カフェ「House Roasted Coffee」を開いたヨーコさんは、小学校時代をアメリカで過ごした。当時は、ベトナムやカンボジアから多くの難民がアメリカに流れてきた時代。彼女の通う現地小学校にも、その子どもたちが日々転入してきた。日本や世界を意識し、インドシナ半島をめぐる紛争や戦争を間接的に実感した米国での小学生時期が、ヨーコさんの原風景かもしれない。
日本の高校を卒業すると、環境保全を学ぶために米国コロラド大学へ。彼女のフィールドは日本から外に広がっていた。「だからラオス、というわけではないのですが」と静かにヨーコさんは微笑む。
大学院では農業経済を研究、ラオスのコーヒー豆栽培農家を研究のフィールドにした。が、思うように収入の伸びないコーヒー豆栽培から他の作物に転換していく農家が増えていく。リサーチの対象としていた上質なコーヒー豆を栽培している農家も、同様の道を進みそうだった。何とかそのコーヒー豆の生産を継続して欲しい。そのためにできることをヨーコさんは模索した。
「それで、自分で店を開こうと思いつきました。そのうち、フェアトレードショップに注目されるようになって、売れすぎて品不足の時もあるようですが」と彼女は苦笑する。
『House Roasted Coffee』でコーヒーを楽しむ人のほとんどが、在住外国人。それとフランス帰りのラオス人も時々。専属農家栽培のコーヒー豆を買いに来る常連さんもいる。
「日常生活では、社会主義の国を意識することはありません。研究で村落調査をしていたときは、常に政府関係者が同行していましたから、日本とは社会維持の体制が違うことは確かですが」
ラオスに関わって5年、住民となって4年。ラオス人が、世界の場で誇りをもつことの難しさを感じている。グローバルスタンダードがラオス人には様々な意味で大きな壁となっている。そう感じるのは決してラオス人だけではないだろう。グローバルスタンダートは経済大国のみの価値観だけではないだろうか。ヨーコさんと話をしながら改めて自分の国を振り返る。
ラオスに住み、カフェを開いた彼女は自然体だ。「ばりばりやりたい人にとっては、この国で仕事をするのはストレスの連続でしょう。でも子どもを育てながら仕事をするにはいい国。実際、私もこうして子どもを傍らに置きながら店をやっていますけど、日本では許されないでしょうね」
カフェを手伝っているラオス人の女性が、数ヶ月になる彼女の愛娘とあやしている。ラオスでは、誰もが自分の子のように、子どもを抱いたりあやしたりして可愛がる。仕事場に乳飲み子を抱いていくことも珍しくない。みんなで子育てをしているという雰囲気の国なのだ。
日本だったらすぐに聞こえてきそうな言葉が脳裏を過ぎった「公私混同」「母親のくせに」「子どもがかわいそう」「仕事と子どものどちらが大事?」
そういえば、ルアンパルバングからビエンチャンまで走るバスの窓越しに見えた各村では、男性が赤ん坊を背負っている姿が少なくなかった。
日本の高校を卒業すると、環境保全を学ぶために米国コロラド大学へ。彼女のフィールドは日本から外に広がっていた。「だからラオス、というわけではないのですが」と静かにヨーコさんは微笑む。
大学院では農業経済を研究、ラオスのコーヒー豆栽培農家を研究のフィールドにした。が、思うように収入の伸びないコーヒー豆栽培から他の作物に転換していく農家が増えていく。リサーチの対象としていた上質なコーヒー豆を栽培している農家も、同様の道を進みそうだった。何とかそのコーヒー豆の生産を継続して欲しい。そのためにできることをヨーコさんは模索した。
「それで、自分で店を開こうと思いつきました。そのうち、フェアトレードショップに注目されるようになって、売れすぎて品不足の時もあるようですが」と彼女は苦笑する。
『House Roasted Coffee』でコーヒーを楽しむ人のほとんどが、在住外国人。それとフランス帰りのラオス人も時々。専属農家栽培のコーヒー豆を買いに来る常連さんもいる。
「日常生活では、社会主義の国を意識することはありません。研究で村落調査をしていたときは、常に政府関係者が同行していましたから、日本とは社会維持の体制が違うことは確かですが」
ラオスに関わって5年、住民となって4年。ラオス人が、世界の場で誇りをもつことの難しさを感じている。グローバルスタンダードがラオス人には様々な意味で大きな壁となっている。そう感じるのは決してラオス人だけではないだろう。グローバルスタンダートは経済大国のみの価値観だけではないだろうか。ヨーコさんと話をしながら改めて自分の国を振り返る。
ラオスに住み、カフェを開いた彼女は自然体だ。「ばりばりやりたい人にとっては、この国で仕事をするのはストレスの連続でしょう。でも子どもを育てながら仕事をするにはいい国。実際、私もこうして子どもを傍らに置きながら店をやっていますけど、日本では許されないでしょうね」
カフェを手伝っているラオス人の女性が、数ヶ月になる彼女の愛娘とあやしている。ラオスでは、誰もが自分の子のように、子どもを抱いたりあやしたりして可愛がる。仕事場に乳飲み子を抱いていくことも珍しくない。みんなで子育てをしているという雰囲気の国なのだ。
日本だったらすぐに聞こえてきそうな言葉が脳裏を過ぎった「公私混同」「母親のくせに」「子どもがかわいそう」「仕事と子どものどちらが大事?」
そういえば、ルアンパルバングからビエンチャンまで走るバスの窓越しに見えた各村では、男性が赤ん坊を背負っている姿が少なくなかった。
みんなで渡れば怖くないしきに働く親よ強くなれ、
乳飲み子をを離さず連れて出勤してみたら。
意味合いは違いますが、当地では夏休み中の小学生を対象に「こども参観日」申し込み受付中。
私も一日小6の孫を連れて出勤することにしました。
働くママのために、企業が保育園を持っているケースもまだまだ稀ですし。
本当は、親の働く姿を子供に見せるのってとっても良いことだと思うんです。
地方都市で土日や時間外保育をしてくれるところが無いか市役所で聞いたら
「おばあちゃんが見るものです」と担当者に言われてびっくりしました。
おかげさまで、その子供達も今は中学生。
生意気盛りです。
今、北欧にいますが、乳母車を引いた男性や女性がとても多いのです。電車、バス、路上など。「子どもをつれて外に出ることのできる社会なんですよ」と、今日話をしたスウェーデン在住30年以上という日本人女性が言いました。日本はどうして・・・
その人の個人情報をブログに載せるのってどうなんでしょう?