狭き門より入れ

スペイン在住クリスチャン。聖書にある救いとは?罪の赦しとは? 礼拝などから、福音メッセージを載せています。

支え

2020年11月07日 | 聖書
んなことが、ありました。 ある夏、キャンプ場のバンガローのテラサで、備え付けのプラスチック製のイスに腰掛けたら、イスごとひっくりかえってしまったのです。 幸い、何のケガもなかったのですが、本当にビックリしました。 良く見ると、イスを支える4本のうちの脚の1本が折れていました。 きっと、ヒビが入っていたのでしょう。
みなさんは、 イスに座る前に、いちいち脚の部分にヒビが入ってないか調べたり、イスが自分の体重を支えられるかどうかを疑って、恐る恐る座ったりしないと思います。 なぜなら、私たちは、イスが私たちを支える事を、信じて疑うことがないからです。
私たちの人生は、色々なものに支えられています。でも、その支えは、本当に大丈夫ですか?

先日、YouTube で、ある青年が、どうしてホームレス生活をするようになったか話しているのを聞きました。
“自分は、力仕事をしていたが、病気が進んで、仕事が出来なくなった。 失業したら、結婚を考えていた恋人が去っていった。 会社の寮を出たが、何もする気力がなくなって、ホームレスをしている。 “
彼の病気は、難病指定されている病気で、福祉課で相談したり、進んで申請すれば、生活保護も受けられるし、住居も、それなりにできる仕事も見つかると思うのですが、もう、彼には生きる気力さえもないようでした。 せめて、実家に帰って、毎日食事をして、親に見守ってもらえたら、月日が経てば少しずつ元気を取り戻せるかもしれません。 しかし、彼は、不倫の子のために、施設育ちで虐待された経験もあるとのこと。 親の愛情を知らないのです。 それだけに、恋人は、彼にとっての全てだったのでしょう。

また、こんな人も知っています。 彼は健康で、仕事もあり、恋人とも、うまくいっていました。 ある日、友人に誘われ、ディスコで飲んでいて、友人に誘われるままに生まれて初めて麻薬をやってしまいました。 その結果、親も仕事も恋人も全て失いました。 彼もホームレスになりました。

こう考えると、自分の力で幸せに生き続けるということは、まるで、薄氷の上を歩くようなものではないでしょうか?

知っていますか?私たちは、神に愛されるために生まれたこと。
知っていますか?神が私たちを、他の誰よりも愛して下さっていること。 そして、その愛は永遠であることを。

その愛は、どんなときにも私たちの心を満たし、支えて下さるのです。
あの青年が、彼の孤独のすぐ隣で手を差しのべている神様に出会えるように、心から祈ります。

こんなみことばが聖書にあります。

“私の父 私の母が私を見捨てるときは 主が私を取り上げて下さいます。“
(詩篇27:10)

“苦難の日に わたしを呼び求めよ。
わたしはあなたを助けよう。
あなたはわたしをあがめよう。“
(詩篇59:15)


(Semakimo)






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