こうたろうつれづれ

生活からの気付き・思いつきなど

平針の里山は消えそうです

2010-11-02 11:22:32 | 日記
平針の里山保全協議会は名称の変更を迫られています。
保全すべき里山が消されていくからです。
私の感覚からは「平針の里山」都市開発遺族の会でしょうか。
いのちが失われていきます。
失われたいのちは戻りません。
さて、どうしたものか悩んでいます。
遺族の感情は、その原因者に向けられます。
なぜ、こんな事をするのか。
なぜ、こんな事になったのか。
そして、これからどうしたらいいのか。
自然の生態系の大切さを訴えかける気持ちは失っていません。
残り1%になっても保全する努力を放棄する気もありません。
しかし、この緑地が無くなると同時に、
私たちの心根も無くなっては本末転倒です。
私たちに出来る事、
私たちにしか出来ない事をしっかりと見極める必要があります。
昨日も開発業者さんとの立ち話で3万人の署名の話が出ました。
どこに3万人の人がいるのか、と疑うのです。
例えば、国力が衰えると中国からもロシアからも責め立てられます。
それと同じように業者の方は保全を求める力を疑っているのです。
一部の人の意見が誇張された現象であり、
開発を阻害するほどの力は存在しないのだと考えてみえるようです。
世間にあらがって商売は出来ません。
我々の活動だって世間の賛同を得ない事には成り立ちません。
今後の基本的な活動方針の樹立が必要の様です。

記事のタイトルを入力してください(必須)

2010-11-01 18:01:22 | 日記
開発か保全かで名古屋市を騒がせた平針の里山が
業者の樹木伐採で消えてゆきます
手続きに数々の不備が見受けられるのですが
里山が消え去ればそれらも消え去るのでしょうか
守るべきものが消え去ったら
その過程での出来事も消え去る様に思えて
これが開発業者、行政の当事者の策略で
実際に体験してみると虚しさがぬぐいきれません
頭では分かっていても実際にその立場に立たされると
かなり強力にダメージを受けます
自然環境の大切さ、都市には本当に必要なのですが
それを実現する仕組みが今のところありません
気持ちを純化しない事にはいけないのでしょうね
いのちのつながりを大切にする事とはどう言う事か
守るべき緑地がなくなってしまったら
緑地を大切にする事はどの様に変化させるべきか
今後はこの辺りの勉強になるようです

さて、これからは

2010-09-28 09:45:15 | 日記
この夏の猛暑にたじろぎ
しばらく書き込みが遠のきました。
年のせいで物事が億劫になり
活力が出ません。
さて、との表題も多くなりそうです。
世の中の出来事を眺めていると
つくづくグローバル化している事に
感心します。
中国との関係や国政、
名古屋市政であっても同じ、
平針の里山の課題も同じです。
物事が複雑になっています。
そんな中で今日拾い上げた記事に
多様性にはマネージメントが重要とあり、
これまた、関心をした次第です。

私の最重要課題は今後の十数年を
どの様に生き抜くのかと言うことですが、
なかなか見えてきません。
それでも基本的な事柄を整理する中で、
核心となるのはアウトプットの仕方なのではと、
考えています。

隠居生活に近い中でのアウトプットの形を
これから探す事になる様で、
試行錯誤で大変かなぁと思っています。

いつの時代も同じかもしれないけれど、
今までの方法が通用しないのです。
グローバル化した世界が今までには
無かったのです。
イノベーションの環境では
クリエーティブにならざるを得ないし、
また、それが楽しみにもなります。

創造する世界での試行錯誤を
ここに一つ一つ書き込めたら
良いのにと思っています。

100円ライター

2010-08-25 09:03:44 | 日記
先日使い古しの100円ライターを廃棄処分する為、
壊した時に驚いた。
精密な部品が使われていて、
ガスが抜けない、壊そうにも頑丈で壊れないのだ。
ライターを遊んでいての火災原因はあるけれど、
100円ライターそのものの不備による火災はまれではないだろうか、
製品の完成度に感心させられた。

株安と円高のニュースがあって理解に苦しむけれど、
世界経済の低迷は日本経済の低迷に原因がある。
と考えたらどうだろうか。
日本経済は良くも悪くも世界の中で先頭を走っているのだ。
消費社会の中で先頭に立ち、
消費低迷の流れの中で苦しんでいる。が、
この問題を解決する期待が日本に向けられていて、
円高なのだと思う。

