前にちょっと触れた『必携・採用担当者直伝! 勝てるエントリーシート 負けない面接テクニック 2011年度版』の著者、原田康久氏が浜松キャンパスに現れるというので、編集者でもある元ゼミ生と待ち合わせて、初めての佐鳴台。
大学生協連合会主催の就活サプリと言うイベントに、読売新聞社の採用担当として参加されたということらしい。
我々が到着した時は企業ごとのブースに別れ、会社や仕事についてプレゼンをしている最中だったので、学生に混じってお話を伺った。
学生を入れ替えて同じ事を繰り返すので、ついでに他の企業のブースも覗く。
これが案外面白い。
実は、私は企業・官庁関係の就職活動をしていない。
と言うか、大学の教師の多くが、企業の“就活”を経験していないのではないかと思う。
そもそも我々世代ではまだ就職ガイダンスや大学を挙げての就職活動支援は存在していなかったし(明治大学が“出陣式”を開いてニュースになった頃だ)。
そういう教師が、学生の“就活”に対して、えらそうなアドバイスなんて出来ませんよね~、と言う前提で、大学のサポートやら、関連の授業やらが花盛り。それが、大学のウリにもなっている。
でも、どこかで、ホントかなぁ、と思うのであるよ。
静岡大学も、キャリアデザインとかの授業をやっていて、学生達の評判はとても良い。
それとは別に、静岡大学学務部就職支援スタッフは『就職活動の手引き PLACEMENT GUIDE』というのを発行している。
自己分析・就活のマナー・企業職業分析・エントリーと試験・内定関係、と、まんべんなく情報が載ってる。
ん、でも、まてよ。この本、静大の現状分析とか、地方特有の情報とか、何にもないぞ、と思って調べてみるとディスコと言う会社が全国の大学向けに作っている物を購入しているだけかも知れない、と思えてくる(確証はありません)。
キャリア教育教材の「大学生の就活編」というヤツじゃないかな、と。
自己分析から内定後まで、就職活動の一連の流れを追いながら、それぞれの局面について詳しく解説。就職活動を成功に導くための実践的なガイドブック。
それだけを理由に、だから悪い、と言うつもりはないけれど、全国の大学が使っているこのマニュアル通りの活動をみんながしたらどうなるのか、と言うのは簡単に想像が付く。
この冊子、「貸出用」と書いてあるのだけれど、人文の場合貸出簿もないので、「ご自由にお持ち下さい」状態。どれくらいの学生が利用したのか、役に立ったのか、とか、評価はどうするんだろう……。
それに、どこで、誰に、どんなことを学んだか、と言う意識が飛んでるのも気になる。
こう言うところに、せめて「静岡大学で学んだことを、誇りを持って語れるために」と言うような独自のメッセージがあったら、それだけでも少しは学生の意識も変わるんじゃないかと思うんだけど。
原田氏の本については、前にも触れたので、詳しく紹介することはやめておくけれど、今回、著者御自身と歓談する中で、彼の考えていることと、私が日頃思っていることとがとても似通っていることを再確認できた。
前にも書いたように、就職活動と大学入試とは本当に相似形を為している。
まともな企業は、もう、マニュアルを引き写しにしてくる小綺麗なエントリーシートや丸暗記の面接にうんざりしていて、よりよく生きていることをちゃんと伝えられる学生をどうしたら採れるのか、真剣に考えている。「サプリ塾」のような様々な催しもその一環だし、今回の本もそういう企業側からの熱いメッセージなんだと思う。
大学はどうだろう。
相変わらず、受験産業や旧態依然とした進路指導者の顔色をうかがって、受験しやすく、対策を立てやすい問題を作れば受験生が増えると信じて動いているように見えて仕方がない。
そう。たしかに、受けやすくすれば一時的に受験生は増える。
しかし、そのあと、どうなるかも、解っているはずだ。
補習授業、増やしますか?
企業は、既にずっと先に行っている。
次は、大学が、本当の意味での「アドミッション・ポリシー」を伝えていく責任がある。
私たちは、ここで、どんな人と一緒に学び、研究したいのか、そのためにはどんな力を身につけてきて欲しいのか。
もちろん、基礎学力は欠かせない。
それは、センター試験で十分だ。
問題は「個別試験」。
言語文化学科は、受験対策に長け、与えられた課題ならそつなくこなす様な“人材”ではなく、言語や文化、文学に関心を持ち、日常的に芸術などにも触れ、良く生きている人間を迎え入れたいと考えて、“総合問題”を作っている。
間違っていない。
原田氏との短い交流の中で、それを確信できた。
そして、もう一つ、実感できたこと。
われわれ大学人は、“就活支援”の考え方を根本的に変えないと、というか、私たちが学生だった頃の大学に戻さないと、結局「大学で身につけたことは役に立たない」と言われ続けることになる(企業は新人研修という名の下に、ずっと、補習授業をやってきたのだ~もちろん、それだけじゃないけど)。
マニュアル化された技術を伝授されれば学生は安心するし、その時は喜ぶ。だから、そういうサービスは、実際に役立っていると誤解されがちだ。
しかし、それが「つかえない」社会人を生み出す温床になっていることにそろそろ気づかないと。
入試の成績は悪くないのに、実際の学問の現場では“頭が悪い”学生がなぜ居るのかを考えれば、自分たちもそれに乗っかっている事にも気づくはずだ。
80年代以前の国立大学は、「大学は就職予備校ではありません」と言う明確な意識を持って、“学問”を伝授していた。
時代が変わった、と言われるかも知れないけれど、更に時代は変わっている。
大学は、学問そのものをしっかり伝える場所だ。
甚だしい我田引水と言われるのは承知で言う。
本物の文学と、本物のお茶をしっかり学べば、そして、世の中と、正面を向いて関わり続けていれば、自分のなりたい自分になれるはず。
