうすればクラブがあって、あとはお祭り騒ぎ的休日が始まるのだッ! と思って、これまた早くもワクワクソワソワあー早く授業終わって明日にならないかしら・・・と貧乏ゆすりで待っていた。
 今回の授業は「英会話文」で、僕はなんだかよく判らんが、会話文は比較的ノリやすく、これならついてゆける! と思った。それで、またいつものようにこの文章を訳していくのだろうな、と思っていたわけである。
 「はいそれじゃあ、ここのところ月曜日に暗唱テスト行いますのでー」
 そしてチャイム。
 「きっちり平常点にも加算されますのでー」
 ざわめき、十分の短い休み時間。そうして先生は教室を後にした。
 残ったのはただ・・・。貧乏ゆすりを止めた僕は
 「あああ俺の休日がーッ!」
 と何度も何度も机に頭を打ち付けていた。休日、返上である。

脅威の晩秋

2005年11月17日 | 紅色
 あっという間に十一月も半ばを過ぎ、僕はというと相変わらずあっちへ行ったりこっちへ来たりと、いろいろさまざまなことをやっているわけあるけれども、最近のこのスケジュールの詰まりよう! まるで高校受験期を思わせる、そんな働きぶり(いや実際はただ絵を描いて、夜遅くに帰ってきて眠る、という循環の繰り返しであるわけだが)。
 ふと気付けば「そうか俺はまだまだ描くことがたくさんあるのだなぁ」と一人頷いてふむふむふむむむと教室のカタスミでほくそえんでいるわけである。そうして眺める窓の風景がこれまた晩秋を思わせる青系統に集約されているような気がして、またまた一人ふむふむふむむむと笑えば、乾いた風もまた笑ってしまうように思える。
 んなわけで、とにかく油絵を描いて描いて、キャンバスが足りないくらいである。えー、夏にだらけて、あんまり描けなかったわけです。高校展の一枚に時間をかけ過ぎたというか、ただ今年の夏は暑かった。ちょっと見くびっていたようである。まさか汗があんなに出るとは思いもしなかった。
 それにひきかえこのごろは、なんちゅうか一気に寒くなった。気温と反比例して、僕は今描いている絵の枚数が増えている。今日もまた一枚新しいカンバスに地塗りをした。乾くのに時間がかかるから、それがじれったい。
 まさに「ゲージツの秋」の名にふさわしくなりつつある今日この頃明日の今ごろ三日後のいつ頃なわけである。

 この前の休日に、和歌山へ行ってきた。なにしろ大阪から片道二時間、料金片道約1000円と、多額の金と時間を費やしてまでそこへ出かけたわけであるから、これにはやはりそれに匹敵する理由というものがあったのだ。いや凄かった、「佐伯祐三展」。もう圧倒されまくり、最初ッから最後まで僕は「うううッ、いいなぁーいいなぁー」とか「おおおおおお、し、渋いッ! この色使いッ」「一筆やッ! ここの部分、一筆で描いているッ! すげげー」「ここは地をゾーキンかなにかでふき取ったのか?」「そうかッ! 白や! 白を地に厚塗りか!」という具合に、一枚の絵をタテ横斜め、さらにはタテ斜角57度一歩手前で眺めたり、スレスレで眺めたりしたのだ。
 去年のいつ頃か、心斎橋で見た佐伯祐三に、僕は初めて打ち震えた。感想は
 「なんだ、これは!」
 という、強烈なモノだった。
 じっくり時間をかけて佐伯祐三大展覧会を眺めた後は、せっかく和歌山に来たのだから、と言うことで「和歌山らーめん」でも食べようではないかッ! と思ったのだが、ナントいう事だ、休日閉店、しかもラーメン屋というものが本当に無いのだ。
 あったのは「喫茶・ファッション」という妙な名前の店ぐらいなもので、そこすら閉店していた。うううー、くそーッという気分で僕は冷たいアスファルトに腰をおろして、カップラーメンを食べた。

わさわさ風が吹く

2005年11月12日 | 紅色
 今日は一日中時間を持て余していた。ちょっとは勉強したらいいのになぁーと、我ながらなんちゅうか妙に客観的にそう思ったりもした。それで、前から「ヤレーっ」と言われ続けていた風呂タイルそうじ、自分の部屋の掃除、それから一階客室部分の掃除をした。その他もろもろの掃除で午前中が潰れた。さてあと半日。
 母が外から帰宅
 「ア、忘れた」
 と言って、僕の名を呼ぶ。
 「あのねぇ、生ゴミ処理機のチップ、買ってきて」
 と言われてうむを言わさずドカドカドカッとお金を持たされ「ジョーシンでね」と言って、会員カードまで渡された。
 うちからジョーシンまでは自転車で十分ほど。平坦な道で、途中は川沿いの道やら緑道やら、いろいろなルートがあるのだが、とりあえずいつもの自転車通学ルートで行くことにした。
 少し大きな通りに出て、いつもは右折するところ、ジョーシンへ行くには左折なので左折した。そうすると、近所にもかかわらずなんだか初めて来た道みたいに思って、ついあたりをキョロキョロしてしまった。そういえばここの道を通るなんて、何年ぶりだろうか・・・と思った。
 そして、しばらくサイクリングから遠ざかっているなぁと思った。もう今の運動不足的絶望筋肉痛鈍痛的体力では到底、琵琶湖には行けまいと思った。

