めろめろ

とまったままのまま(09年6月25日) 2011.1.15ひさしぶりのぶり

伊吹の朝

2005年01月30日 | 紅色
 土曜日にスキーをしに行ってきた。よって、二日ぶりの更新となる紅色。ここの所どうも紅色の更新が飛び石状態になってしまっている。というわけで今回はその分サービスしちゃうから(気持ち悪いな)よろしく。
 土曜日の朝。僕は午前四時半に目覚し時計を止めた。眠ったのが〇時だから、んもう眠くてしょうがないッ! とはいえこのまま眠るわけにもいかないので、階下へ降りて、用を足して、服を着替えると幾分目が覚めてきた。
 「あ、どうもー、おはようございます」
 まだ真っ暗な外とは対照的に、その人は冴えたような挨拶をしてくれた。
 「おはようございます」
 僕も自然と笑顔がでてしまった。どうやら結構この日を待ち望んでいたらしい、ということが僕に伝わってくるようだった。この人の覚めきった顔を見ていると、まだ顔も洗っていない自分が恥ずかしくなってきたので急いで洗面所へと戻った。
 父は、彼のことをYくんと呼ぶので、会社の人なのだろう。若い。うちの父とは比べ物にならないくらい若い。
 「今日は暖かくなるみたいですねぇ」
 と僕が言うと、Yさんは
 「そうみたいですねぇ」
 と言った。そして、僕と父とYさんは同じ車に乗り込み、父の運転でいざ伊吹山へと走り出したのだった。話を聞いているとYさんは本当に快活な人だと思った。面白いことには曇りのない声で笑い飛ばしてくれるので、それが僕にはなんだか嬉しかった。

 「夏川りみのMDがさぁ、そこのところに入っているやろ」
 と父が言った。父は夏川りみが大好物いや大好きなので、こういう車での長距離移動の時は、必ずと言っていいほど夏川りみの歌声が聞こえていた。
 「これですか?」
 「そうそう、それそれ。りみチャンじゃない?」
 「りみチャンですッ」
 と言ってYさんは夏川りみのMDを投入した。
 高速道路を二、三時間走った。途中で朝ご飯を食べて(父とYさんの両人とも三人分の朝食をそれぞれコンビニで仕入れていた)、まっすぐに伸びた国道だか県道だかをしばらく走ると「奥伊吹スキー場・二十キロ」とあった。眼前に聳え立つ伊吹山が、間近で見ると本当に大きかった。
 「早く着きそうだなぁ」と父。
 「そうですねぇ、充分間に合いますよ」
 雲ひとつない快晴、スキー日和である。もうなんだか僕はドキドキしてきましたよ。というのも滑れる嬉しさというのではなくて、コケるのはヤだなぁ、とかYさんの目の前で格好悪いことはできないッ! というプレッシャーで。

 
 ようやく着いた、と言うよりかは随分早めに到着したと言ったほうが適当であると思われる。なにしろリフトが動き出す前にスキー板を履いて、Yさんに至ってはすっかり準備運動も終えて万端であります! という感じになっていたからだ。この写真はその時に撮った。まだ日が出ていないのに僕ら三人は奥伊吹スキー場に到着して、しかもスキー板まで履き終えて、動き出すリフトを待っていた。

