平針の里山保全協議会は名称の変更を迫られています。
保全すべき里山が消されていくからです。
私の感覚からは「平針の里山」都市開発遺族の会でしょうか。
いのちが失われていきます。
失われたいのちは戻りません。
さて、どうしたものか悩んでいます。
遺族の感情は、その原因者に向けられます。
なぜ、こんな事をするのか。
なぜ、こんな事になったのか。
そして、これからどうしたらいいのか。
自然の生態系の大切さを訴えかける気持ちは失っていません。
残り1%になっても保全する努力を放棄する気もありません。
しかし、この緑地が無くなると同時に、
私たちの心根も無くなっては本末転倒です。
私たちに出来る事、
私たちにしか出来ない事をしっかりと見極める必要があります。
昨日も開発業者さんとの立ち話で3万人の署名の話が出ました。
どこに3万人の人がいるのか、と疑うのです。
例えば、国力が衰えると中国からもロシアからも責め立てられます。
それと同じように業者の方は保全を求める力を疑っているのです。
一部の人の意見が誇張された現象であり、
開発を阻害するほどの力は存在しないのだと考えてみえるようです。
世間にあらがって商売は出来ません。
我々の活動だって世間の賛同を得ない事には成り立ちません。
今後の基本的な活動方針の樹立が必要の様です。
保全すべき里山が消されていくからです。
私の感覚からは「平針の里山」都市開発遺族の会でしょうか。
いのちが失われていきます。
失われたいのちは戻りません。
さて、どうしたものか悩んでいます。
遺族の感情は、その原因者に向けられます。
なぜ、こんな事をするのか。
なぜ、こんな事になったのか。
そして、これからどうしたらいいのか。
自然の生態系の大切さを訴えかける気持ちは失っていません。
残り1%になっても保全する努力を放棄する気もありません。
しかし、この緑地が無くなると同時に、
私たちの心根も無くなっては本末転倒です。
私たちに出来る事、
私たちにしか出来ない事をしっかりと見極める必要があります。
昨日も開発業者さんとの立ち話で3万人の署名の話が出ました。
どこに3万人の人がいるのか、と疑うのです。
例えば、国力が衰えると中国からもロシアからも責め立てられます。
それと同じように業者の方は保全を求める力を疑っているのです。
一部の人の意見が誇張された現象であり、
開発を阻害するほどの力は存在しないのだと考えてみえるようです。
世間にあらがって商売は出来ません。
我々の活動だって世間の賛同を得ない事には成り立ちません。
今後の基本的な活動方針の樹立が必要の様です。