間違い無く今後は、
エネルギー資源の課題を解決する事が経済の発展に寄与する。
循環型のエネルギーで未来社会を構築する事が
人々の幸せな暮らしに欠かせないと思うのだ。

煙草の需要が減じて100円ライターの需要も減る事間違いなし、
それなら、携帯型の燃料電池に用途を変えてみたらどうか。
携帯型パソコン他いくらでも電源を必要とするものは頭に浮かぶ。
開発費は有望な投資分野だと思う。

未来社会を良くする為の行為が投資なのだから
見返りは子供で孫で良いと考えよう。
就職難などと言っていないで、
未来社会の為に今する事はいっぱいあるはずだ。

夢が描けない人を作った事がいけない。
先頭を走る人を作らなかったのがいけない。
自分で考える事が出来ない人を作った事がいけない。
これからの事は不確かな事ばかり、
正解不正解で割り切れない事ばかりなのだから、
学校のテストの様には対応できない。

不条理の世界を垣間見た体育系の人達が有望だろう。
体力勝負、単純さ、素直さ、上下関係の尊重などの要素ではなく
努力の積み重ねが結果に影響する事を体験した
体育系要素でもって未来を切り拓いてもらいたい。

資源の奪い合いはエネルギーだけではないのだから
いくらでも仕事はある、
今までの様な形での仕事は減ると思うが、
未来社会への働き掛けをどんどん行えば景気は良くなる。
日本と言う小さな国の中で
世界の動きとはちょっとかけ離れていても、
自分たちの未来社会を作る事が
先駆ける事につながると思う。

夢を描いて未来社会を創ろう。

一朝一夕では出来ないこと

2010-08-23 10:16:14 | 日記
瞬く間に出来る事はそんなに多くはないけれど
気の遠くなる程の時間を要する事も多くはない
どちらも多くはないけれど無い訳ではない。
すぐに結果が得られない事はしばしばある。
事の成否の問題とは別の問題として存在する。
要は時間の縛りである。
一週間先は一週間経たないと来ないし、
一年先も同じ、時間を経ない事にはダメなのである。
この他に積み重ねないと得られない事柄も存在する。
一回ではダメで、数回数十回数百回の繰り返しを経ないと
得られないものが存在する。
技術的なモノとか鍛錬とか、信用とかと言うモノが、
時間的な縛りと一緒に存在する。
何らかの成果を求める場合に考える事は、
以上の関係を身の上に落とし込んで考える事だと思う。
時間が経てばそれだけで成果が得られるものでも無いのだが、
と言って一瞬では入手出来ないモノがあり、
時間をかけて丁寧に得る事を必要とするものがある。

事の成り行きで得られるモノは身に付かない、のである。
そして、この事は習慣とも言い、一つの手法である。
例えば、物知りの人は知らない事に出会った場合に、
必ず調べると言う習慣を身に付けているのではないか。
博学は瞬時に入手出来ない、と言う事である。

そこで、問題になるのが長期目標と言う課題で、
一生ものなら習慣なのだけれど、
数年、十数年の課題と向き合うにはどうするのか。
実は簡単な事でもあるのだけれど、
なかなか身に付けるのが難しい手法がある。
それは自分の力に見合う大きさに千切って、
向かい合うと言うものだ。
大きなモノ、長いモノは千切って対処するのが良い。
千切ってばらばらにして向かい合い、
それぞれをそれぞれにその時々に対処する。

ばらばらにする事がコツだと思っている。
秩序だった構造を持ったままではダメ。
なぜかと言うとすぐにまたまとまって大きくなってしまうから。
再び大きくならないようにばらばらに千切る事が必要だと思っている。

次は千切ったものを忘れないように一つ一つ対処する事。
数年十数年先に全てをクリアーしていないと成果は得られない。
そこで計画が必要になる。或いは戦略も。

長期中期短期の課題はその時々にばらばらで良いのだから、
気の向いた時に気の向いた課題に取り組めば良い。
この事は天気のいい日に、これは雨の日にでも良いし、
自分の都合でどうにでもなる。
一つの課題に手詰まりを感じたらそこで手を休めて、
違う課題に取り組む事も必要。
そんな手法も千切れば使えるのだから。

学習は国語算数理科社会に千切ってあるけれど、
人生はなかなか千切れないものである。