危機・二十分間の死闘

2005年01月27日 | 紅色
 何事にも恐れない、という噂の高橋です。
 最近僕は図書館で見つけた「死後の世界研究」という怪しげな本を読んでいる最中なのですが、これがなかなかどうして面白いのである。死後の世界? そんなの信じる信じるッ! というオーラが存分に発散されている「死後の世界研究」という本。
 読んでいるうちにですね、なんだか「死」というものが恐くなくなってきたというか、ちょっと死後の世界を見てみたいなぁ・・・(かなり危険な状態です高橋)てな気分になってきたのだわな。(『死にたいッ』と言っているわけではありません。死後の世界を覗いてみたいという意味であります)
 それで、この本には死後の世界について書かれているだけではなく、「生まれ変わり」という現象についても詳しく書かれている。例えば大昔拳銃で胸部を打ち抜かれ死んでしまった人がいて、その魂が幾十という年月を経て、また子どもとなって生まれてきたのだが、その子どもの胸部にはアザがあった、というものや、心理カウンセリングで自分の前世を知ったとか、そういう体験談や事実報告が書かれているわけでして、非常に興味深い。
 ぼくも自分の前世を知りたいなぁ。そういえば、ぼくの右手首にはシミのようなアザのようなものがあるのだが、これはひょっとして前世でなにか外傷を負った、ということなのでしょうか?

 さて、そんな死後の世界とは大きく話が変わりますが、ただ今学校では四キロ持久走をやっていて、週二回体育の時間に学校の周りをグルグルグルグル走っているのである。それで、僕は陸上部だったといっても、そりゃもうドンケツに遅かったので、実は長距離大の苦手。そんなわけで「元陸上部」という肩書きのプレッシャーがあって、体育のある前日の夜ぐらいから腹具合がどうも悪くなる。名付けて(ちゃんと正しい症状の名前があるのだろうけど)「持久走前日極悪的腹具合肛門括約筋収縮鈍化軟便症状」とでも銘打っておこう。
 とにかくこの「持久走前日極悪的腹具合肛門括約筋収縮鈍化軟便症状」は強烈で、走る直前になると、直腸に恐ろしいまでの重みが加わり、「も、もれそうである・・・」てな状況に陥ってしまう。これまで五回走ったが、そのうち三回で「持久走前日極悪的腹具合肛門括約筋収縮鈍化軟便症状」が発症し、僕をとことん苦しめた。そのうちの一回、持久走二回目に走った時なんかはもう最悪な状態で、辺りそこいらにしゃがみこんでぶっ放したいッ! という欲求に強く強く駆られた。走りながら穴を縮める、というのはこう見えて結構大変な作業で、それだけでも必死だというのにもかかわらず、一歩踏み出すたびに起こる振動が肛門括約筋を当惑させるので、さらに危機的状況、である。

 事の発端は朝。実はトイレに行かなかったのですね。というのも、起きた時間があまりに遅く、もう学校に行かなくてはいけない。ウンコなんかしてられない、というわけです。それで朝、用を足していないものだからちょっと元気がない。それで元気を出さそうとして栄養ドリンクを買って飲んだのである。これが大きなアヤマチだったらしい。大腸内も非常に元気になってしまったわけである。
 そんなことがあって、最後の一周は本当に地獄のようだった。とにかくみるみる走る気が失せて、そこの茂みにしゃがみこみたいッ! という願望が大脳辺縁系および大脳真皮質を支配した。走り終わった時は一瞬気がゆるんだので間一髪、本当に危ないところで踏みとどまった。いやー、それにしても持久走前の栄養ドリンクは、僕の体には合わないのかなぁ。くわばらくわばら。

海遊館的行楽

2005年01月26日 | 紅色
 ずっと前、というのはいつ頃かというと・・・はっきり思い出せないが小学生の頃だろう。
 父に「海遊館行こうッ」と誘われたので、よっしゃよっしゃとついていった時の事だ。それまで何度か海遊館には行った事があって、海遊館とは一体全体どんな所か、ということはとりあえず知っていた。
 海遊館とは西日本一だか日本一だかは知らないけれど、とにかく大きな水槽があるということで有名な水族館である。その大きな水槽の中にはなんとジンベエザメが悠々と泳いでいるわけですね。圧巻といえば圧巻である。そんなジンベエザメの腹にはコバンザメがくっついていて、張り付きながらいっしょに泳いでいる。そしてエイがひらひらーッと泳いでゆき、その他の魚たちは下の方でもそもそもそ~ッと泳いだりしているわけである。
 ここ数年、海遊館には行っていないがそういう風景が頭の中にインプットされていて、今でも鮮明に思い出すことができる。今となっては当然海遊館の入場料も自己負担になってしまうわけだから、相当がんばらないと入場できない。

