狭き門より入れ

スペイン在住クリスチャン。聖書にある救いとは?罪の赦しとは? 礼拝などから、福音メッセージを載せています。

父の悲しみ

2020年11月14日 | 聖書
先日、ある友人がこんなことを話していました。 彼には4人の子供がいるのですが、年の近い、中学生の長男と次男が、しょっちゅう、ケンカをするのだそうです。 その日もまたケンカをしている長男と次男に頭を抱えていると、長男が、彼にこう言ったそうです。
“心配しないでいいって。 僕たちがケンカしても、放っておけばいいじゃん?“
親としては、そういうわけにもいきません。
けれども、まだ、彼らのケンカの原因は、たわいのないものですし、しばらくすれば、また二人でじゃれ合って、笑いこけていたりするのですから、かわいいものかもしれません。 しかし、これが、いい歳をした大人の兄弟げんかとなると、話しは全然違ってきます。 現に、もう何年も話していないとか、絶縁した兄弟姉妹の話もよく聞くところです。 そこで、ふと考えました。

例えば、私に多くの息子と娘がいるとします。 私は、息子たちも娘たちも、心から愛していて、必要なものは惜しまず与えて、一生懸命育てました。 ところが、大人になった彼らは、親の私を無視します。 そのうちに、長男は次男を憎み、殺し合いをするようになりました。かと思うと、長女は三女を奴隷として扱い始めます。三男は、小さい姉妹たちを、犯します。また、次女は災難に会い、飢えて死にそうなのに、お金持ちのその他の兄弟姉妹は、彼女を蔑み、セレブな生活を楽しんでいます。 もう一人は趣味に、もう一人は仕事に没頭し、他の兄弟たちのことなど眼中にありません。 多くの息子、娘たちが、騙し合い、妬み合い、殺し合い…そして、誰も親の言葉に耳を傾けようともしないのです。 それどころか、親さえも馬鹿にし、罵倒します。…あなたが親だとしたら、どうするでしょうか?どう感じるでしょうか?

これが世界の縮図です。

この親は、私たちを造られた神であられ、この息子たちが、私たち人間です。こう考えると、神が、私たちを裁かれるのは、当然のことではないでしょうか?

けれども、神は、その憐れみにより、一人でもその裁きから救おうと、イエス•キリストという、救い主を与えて下さり、私たちが悔い改めることを、忍耐深く、待って下さっているのです。

(Semakimo)



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