 使いっ走りから帰ってきてみると、そろそろ夕食の時間帯であった。
 「ア、ああああああ」
 と母が言った。
 「卵買ってきてー」
 またもやッ! と僕は身を仰け反らしたのだが、さっき昼過ぎの道すがら、「うーむナカナカ今日の自転車は快調でなんだか気持ちもイイなぁむふむふむふふ」と思っていたので「うううー、またかー」と言いつつ、ちょっと嬉しかった。
 「あー、ついでに野菜ジュース四本!」
 と言って、やはりウム言わさずお金を握らされて「いってらっしゃーい」なのであった。
 六時過ぎの街はもう夜中で、空気も何段階か冷えているようだった。それがなんだか逆に、今日のこの寝ぼけている体に妙に心地よかった。考えてみると、今日の一日はまったく掃除と使いっぱしりに明け暮れた日であったのだなぁーと言うことがだんだん判ってきた。
 大学のグラウンドを横切ると、ライトアップされているグラウンドの灯が細い路地に射しこんで、昼のように明るくなっているわけである。その道を「明るいッ!」なんて言いながら僕はやはり自転車をこぎ続けるわけである。

うつしいろ

2005年11月06日 | 紅色
 本屋へ行く。特に何のあてもない。最近は目当ての本もなく、フラフラッと本屋に入ってしまう。
 最近買った本。
  椎名誠・・・新橋烏森口青春篇
  沢野ひとし・・・転校生
  太宰治・・・考える葦
  その他
     ・・・リアル鬼ごっこ(未だ読まず)
  借りた・・・天国の本屋 うつしいろの夢
     ・・・岡本かの子全集(結局読まず)
     ・・・染色辞典

 学校の選択授業で、染色の授業を取ったのですが、受講者は僕を合わせて計六人。んで、染色は一年の時にやっていたのですが、一年ぶりに手をつけた今、見事に手法、順序を忘れておりまして、これには先生も苦笑。
 めちゃくちゃ優しい先生なので「テメーらエエ加減にせいッ! やめちまえ染色なんてェーッ」ということは言いませんでしたが、授業の最後に
 「えー、みんな久しぶり、ということで、かなり忘れてしまっているようですね」
 と言った。
 イカンッ! このままではこの先生があまりにもかわいそうだッ。僕ら劣等生を六人同時に相手できるわけがないッ! 過労で倒れてそのまま植物状態意識不明の重態ッてな事にもなりかねん・・・。
 ということでもって、僕はその危機回避に少しでも役に立つのであれば的思惑で、学校の図書室へ行き、その日のうちに「染色辞典」なるものを借りてきた。いやしかし、読み出すとこれがツボで、かなりおもしろいのである。少なくとも生物なんかよりはずーッとおもしろいッ。

 あと、執拗に「読め読め読め読めもしくは嫁嫁嫁嫁!」と発狂気味に迫ってくるS村くん。僕がため息つきつつ
 「何?」
 と言うと、
 「天国の本屋天国の本屋」
 と言ったので、僕は「あーそれならもう読んだ。面白くなかった」と言った。そしたらS村くんまったくひるまず
 「第二巻が出ているやろうが」
 と言った。うむむ、出ているのである。ただしそれは、現在BOOK-OFFにて三~四冊売りに出されていた。
 「貸してあげるから、読みなさい」
 とS村くんはでっかい顔をさらに膨張させてそう言った。仕方なく僕は「あー読む読む」と言って、そしたらS村くんはサッと「天国の本屋・うつしいろの夢」を机の上において、パッと消えていった。
 その本は、僕が本を持ってくるのを忘れた日、通学の電車の中で、なにかなんでもいいから読むものはないだろうか・・・と探している時に、ちょうどあの時借りてカバンの中に入れっぱなしにしてあった「うつしいろの夢」がなんとなくそのままあったので、電車の中で読んだ。
 んー・・・。やっぱり面白くなかった・・・。絵も一巻めの方がよかった。
 物語、というのはハッキリ言うと「活字向き」と「映画向き」のふたつがある。で、やっぱりこの「天国の本屋」シリーズも、映画向きなのだろうなぁと思う。「ウォーターボーイズ」「スウィングガールズ」も映画向きに当たる。
 僕は、あまりこういう「映画向き」の本が好きじゃない。そこのところを、ちゃんとわかってくれたかなS村くん? やっぱり映画向きの物語は、軽すぎるところがあったりする。天国の本屋その他も、全体的に軽すぎる。