 そんなわけで、父のあとについて「これはイワシだッ」とか「これがウニだッ」なんちゅうことを言いながら、ひとまずすべて観終わって「あー楽しかった」と余韻に浸っている最中、どういう経緯があったのかははっきり思い出せないのだが、いつの間にか父の手には抽選券が固く握られているわけでして、海遊館の手前の方で「抽選会場」があったわけでして、当然のごとく「おまえ、これやって来てみ」と言われたわけでして、気付くとハンドルを左回転させてジャラジャラーなんて事をやっているわけでして。
 それで、受け皿の中にひとつの赤い玉が入ったわけである。すると突然前で座っていたおっちゃんが
 「おめでとうございま~っす」
 なんて言ってカランカランカランと鐘を鳴らした。こ、これはもしや一等賞ではなかろうかッ! と期待していると、なんと特別賞「海遊館ペア招待券」であった。
 まさに驚きである。
 「いやー、今、海遊館行って来たばっかりなんですよ」
 と父が言った。

美術館ハシゴ

2005年01月23日 | 紅色
 美術館のハシゴ、というモノを一回やってみたかったのです。それで、昨日はクラスの人と一時に待ち合わせて大阪港の方でただ今開催中の「ロートレック賛歌」というポスター展を見に行くことになっていたのですが、家を出たのが十時前。自分でもよく分からなかったのです。なんでこんなに早く家を出てしまったのだろうって。
 それで、早々とJR大阪駅に到着。このまま行くと一時どころか十一時に待ち合わせ場所に着いちまうッ! 仕方がないからしばらく大阪駅をぶらつく。ここのあたり、なんだか哀愁漂っていた。
 「おれって孤独(バカだ・・・)」
 みたいな感じになっていた。それで、地下街をぶ~らぶ~らしていたのですが、ふと見ると大丸梅田。確かここで「流行するポップアート展」をやっていた、というようなことを毎日新聞に書いてあったぞッ! と思い出して、幸いお金は三千円ぐらいあったわけですので(お年玉って、僕大好き)ふと気付いたら大丸の十五階を目指してエスカレーターに乗り込んでいたわけです。
 やっていました。見事にただ今開催中。学生証を見せて、七〇〇円払って「ひょっとして僕が今日一番目の客かも」とドキドキしつつ中へ入ると・・・。
 「あッ!」
 と思いましたね。興奮してきましたね。この展覧会、最初から飛ばしてきます。まずデュシャンのレディ・メイド作品である「ビン掛け」が!
 この頃僕はなんだかデュシャンが大好きで、デュシャンの作品集なんかがあったらついつい見入ってしまうのですが、いきなり実物を見せられた日には(しかも予告なしで)心臓が口から出そうになりました、いや本当に。

 そして中に進むとウォーホルの作品とか、アルマンとか(アルマンの作品も面白くて、好きになりつつある傾向のようです)、ジムダインの「黒い子ども部屋」(だったかな)という作品もあって、結構楽しい。それにどの作品も発想が、もう笑ってしまうほど奇抜ッ! なかなかよい展覧会だと思います。七〇〇円の価値あり(高校生料金)、ですね。
 ぜひ一度大丸梅田へお越しください(宣伝やがな)。

 そうこうしているうちに待ち合わせ時間となって、僕は四つ橋線に乗って住之江公園駅へ向かう。一応定期内なので、タダッ! というわけでして、実はこれから行く「ロートレック賛歌」ポスター展の招待券を貰っていて、この展覧会もタダで見れる。いやー、生徒が優遇されて、なんだかほかのお客さんに悪いなぁ。
 で、三人(念のために人物紹介・・・高橋、S村くん、Oくん)で会場であるサントリーミュージアムへ向かうことに。ところがどっこいサントリーミュージアムが一体全体どこなのか分からない。コンビニのお兄さんに聞いて、海遊館の横であるということが判明。早速海遊館を目指す。海遊館は、言わせてもらえば僕は、庭のように思っているから、海遊館には詳しいのよ俺は(っと、ここで海遊館に関する話を思いだしたので、後日書くこととする)。

