2010年1月16日 土曜日 曇り時々晴れ 最高7℃,最低1℃
ここ数日雪が降る時がありましたが、今日は久々に暖かかったような気がします。
上の写真は今から15年前、1995年1月の月間予定表。
天気は毎日記入していました。
この当時私は大学生で、愛媛の松山で一人暮らしをしていました。
1月15日(日)に地元の成人式に出席し、翌16日(月)松山に戻りました。
そして1月17日(火)の朝5時46分。
地震で目が覚めました。そう、あの阪神淡路大震災です。
松山では震度3。それでも4Fに住んでいたので結構揺れました。
朝のTVでは地震がありました程度のニュースで、
ふんふんと見ながら大学に通学しましたが、
昼休みに同じ教室の学生から「すごい事になっとるで!」
という事を聞いて、
夜のニュースを見たら道路上に建てられた高速道路が
なぎ倒されている映像等壊滅している街を見ました。
こんなに激しい地震の被害を生の映像で見たのは生まれて初めてでした。
この頃はまだ携帯電話はほとんどの人が持っていなかったので、
通信手段が困難だったことは覚えています。
1年後の手帳を見ると、その時の死者は6,308人と書かれていました。
もうあれから15年経つんですね。
さてこの頃、とある曲をラジオでよく聞いていました。
BRATS/B(ブラッツオンビー)の『この花が咲いたら』です。
4人組のバンドで関西の吉本出身(と言ってもお笑いではありません)。
大震災に胸を打たれた彼らが明日を見つめる想いで作られた曲です。
ストレートなメッセージと伸びのある強い歌声に心魅かれました。
CD売り上げは少なく、レンタル店で探しても無く、
ラジオから録音した曲を持っていますが、
耳で聞くとこのような歌詞です。
この花が咲いたら 作詞:小森将信 作曲/編曲:BRATS/B
この花が咲いたら さあ摘みに行こう
瓦礫(がれき)の中にさえ きっと咲くから
指きりげんまん 今よりもっときれいになる
すすけた顔のこの笑顔 焼きつけて
ただ強く生きていく証を この子にも伝えたい 伝えたい
この花が咲いたら さあ摘みに行こう
瓦礫(がれき)の中にさえ きっと咲くから
あなたのくれたこの命 守るから
踊り始めた夏のこの鼓動 抱きしめて
ただ強く生きていく証を この子と歌いたい 歌いたい
この花が咲いたら さあ摘みに行こう
瓦礫(がれき)の中にさえ きっと咲くから
もう一度君が咲いたら さあ迎えに行こう
雲を呼び鳥を呼び きっと行くから
この花が咲いたら さあ摘みに行こう
瓦礫(がれき)の中にさえ きっと咲くから
きっと咲くから きっと咲くから
この花が咲いたら さあ摘みに行こう
瓦礫(がれき)の中にさえ きっと咲くから
この花が咲いたら さあ摘みに行こう
瓦礫(がれき)の中にさえ きっと咲くから
ラララ・・・
<'10.10.13:歌詞修正 「ただ強く生きていく私を」→「ただ強く生きていく証を」>