気分は大阪恵美須町

2005年11月06日 | 紅色
 とまあ、反対方向に向かって今度は走り出した電車。鉄の重い音がごろごろざわざわと響き、Oくんは声をあげて僕と話した。もう昼下がり、そろそろ腹もスッカラカン何か食べたいよー的状況。
 それにしても。
 まこと本当にのどか以外の何モノでもないわけである。普通の電車とは、やっぱり視線が違った。そして、民家のまん前に駅があったりして、とてもうらやましい思いもした。駅から徒歩二秒ッ! てなところに、細い路地を挟んで駅がある。そしてその前で子どもたちが遊んでいた。いいなぁ駅前一等地じゃないか・・・。と思っていたら、とある駅で中学生らしき女子が乗り込んできた。
 やっぱりいろいろな生活があるのだな、と思った。通学時この電車だって通学するために利用するお客も、そりゃーいるだろうなぁ。しかし僕みたいにJR京都線よりやっぱりなんだかこのチンチン電車のほうが趣深くていいかも・・・。
 徐々に賑わいを取り戻しつつある町並み。分岐点をいつの間にやら通り過ぎ、一路恵美須町。
 そんな風にして終点に着いたら、そこは何てことない日本橋に程近いところだった。ここならいくらでも飲食店はあるだろうなぁーと思った。
 「どうする?」
 と、僕はとりあえず前に歩き出しながら、これからの行動について、シンケンにそう言った。Oくんは
 「ここ、どこやねん」
 と言った。ここはどこと言われても地名どおり恵比寿町であるのだけれども、それよりもとより僕の質問に対する答えになっていない。
 「いや、どうする?」
 交差点に着いた。
 真向かいはどうやら日本橋でんでんタウン。
 「んもー、お前に任せるッ。まかせるぞう」
 とOくんは言った。僕は両通りに並ぶ看板のロゴに見入っていた。原色の看板が両脇に、所狭しコレデモかッと一斉に押し寄せ迫り来る感じだった。
 やっぱりここは、そういうところなのだ。きっと。
 「俺に任せると言われても、俺はお前に任せるつもりなのだ」
 と言うと、Oくんなにやらよく判らない顔をして「ま、とりあえず前に歩こう」と言った。信号が青になる。
 家電、CD、DVD・・・。なんだか久しぶりに見たようなものばかり。僕は「うーむ」とうなりつつ、やっぱり前に進んだ。腹が鳴った。前方三十メートルにCD屋さんと、買い取りMAXが見えた。
 気付いたら、やっぱりここも雑踏であった。

 以上ッ、阪堺電車の旅編・おわりッ。

横揺れワンマンざらざらレトロ

2005年11月05日 | 紅色
 一両編成(いやつまりワンマン)の車内に乗り込むと、なんちゅうか、こう木の匂いがして、なかなかこれがどうして本当にイイ雰囲気なのである。雑踏だらけの天王寺とはまったく無関係な、どこか遠い住宅街にでも来てしまったかのような気分であった。そしてまた同じように阪堺チンチン電車の乗客の皆さんも、これまた「あなた一度どこかでお会いしませんでしたか」的な親しみというか、なんちゅうかなじむのである。
 すると電車の扉が閉まり、ゴロゴロと動き出した一両編成(いやつまりワンマン)。
 「・・・なかなかエエ雰囲気やね」
 「うむむむ」
 と、唸りつつ電車は車と同じ速度かそれより少し遅めに走る。
 そして交差点赤信号で一時停車、停車駅で一時停車。
 しばらくゆくと、今度はちゃんとした線路の上を走った。徐々に住宅街の間をすり抜けるような形になってくる。小さい電車が止まる、小さい駅。停車して、ドアが開いた、そこに広がる風景はあたかも「イナカである」という感じになっちゃっているのである。
 こんなに住宅と密接した駅なんて、僕の記憶の中ではこれが最初のような気がする。親子連れが虫取りアミ振りかざし乗車。おもにおじいちゃんおばあちゃんが多い電車なのだが、やはりそういう生活もあるのだった。僕は妙に感動して、嬉しくなった。人通りの少ない道も、路面電車が通るだけで大通り並に広くなっていたので、今まで難波、天王寺の大通りを目にしてきた僕には異質に映った。人口が減ると、こういう御堂筋だってありうるぞ、おおいにありうるぞ。何か小説にでもなりそうなネタが浮かびそうだったのだけれど、浮かばなかった。今日は無利益無収穫の旅なのだから。
 阪堺電車は名のとおり、大阪、堺市にまたがる結構長い路面電車である。それで、大阪市内二百円と少し、乗り継ぎで合計四百円ほどかかった。
 大和川を渡るとき、僕はハッとした。
 この風景は、確かいつかの夢に見たことがある・・・。僕はこの風景を、どうやら知っているみたいなのである。おかしなことに。それで、たぶんその夢も確か路面電車の夢であったと記憶している。しかし僕は今までこの電車に乗った記憶がない。でも、この風景の夢を見た。それは美しく儚いデ・ジャヴ(クッサーイ)のようであった。
 一度乗り換えて、天王寺から一時間ほどで終点に着いた。