 それで、観ました。ロートレック展。なにしろ数が多いッ! これでもかと言わんばかりにズラリ並ぶポスターの数。広告に載っている「ムーラン・ルージュ・ラ・グーリュ」のポスターはひときわでかい。昔のポスターというのは、なんでもかんでもこんなにでかかったのかな?
 それに、ロートレックの描いた広告のどれも構図が大胆。今に至ってもなお強大な影響を及ぼしている、というのが文句なしで頷ける。さらにサントリーミュージアムで特別に、多色刷りの実演をしてくれたし(説明係の人が、よーけ噛むねんなァ)、見どころ解説も怠りなくしてくれた。なかなかいい所、サントリーミュージアム。
 気に入った広告が一枚。ロートレックの描いた広告で、ある劇場の広告。その出し物の宣伝で題名は「夢」という演劇なのですが、なんと舞台は日本。描かれた絵には、ヨーロッパ系の人が髷を結って、タカラヅカみたいに、こう一直線に並んで(バレー用の、あのフリフリスカートなのだ)踊っているのだが、みんなが持っている扇子には「夕暮れ時の日の丸ですッ」というかんじの(日の丸が扇子の中心からズレているわけです)模様が入っていて、とても派手なのだ。なんちゅうかもう、取り返しのつかないような間違ったニッポン的思想が入り込んでしまっていて、よく分からない劇になりつつあるわけですね。
 それで、その絵葉書を買おうと思ったのですが、無い! なんでだろう。ちょっと悔しかったなぁ、あれだけは。
 ということで、二つの展覧会を股に掛け飛び回って楽しんできた、というわけです。

トラック&フィールド秘話

2005年01月22日 | 紅色
 陸上、というのを英語にしたら「トラック&フィールド」である。なんかカッコいいじゃないの。
 「クラブ、何やってんの?」
 と聞かれて
 「オイッス! 相撲部でっす! うおおいッス!」
 という返答より
 「・・・トラック、アンドフィールド(そよ風で髪の毛がゆらゆらして、太陽の光に目を細めながらッ)」
 と言ったほうが、ダンゼン爽やか~ではないか。いかにも「風」という雰囲気で、内に秘めたるパワーがありそうではないか(?)。
 何を隠そう僕は中学の時陸上部だったのだ。以前から時々書いているとおり。風を切って走っていたのだ。まあ実際は風を切れるほど速くもないのだが、陸上部に所属していた。
 あのねぇ、ここだけの話。ぼくは、その当時は気にしなかったのだが、今考えてみるとトラック系の陸上部員の女子(他校も含む)は、カワイイ娘が多かったッ。足の速い人はカワイイのか、必然的にカワイイ人は足が速いのか、どちらかは分からないけど陸上部の美人率は確かなものだった。
 同じ陸上部でもフィールド競技と呼ばれる、いわゆる砲丸投げとか円盤投げとかの選手はやっぱりゴッツイ人が多い。きゃしゃな腕ではやっぱり砲丸は投げられないのである。そのかわり、長距離選手の腕は「本当に大丈夫なのだろうか、三キロ走りきれるのだろうか」というぐらい細い。

