BLOG 思い遥か

日々新たなり/日本語学2020

読みがな

2021-09-05 | 思い遥か

発端を言うなら訓点語学会の事だった。それは1970年代中頃のこと、学会の会場は奈良だった。講堂の一室は訓点の議論にふさわしい。そこで何があったか。
会場から手が質問の手があがって、「いったい天皇はいつから、テンノーなのですか」という声があった。一瞬、場内はなにを聞くのだろうという戸惑いが聴衆に走った。
発表は演者に、築島裕氏であった。発表内容のテーマは、いまとなって、記憶してはいないが、その質問を受けてしばし沈黙のような、その雰囲気とやり取りが妙に記憶されている。
しかし、すぐにもまた、「それがわからないのですね」という答えであった。そのあとは口語ごもるように独特のトーンで、「その読みには、そういう読み方を記すものがない、つまり記録にはでない、だから、その読みをつけるもの、あえて言えばルビですね、仮名で書かれたものとか、それを探しても見当たらない」というものだった。
国語研究の第1人者の戸惑いが見えた。しかし、その答えには印象に残るものがあった。そうだ、天皇の読み方はいつのころからなのか。
意味は、いや、読みは、すめら‐みこと、皇尊/天=皇。すべらみこと。「天朝(すめらみこと)許し給はず」〈皇極紀〉という例を辞書に挙げる。また、あめのした、しろしめす、というふうに言うと、治天下大王 あめのしたしろしめすおおきみ という呼び方が、表記にも、御宇天皇 あめのしたしろしめすすめらみこと となる。
そうすると、てんおう 天皇 としての読み方は、天王に、それは、てんおう でなくて、てんのー 天皇 の表記をあてるものになる。それが読み習わしであるとして、いつからかは文献実証でその証左が得られない、それを問うことになる。
わたしにその問は、連声のことをとらえれば、同様の音変化を起こす語に時代がさかのぼることになるが、どうしても、天皇、天王、天応は同じ発音には思えない。てんこう、てんのう、てんおう、となる。
天皇が、てんこう であるか、てんおう かどうかも、またいつからと決められないことを知ったのであった。




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