コニ研課外活動というのをやっている。
今回は、最近少し親しくなった、なかなか魅力的なご住職を頼って、座禅と写経をプチ体験。
別に秘密にしているわけではないのだけれど、人数多くなるとフォロー出来ないので、基本的にゼミの学生+希望者。今回は、平日と言うこともあって、あんまり広く声かけてない。参加者、学生13人と私。
書院で簡単な説明を受けた後、本堂に移動。柔軟体操(って、ヨガ)。この時点で、私は限界近し。みんな柔らかい。
そのあと、まず曹洞宗式という説明で、壁に向かってひたすら座るの(只管打座)を、約25分。様々な想念を車窓の風景のように流していくんだそうだけれど、なかなか流れてくれない。眠さはある瞬間ふっと消えたんだけれど、足が痛くて……。ギブアップしようかともぞっとしかけたところで終了。
2ラウンド目は臨済宗式。壁に背を向け、頭の中で呼吸を数える。雑念が入ると案外数えられないし、数にひかれて呼吸が出来なくなる。それでも20分以上やったらしい。こっちの方が早く感じる。
休憩して、今度は写経。約30分。般若心経をなぞる。
これ、すごいな。ただ、筆でなぞるだけなのに、書けない。様々な想いが頭の中を駆けめぐって、字が書けない。うまくいったと思うと次はもうだめ。
3ラウンド、それぞれに興味深い体験だった。抽象度が弱まる配列だったので、あとの方ほど意識的でいられた。私のような理屈屋には、まずはこの辺からの方が良いのかもしれない。
考えないようにすることは不可能。想念はどこからとも無くやってくる。それをどう流していくか、ということらしい。流す自分を意識したら、それはそれでおかしい。自動車を運転している時、周りの状況は見えていて、何か異変が在れば即座に反応出来る。かといって、その一つ一つに集中しているわけではなく、映像や音声は流れて消えていく。眠っているわけでも、集中しているわけでもない状態、という説明。そういう自分をモニターすることは、メタ的で、不可思議なんだけれど、写経をしていると、何となくそういう物が上の方にあがってくる感じがある。
自分が何物か、等という境地まではとてもとても、なのだけれど、少なくとも、雑念だらけの自分を内省する機会をいただいたことに感謝。
打ち止めは丸子丁字屋でとろろご飯。
心はあらわれたか。
今回は、最近少し親しくなった、なかなか魅力的なご住職を頼って、座禅と写経をプチ体験。
別に秘密にしているわけではないのだけれど、人数多くなるとフォロー出来ないので、基本的にゼミの学生+希望者。今回は、平日と言うこともあって、あんまり広く声かけてない。参加者、学生13人と私。
書院で簡単な説明を受けた後、本堂に移動。柔軟体操(って、ヨガ)。この時点で、私は限界近し。みんな柔らかい。
そのあと、まず曹洞宗式という説明で、壁に向かってひたすら座るの(只管打座)を、約25分。様々な想念を車窓の風景のように流していくんだそうだけれど、なかなか流れてくれない。眠さはある瞬間ふっと消えたんだけれど、足が痛くて……。ギブアップしようかともぞっとしかけたところで終了。
2ラウンド目は臨済宗式。壁に背を向け、頭の中で呼吸を数える。雑念が入ると案外数えられないし、数にひかれて呼吸が出来なくなる。それでも20分以上やったらしい。こっちの方が早く感じる。
休憩して、今度は写経。約30分。般若心経をなぞる。
これ、すごいな。ただ、筆でなぞるだけなのに、書けない。様々な想いが頭の中を駆けめぐって、字が書けない。うまくいったと思うと次はもうだめ。
3ラウンド、それぞれに興味深い体験だった。抽象度が弱まる配列だったので、あとの方ほど意識的でいられた。私のような理屈屋には、まずはこの辺からの方が良いのかもしれない。
考えないようにすることは不可能。想念はどこからとも無くやってくる。それをどう流していくか、ということらしい。流す自分を意識したら、それはそれでおかしい。自動車を運転している時、周りの状況は見えていて、何か異変が在れば即座に反応出来る。かといって、その一つ一つに集中しているわけではなく、映像や音声は流れて消えていく。眠っているわけでも、集中しているわけでもない状態、という説明。そういう自分をモニターすることは、メタ的で、不可思議なんだけれど、写経をしていると、何となくそういう物が上の方にあがってくる感じがある。
自分が何物か、等という境地まではとてもとても、なのだけれど、少なくとも、雑念だらけの自分を内省する機会をいただいたことに感謝。
打ち止めは丸子丁字屋でとろろご飯。
心はあらわれたか。
丁子屋は、とろろすごくおいしかった!でも、くちがかゆくてかゆくて。食べたいのにかゆくなる…もどかしい。
只の我慢大会かい、と思いつつ、あぁいう時間は貴重だね。いろんな事を考えた。
御住職は、まだまだ奥が深い方なので、気軽に訪ねていくと良いですよ。
blogに感想書いてくれた人。
http://loveunvi.exblog.jp/d2005-01-25
メタフィクションについての長い長いレポートが終わったので、「メタ」という言葉は、今、最も見たくも聞きたくもない言葉です。
でも、座禅と写経はそういう感じでした。そのときそこにいる自分が見える気がしたような、しなかったような。
ご住職が座禅と写経を「坊さんは毎日1日中やっているんです」と笑顔でおっしゃっておられましたが、私にはできません。月1、20分もきついかもしれません。何がきついのか、はっきりしないのですが。
だから座禅と写経は修行なのでしょう。
奇妙かつ良い経験をさせていただきました。
食事はおいしゅうございました。