大学生協連合会主催の就活サプリと言うイベントに、読売新聞社の採用担当として参加されたということらしい。
我々が到着した時は企業ごとのブースに別れ、会社や仕事についてプレゼンをしている最中だったので、学生に混じってお話を伺った。
学生を入れ替えて同じ事を繰り返すので、ついでに他の企業のブースも覗く。
これが案外面白い。
実は、私は企業・官庁関係の就職活動をしていない。
と言うか、大学の教師の多くが、企業の“就活”を経験していないのではないかと思う。
そもそも我々世代ではまだ就職ガイダンスや大学を挙げての就職活動支援は存在していなかったし(明治大学が“出陣式”を開いてニュースになった頃だ)。
そういう教師が、学生の“就活”に対して、えらそうなアドバイスなんて出来ませんよね~、と言う前提で、大学のサポートやら、関連の授業やらが花盛り。それが、大学のウリにもなっている。
でも、どこかで、ホントかなぁ、と思うのであるよ。
静岡大学も、キャリアデザインとかの授業をやっていて、学生達の評判はとても良い。
それとは別に、静岡大学学務部就職支援スタッフは『就職活動の手引き PLACEMENT GUIDE』というのを発行している。
自己分析・就活のマナー・企業職業分析・エントリーと試験・内定関係、と、まんべんなく情報が載ってる。
ん、でも、まてよ。この本、静大の現状分析とか、地方特有の情報とか、何にもないぞ、と思って調べてみるとディスコと言う会社が全国の大学向けに作っている物を購入しているだけかも知れない、と思えてくる(確証はありません)。
キャリア教育教材の「大学生の就活編」というヤツじゃないかな、と。
自己分析から内定後まで、就職活動の一連の流れを追いながら、それぞれの局面について詳しく解説。就職活動を成功に導くための実践的なガイドブック。
それだけを理由に、だから悪い、と言うつもりはないけれど、全国の大学が使っているこのマニュアル通りの活動をみんながしたらどうなるのか、と言うのは簡単に想像が付く。
この冊子、「貸出用」と書いてあるのだけれど、人文の場合貸出簿もないので、「ご自由にお持ち下さい」状態。どれくらいの学生が利用したのか、役に立ったのか、とか、評価はどうするんだろう……。
それに、どこで、誰に、どんなことを学んだか、と言う意識が飛んでるのも気になる。
こう言うところに、せめて「静岡大学で学んだことを、誇りを持って語れるために」と言うような独自のメッセージがあったら、それだけでも少しは学生の意識も変わるんじゃないかと思うんだけど。
原田氏の本については、前にも触れたので、詳しく紹介することはやめておくけれど、今回、著者御自身と歓談する中で、彼の考えていることと、私が日頃思っていることとがとても似通っていることを再確認できた。
前にも書いたように、就職活動と大学入試とは本当に相似形を為している。
まともな企業は、もう、マニュアルを引き写しにしてくる小綺麗なエントリーシートや丸暗記の面接にうんざりしていて、よりよく生きていることをちゃんと伝えられる学生をどうしたら採れるのか、真剣に考えている。「サプリ塾」のような様々な催しもその一環だし、今回の本もそういう企業側からの熱いメッセージなんだと思う。
大学はどうだろう。
相変わらず、受験産業や旧態依然とした進路指導者の顔色をうかがって、受験しやすく、対策を立てやすい問題を作れば受験生が増えると信じて動いているように見えて仕方がない。
そう。たしかに、受けやすくすれば一時的に受験生は増える。
しかし、そのあと、どうなるかも、解っているはずだ。
補習授業、増やしますか?
企業は、既にずっと先に行っている。
次は、大学が、本当の意味での「アドミッション・ポリシー」を伝えていく責任がある。
私たちは、ここで、どんな人と一緒に学び、研究したいのか、そのためにはどんな力を身につけてきて欲しいのか。
もちろん、基礎学力は欠かせない。
それは、センター試験で十分だ。
問題は「個別試験」。
言語文化学科は、受験対策に長け、与えられた課題ならそつなくこなす様な“人材”ではなく、言語や文化、文学に関心を持ち、日常的に芸術などにも触れ、良く生きている人間を迎え入れたいと考えて、“総合問題”を作っている。
間違っていない。
原田氏との短い交流の中で、それを確信できた。
そして、もう一つ、実感できたこと。
われわれ大学人は、“就活支援”の考え方を根本的に変えないと、というか、私たちが学生だった頃の大学に戻さないと、結局「大学で身につけたことは役に立たない」と言われ続けることになる(企業は新人研修という名の下に、ずっと、補習授業をやってきたのだ~もちろん、それだけじゃないけど)。
マニュアル化された技術を伝授されれば学生は安心するし、その時は喜ぶ。だから、そういうサービスは、実際に役立っていると誤解されがちだ。
しかし、それが「つかえない」社会人を生み出す温床になっていることにそろそろ気づかないと。
入試の成績は悪くないのに、実際の学問の現場では“頭が悪い”学生がなぜ居るのかを考えれば、自分たちもそれに乗っかっている事にも気づくはずだ。
80年代以前の国立大学は、「大学は就職予備校ではありません」と言う明確な意識を持って、“学問”を伝授していた。
時代が変わった、と言われるかも知れないけれど、更に時代は変わっている。
大学は、学問そのものをしっかり伝える場所だ。
甚だしい我田引水と言われるのは承知で言う。
本物の文学と、本物のお茶をしっかり学べば、そして、世の中と、正面を向いて関わり続けていれば、自分のなりたい自分になれるはず。
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