 おっと、本当はこんな事を書くはずじゃなかったので、本題を始める事とする。僕は陸上の二〇〇メートル走者だった。八〇〇メートルを「トゥー・ラップス」とかなんとかいうのだから、二〇〇メートルは「ハーフ・ラップス」とでも言うのだろうか。
 それで、ある大会の前の日のこと。試合に向けての最終調整の走り込み。といっても、普段の練習量と比べると大会前日の練習は本当に屁のようなものであった。グラウンドをジョギングペースで十周走って、ハイおしまいという程度である。
 ちなみにいつもの練習は、まずグラウンド二周走り、それから体操→基本練習→一五〇m流し三本→二〇〇メートルインターバル数本・追い抜き走→個人練習→ダウン・体操・・・という感じであった。
 で、まあとにかくその時は前日ということもあり、一本だけスパイクで二〇〇メートルを走っておこう、ということになった。陸上部のスパイクというのは、野球のスパイクともサッカーのスパイクとも違う。剣山を想像してもらいたい。あれぐらい鋭い針が、靴の裏に八本か九本ぐらい付いているのである。そして何より軽い。そして足にフィットする。スパイクの先は鋭いから、釘同様木に刺さる。そして走る時には土に刺さり、それが滑り止めとなって結構なスピードで走ることができる。
 それで、僕は数人一緒にスタートした。グラウンド一周である。コースは最初からオープンで、どこが誰のコースなんていうのはない。それが災いして、刺さったわけですね。僕の足にほかの人のスパイクが。痛かった。ただその刺さった所が足の親指の、人差し指とのあいだの皮膚の部分だったから、ちょっとはマシだったものの血が出て靴下が赤く染まっていくわけである。
 大会前日にマズイなぁと思ったのだが、棄権するほど重症でない(応急処置に貼ったバンドエイドが三分ぐらいで真っ赤になったけど)と考えた僕は、もちろん試合に出て、ダントツべべの座を防衛する事に成功したのだが、走る時にバンドエイドを貼っていたのでは気になって仕様がない。だから僕は走る時だけバンドエイドを取って走ったのだが、走る前まで上手くカサブタになっていたのがまた剥がれて血がドバーッと出ているわけです。走り終わって「な~んか足が水浸しのような感じだ」と思って靴を脱いだら血まみれ。
 ドキッとして、その場でケンケンしていると係の兄さんが
 「君、だいじょうぶ?」
 と聞いてきた。あの時ほど自分の命が危ないッ! と思った事はなかったなぁ。

偶然いやはや物語番外編

2005年01月20日 | 紅色
 はい、ベタベタなオチでした。「行きたいッ」というコメントが来たときには、どうしようかと思ってしまいましたが、まあそういうわけです。でもまあ、三百円って結構安いし、おいしかったので(キムチも)もう二、三度行く機会があるかもしれません。
 そうしてキムチとラーメンとで結構お腹一杯もう思い残すこと(今日の)はありませ~んッ! てな状態になって、再び地下鉄に乗った頃には八時前になっていた。
 お腹が一杯なので幸せ一杯胸一杯(古いか)という気分だったわけである。それで、OくんDくんとはいつものように大国町駅で別れて、僕はそのまま家路に着いたのだったが、おもわずゲ~ップなんかをしてしまった時などは、強烈なニンニク臭がしたので「このままでは家に帰れないッ!」と思ったほど。
 結構ニンニクが入っていたあのラーメン。おいしかったなぁ。
 余韻に浸りつつ家のドアを開けるわけですが、すぐそこで父が洗濯物をたたんでくれていた。それで、父は僕の顔を見るなりこう言った。
 「お、帰ってきたかッ! そうかそうか。なら、早く食えッ! 伸びてまうど」

 しばらく訳がわからなかったけれど、「伸びる」・・・のびる、の、のびるわけである。時間がたつと伸びる食べ物。
 といえば、アレしかなかろう。
 開けたのだが、恐る恐る、食卓のドアを。やっぱり、であった。ラーメン。
 と、なんだか英文の直訳みたいになってしまったが、わが家の食卓にはラーメンがドドーンと据えてあったのだった。
 「うへ~ッ!」
 とぼくはマトリックス並みの反りを決めてしまった。つい先日まで母が北海道へ行っていたので、そのお土産として現地で買ってきた「毛がにラーメン」である。食べてみると、なんてことないこれがまたまたおいしいのである。さっき俺、ラーメン食ってきたよなぁなーんて事をまるで考えさせない。というわけで、結局全部食べてしまった、という事である。
 それにしても一日夕食を二回もとってしまったのだ、太らないわけがない。太りました。二キロ。せっかく元に戻っていた体重だったが、また六十キロの大台に乗ってしまったのであった。