 何をするアテもなかった。というか、僕はとりあえず終点で、なにかひるめしを食べようと思ったのだが、本当にもう、公園以外何もないところが終点だったので
 「うううむむむ」
 とひとしきり唸ってから、また反対方向(天王寺方面ゆき)の電車に乗り込んだ。こんどはいくらか近代化された内装のチンチン電車であった。滞在時間一分半。
 それで、また電車は動き出したわけだけれども、それじゃあ今度は恵比寿町に行こうッ! と僕が勝手に決めて(いや本当に僕が決めてばかりだったような気がするなぁ・・・。なにしろOくんは魍魎的排他的な行動でもって僕について来た)、今度は一路恵美須町を目指すことになった。

そしてダラダラ無法旅

2005年11月05日 | 紅色
 午前十時にも達していないので、天王寺界隈本屋雑貨屋百円均一どこもかしこもシャッター下りっぱなし、とにかくOくんは来そうにないのである。しかしまあ、こちらに向かっている事だけは確かだから僕はイヤでも待たなければならないわけであって、よってその時間の歪というか、無駄な時間をなるべく早めに過ごしてしまいたいわけである。
 本屋があれば、僕はそこに二、三時間は待機できる自信がある。しかし警備員に
 「十時からです・・・」
 と、陰湿かつ凶暴かつ傲慢あるいは怠慢もしくは上下関係どっちが上か、そこんところちゃんと判ってんだろうな的態度でもって追い返され、しょうがないから手持ちの本を人通りで読んだ。とりあえずOのやつ、卍固め三連発で決めてやるのだッ、と意気込みつつ、なんだかんだああだこうだしているうちに、とうとう十時回った。それでもOは来なかった。
 僕は徐々に腹立ちつつ、開店した本屋を横切り、ウス暗照明百円均一ダイソーにその一歩を踏み込んだ。

 それからようやくOくん到着の電話が入ったのが、二十分後であった。まったく大変な迷惑である、今思えば。目を血走らせつつJR天王寺駅西口に向かうと、まあー、予想はしていたのだが、やはりそこにはいない。なんか外に出ると、Oくんと僕との感覚がずれているというのか、場所を決めて待ち合わせをしても、出会わない場合が多かったのだ。
 僕はそこは割と冷静に判断して、モシヤと思った階段を見つけて、階下に下りていったわけである。
 御堂筋線天王寺駅西口。はたしてOくんはようやくそこに立っていたわけである。僕はアイツの顔を見ても絶対に笑わないでおこうッと、固く固く心に決めておったのだが、やはり笑ってしまったのには困った。
 僕が「お前お前お前お前」と言うと、Oくんは「すまんすまんすまんすまん」と言った。そして、「西口西口西口西口」と言って「天王寺天王寺天王寺天王寺」と言った。
 「まあ、それじゃあ行くか・・・」
 と僕は格段に頬、緩みつつまた階段を上った。ところで・・・。路面電車阪堺線というのはいったいどこから出発しておるのであろうか。そのことをOくんに聞くと
 「えッ」
 と言って、今日は俺が遅れたから、俺がかわいいお姉さん(ここの節は僕の創造によるところが大きい)に聞いてくるのだッと言った。案内センターのおねえさんと三言交わした彼は足早に戻ってくると「あすこの歩道橋の下に駅があるのだ」と言った。
 朝十時過ぎの天王寺はもうすでに賑わいがあって、雑踏に継ぐ雑踏、とにかく多くの人出が見込まれる様子であった。歩道橋から下を覗いてみると、確かに盛り上げただけのような、路面電車の駅があって、線路が向こうへ伸びていた。ここが始点のようであった。
 「おおおお、まさにあれが今日のメーンエベントではないかッ」
 「まさしくあれこそ今日のすべてだッ」
 とりあえず出発することになった。

 追加・・・なかなか終わりそうにないこの話なのだ。もうしばらくこの無利益アテなし小旅行におつきあいいただきたいです。