狭き門より入れ

スペイン在住クリスチャン。聖書にある救いとは?罪の赦しとは? 礼拝などから、福音メッセージを載せています。

金? いのち?

2021年03月30日 | 聖書
「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを失ったら、何の益があるでしょうか。」(マルコ8:36)

1859年のことです。乗客をたくさん乗せた船が、ミシシッピー川を 航行していました。 乗客の多くは、アメリカの北東部の金鉱から帰宅する鉱夫たちでした。
ところが、突然、船は半分沈んでいた大木にぶつかってしまい、沈み始めました。乗客たちは、救命ボートに殺到しました。また、水に飛び込む者たちもいました。ところが、その飛び込んだ者たちのうちのひとりが、まるで、石のように、川底まで沈んでしまったのです。
発見された死体の洋服の全てのポケットは砂金でいっぱいでした。他の鉱夫たちが自分の命を救うために川に飛び込む前に手放した砂金を、彼は拾い集め、服の全てのポケットに詰め込み、結局は、それと引き換えに、自分の命を落としたのです。
この鉱夫の取った行動は、私たちにはとても愚かに思えるかもしれません。けれども、私たち自身も、同じことをしていませんか?

あなたの人生の目的は何でしょう?…この世の贅沢と快楽を手に入れることですか?自分の良心を満足させるために、たまに良い行いなどしながら…。

残念ながら、これらのものは、神様の前には全く価値がありません。死後の永遠のための備えをしなければ、あなたも、あの鉱夫と同じように、この世の快楽や贅沢をポケットに積めたまま、沈んでしまうでしょう。川底ではなく、永遠の地獄に、です。

神様は私たちが地獄で永遠の罪の刑罰を受けることを、決して望んでおられません。神様は私たちを救うために、最愛なる、ひとり子、イエスキリストを犠牲にしてくださったのです。イエス様は、私たちの身代わりとなって、十字架で、私たちの全ての罪の罰を受けて死んでくださいました。そして、死の力を打ち破り、死後三日目に甦られ、多くの人々に現れて後に、天に帰られました。
誰でもこのイエス様を自分の救い主と受け入れる者は、罪が許され、永遠の天国に行ける者とされるのです。
どうか読者の方々が賢明な選択をして下さいますように。

(La buena semillaより)

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