 たまにこういうラーメンばかりの日もあっていいッ! と切に願う私の大好物はカップラーメンである。そこの所頭の片隅にとどめておくように。試験に出すからね。
 それにしてもウマイ一日だった。以上、いやはや編終わりッ。

偶然いやはや物語3

2005年01月19日 | 紅色
 「ラーメン屋の続き、期待してますッ」
 言われると、ものすごいプレッシャーなのだ。なにしろこれから話すことは、ひょっとしたら読者を失望させてしまい「もう紅色見ないッ!」てな結末を迎えるかもしれないからだ。
 ということなので、くれぐれも怒ってパソコンを空に向かって投げないように呼びかけることとする。

 それで、えーと一応ハイテンションスタンドボーイに店までの道順を聞き出して、ずっと歩いているのだが、パチンコ屋が見当たらない。いや、パチンコ屋はあるのだが、スタンドボーイの言う「あたりや」という名前のパチンコ屋がないのだ。
 そこを左折、という風に、書いてくれた地図にも載っているのだがなかなか見当たらない。
 「やっぱりさぁ、さっきのパチンコ屋のところを曲がるんやって。そうに決まってる!」
 ぼくは、うーんと考えたのだが結局「なんたらかんたら23」とかなんとかいう名前のパチンコ屋を左折することにした。曲がってみればそこはいかにも「私らさびれておりますッ!」のオーラ発信源的存在な商店街だった。とにかく人がいない、電気が暗い暗い。生鮮食品スーパーとかの前に靴屋があるという、なんとも哀愁漂う感じの商店街で、なんか怖い。商店街にしてはありえないほど暗いのだ。
 そんな商店街を抜けると今度は住宅街である。商店街入口から「百メートルも歩かないうちにあたりは真っ暗になってしまった。しかもT字路になっているではないか。書いてくれた地図上では、どう見ても五、六〇〇メートル直進となっているのだが。
 「ここじゃないって、絶対に」
 クラスのベストオブ・ミラクル天パーDくんはそう言うのだが、なんちゅうか僕らは歩いた。
 すると、前方に南海電車の高架が見えてきたのだった。不気味~な絵画的風景だったのでちょっと本当に怖かった。
 「ひきかえそうッ」
 だれからともなくそう言って、今度は別の道を歩いて、またパチンコ屋のあった道路へ引き返した。と、左方面からただならぬ光が差し込んでいるではないかッ! 「むッ」と僕は思って、そっちの方向に行くと、これまた先ほどとは打って変わって賑やか煌びやか艶やかな商店街に出た。どう見てもこっちの商店街の方が「もうかってまっせ~」なのである。運良く商店街の地図もそこにあったので、もしやと思い百円ラーメンを探す。
 しかし、ないのである。もう腹の減りようは極限であり、「もうたこ焼きでもエエか・・・」と思い始めていた。玉出まで来て、たこ焼き。
 というのは寂しすぎる。ということで、Oくんの提案ではあるがパチンコ屋の通りにあった、百円とまではいかないが、並の値段のラーメン屋でラーメンを食べよう、ということになった。なんともガッカリするオチである。
 それで、とんこつラーメンとか塩ラーメンとかを頼んでですね、キムチとかは無料だったのでそればっかり食べてですね、「今度はK先生とかも連れて来よう」とか「W先生が一緒に来たりしたら、あのひと絶対に酒飲んで踊りだすだろうなぁ」とか言い合ってですね、「高橋君、キムチもっと持ってきて」とか言ってですね(この日はことごとくジャンケンで負け続けた)、「結構ウマイじゃねえか」「百円ラーメンよりおいしい(ということにしておきたい)」とか言ってですね。
 何しろ百円ラーメンの三倍の値段だったものだから「こっちの方がウマイ!」とでも思わなければやってられない、という心境でもあったからでしょうか。おあいそのときに、割引券を貰って
 「また来なければ」
 とか言って。それで、結局その日は百円ラーメン屋を見つけることはできなかった。
 後日、そのことを話題に出してみるとあっさり一言
 「そのラーメン屋な、もうつぶれたで」
 という事だそうです。

