見果てぬ夢

様々な土地をゆっくりと歩き、そこに暮らす人たちに出会い、風景の中に立てば、何か見えてくるものがあるかもしれない。

旅の風景■あらゆる商売が見えるインド

2006-08-17 22:32:55 | 過去の旅
華僑ほどではないにせよ、世界中で印僑は活躍していますが、安穏とした土着の人たちの目には、彼らのその逞しさや才覚より、地元の人間を出し抜く狡猾さの方が目に付いてしまうようです。

初めてインドに入ってデリーのバザールを歩いたとき、確かに、インド商人のエネルギーを感じました。笑うのは損と信じているかのような、彼らの無愛想な表情。
「愛想がいいことが、世界の常識と思ってはいけない」と、自分を諌めながら、値段交渉を楽しみ、最後に笑い合うこともありました。

ニューデリーでは、あちこちの路上で、ありとあらゆる商売に遭遇しました。

体重計一台を前に、路上に座っている商売はよく見ました。通勤や散歩の最中に体重計に乗る人がけっこういるのです。
料金は交渉次第

公園の芝生に寝転がっていたときに声をかけてきたのは耳掃除屋。
「ちょっと、動かないで」と言うが早いか、耳たぶをひっぱって、ごそごそと動いたと思ったら、耳掻き棒の先を見せて、「ほら、こんなに汚い。デリーは空気が汚れているんだよ」と。

リヤカーを引いて歩く食べ物売りは無数。焼き芋、パンケーキ、焼き落花生、フルーツ、ポップコーン…

動物を扱う見世物師は、ヘビ使い、サル使い、鳥使い、クマ使い…

路上興行師は、マハラジャ操り人形、着飾った子どもの民族ダンス…

ビニールシートを広げただけの路上即席店舗では、ヒンズー教文化芸術に似せた、木彫、石彫、真鍮、鋳物、女性を魅了する、アクセサリー、サリー布、クローブやクミンなどの香辛料、野菜、乾物、塩、衣類、下着、カバン、靴、日用品(シラミ取り用のくし、等)

物貰いという職もあるのだと、インド人は淡々と言いました。
「親が、男の子の足を小さな頃に切り落とす。低カーストが、同情とバクシーシ(施し)を得るための方法のひとつなんです」
観光地の出入り口周辺には、幼子を腰に乗せて物乞いをする子どもや女性に混じり、滑車のついた木の板に乗り手で漕いで移動する足のない男性が何人もいました。

「生きること」のエネルギー、逞しさ、悲しさ、刹那さが、一度に襲ってくる計り知れない国、がインドの最初の印象です。




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