偶然いやはや物語2

2005年01月18日 | 紅色
 それで、本屋のおねーちゃんに百円ラーメン知ってる? と聞いたのだが答えはNO。(NOと言える日本人になりましょうね。ちなみに僕は・・・たまにNOと言います)ということで、とりあえず目的である百円ラーメン屋を探そうという事になった。
 しかしここは右も左も分からない玉出である。
 「まあ、ひとまず向こうを探してみよう」
 とOくんは右を指さした。
 「しばらく行って、なかったらまたこっちに戻ってきて今度はあっち側を探そう」
 という魂胆である。ここまで来たからには百円でラーメンを食わなければ気が済まない。なんとしてでも探し出して、百円でラーメン食ってワハハと高笑いしてやるぞッ。
 しかし、それらしい建物はなかなか見当たらない。中華料理屋だ、と思ったらラーメン一杯六百円也だったり、散髪屋だったり、賃貸マンション受付だったりした。僕はだんだんこっち側にはないのではなかろうか、と思い始めたちょうどその時。
 「ガソリンスタンドの兄ちゃんなら知っているだろう!」
 という事になって、聞いてみようという事になって、ジャンケンに負けたぼくが聞くということになった。本当にツイていない。
 だいたい今思えば、なぜガソリンスタンドのアンちゃんが百円ラーメンの在りかを知っているのか。今となっては疑問視すべき事がらだったのだが、その時は空腹に息も絶え絶えだったので、きっと頭まで酸素が行き届かなかったのだな、うんうん。不覚。
 で、僕は意を決してスタンドボーイの一人に言った。
 「あの、このあたりに百円でラーメンを食えるというですねぇ、そういうところが、あの、そのお」
 とにかくこのスタンドボーイ、ハイテンションだった。さらに、やたらと近くに寄ってくるのだ。出っ張ったお腹に僕がめり込む。そしてガソリン給油者に対しいつも言う「ありがとうございましたー!」ぐらいのボリュームで「ちょっと待ってくださいねぇ!」と言って、ドスンドスンと室内に消えていった。
 どうやらあのスタンドボーイ、知っているようだ。と思いましたね。また、「百円ラーメン」を「百ラー」と要約するところからして、かなりの通と見た!
 そのスタンドボーイは親切にも地図を書いてくれた。二つの信号を横切ってパチンコ「あたりや」のところを曲がってしばらく行けばそこが「百円ラーメン」だよう、おいしいよぉ! と言うのである。僕たちは頭を下げて、もと来た道を引き返した。
 もうすぐ食べられると思い、みんなのテンションが徐々に上がっていく様子が、はっきりと分かった。
 しかし、しかしである。こうして文章に書くぐらいだから、ちょっとやそっとで着いたりしないのが事実なのである。そこのところを踏まえて次回をお楽しみに。

偶然いやはや物語1

2005年01月17日 | 紅色
 偶然というものは時にロマンチックに、そして時に隠された素顔を見せたりもする。僕が体験した「偶然」を今日は書こうと思う。
 先日Oくんの誘いで玉出にあるらしい「百円ラーメン」に行こうッ! ということになった。ちょうど芸文祭がひと段落したので、ぼくは「たまにはこういう事もいいだろう」と思い、ついていく事にした。

 ところがその時僕は運が底辺、つまり要するところ、その日はツイていない日だったのである。学校でもあんな事こんな事があり、とにかくツイていなかった僕は「ひょっとしたら、嫌な予感がするんだなあ」と、心の奥スミの方で思っていたのだが、ラーメンの誘惑には結局勝てず、OくんとDくんと僕との三人で(Dくんはあれですね、道連れ)地下鉄玉手駅で途中下車。
 この前自転車で学校に行ったときに玉出駅を通ったのだが、実際この駅で降りるのは初めてだった。で、とりあえず階段を上って地上に出るわけです。と、ここでOくん爆弾発言。
 「さて、ここら辺にあることは確かや。探そうか」
 と言うのである。すかさずDくん
 「って自分ラーメン屋どこにあるんか分からんのかいッ!」
 「いや知らん」
 ななな、なんちゅうヤツだッ! Oくんが行こうと言うから、てっきり僕はOくんが知っているとばかり思っていたのに現実は「知らない」。ツイてない。今日は本当にもうとことんツイテイナイッ!
 「とりあえずな」
 とOくんが言う。まったく本当に能天気、僕以上に能天気である。
 「まだメシまでには時間があるから、本屋で立ち読みでもしよう」
 仕方がないから(なんで玉出まで来て立ち読みなんかしなくてはいけないのだッ! と思いつつ、探していた漫画【フェイスガード虜第四巻】があったので、ついつい買ってしまった)立ち読みをして、僕が漫画をカウンターに持っていこうとすると
 「あ、高橋くん。ついでやからレジの人に100円ラーメンの場所を聞いてきてくれる?」
 本当に仕方がないから、僕はレジのおねーちゃんに
 「あのー、このあたりに百円のラーメン屋があるって聞いたんですけど・・・」
 と訊ねてみると
 「さぁ、知りません」
 の一言。
 ツイていない、ということで、仕方がないから店を出る事にした。

ううむ…

2005年01月16日 | 紅色
 芸文祭、という行事が、えーっと近日行われるという事なのですが、今日それに出品される絵の審査発表がありました。一応出品されるものは「入選」ということになるのですが(それを「乳腺」と言って喜んでいたのは僕だけではなかろう)、いやはや落選してしまいました。
 ショックではないといったらウソになりますが、ショックですね。口先で「これじゃ落ちるよ」と言っていても、僕の心の中ではやっぱり通ってほしかったのです。六割ぐらいは「通る」と思っていたので、余計いこういう結果になってしまったのには悔しいです。

 というわけで、落ちてしまったわけなのですが、審査発表後、学校の先生たちがやってくれた合評会では
 「これが落ちてしまった」
 とか
 「落ちるとは思わなかった」
 という意見が、各先生の意見の中にあったのですが、何でしょう。これは審査員と学校の先生との見方の違いが関係するのでしょうか。確かに今回描いた絵は、単純な形であると言われれば否定できなかったし、不完全、未完成な部分も多々あった。
 その分からして、学校の先生は制作中の絵も見ているけれど、審査員は完成の絵しか見ていない、というのも関係してくるのでしょうか(えっと、何を言おうとしていたのだっけ)。

 結果的に、僕が考えたのは甘かったな、という事です。認められる絵というのは、やはり一人だけが認めてもしょうがないのです。また、学校の先生が認めてもしょうがない。審査員と、学校、かつ自分自身に認められる絵を描けなかった事がすごく悔しい。中途半端な絵を、今回は描いてしまった。
 また、そういう絵が通ると考えていた自分が、なんというか自分勝手だなぁと思ったわけです。芸文祭というものを甘く見ていた自分が許せない。完璧な絵というのを描くのは不可能に近い。でも、それに近づける事はいくらでもできるわけであって、次からは、いや明日からまた新しい絵を描き始めようと思う。