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木漏れ日の雑木林

金剛山の西山麓で里山の保全活動を行っています。自称若者集団ですが、実態は?

九度山の柿

2023年11月07日 05時25分06秒 | 余話

既に柿のシーズンに入って随分とたつ。買い出しに・・・・・・と思いつつも雑用に追われ、なかなかチャンスが無かった。車を飛ばしても1時間も掛からないのに。子狸の好物、「九度山の柿」だ。紀州北部の丘陵地帯で栽培される物で、土壌と環境が似合うのか、他の追随を許さぬように感じ入っている。紀ノ川を中心に南北に丘陵地帯があり、斜面一帯が柿畑だ。ほぼ全域が柿と言っても良く、地元の名産品の模様。久方ぶりに訪ね、柿畑の中を走ったのだが、既に紅葉が始まっていた。渋のヒラタネはとっくに終わり、甘の富有柿がシーズンだが、既に収穫は大半が終わってるようだ。

昔は路上に柿の「無人販売所」が無数にあったのだが、最近は見掛けない。信用問題が生じたのか、小商いを敬遠したのか、理由の程は不明だが寂しい限りだ。柿の入手もだが、人間を信頼したあの販売スタイルが気に入っていた。牧歌的な風情もあって、長閑な山村の無人販売所で柿を購入する・・・・・・・そんな些細な行為が何とも幸福に思えたものだ。

やむを得ないので大型モールとも言える「道の駅」を訪ねる。案の上だが、店内は柿のてんこ盛り、箱詰めの贈答品からビニール袋詰めの自家用品まで種々様々だ。連休明けの平日とあって、客数は少なめ、実はこれを狙ったものなんだが。通路も広々、カートが別のお客とぶつかる心配も無い。安心して選択可能で、やはりタイミングを選ぶべきだろう。古くからの知人達への発送手続きを終わり、好みの袋詰めを次々とカートに放り込んでいく。柿は日持ちがする果物、少々多くても大丈夫だ。

帰路も叉柿畑の中を走った。お天気にも恵まれ、車も少なく、何とも好印象のドライブだ。これが連休当日であれば、ごった返しかと想像される。日時を選んでの買い出しドライブ、現役じゃない者の特権かも知れない。何事にも言えるかも知れないが、少数者が歩む道と多数者が歩む道とがあって、選択は個人の自由だ。前者は多くが荒れ道で、後者は安定した良好な道が多い。一般的には後者の道を選ぶ方が安全でしょう。少々天邪鬼ではありますが、前者の道を走るのも選択の余地ありかなと。アドレナリンの発露も長い人生には必要かも・・・・・・・ですね。

 

 

 


村の秋祭り

2023年10月23日 05時14分02秒 | 余話

農作業を行っていると遠くから歌声が聞こえてくる、太鼓や鉦の音も。どうやら祭りが始まった模様だ。今日が祭りの宮入の日と言うことを、ついうっかり失念していて、一眼レフの携行を忘れてしまっていた。リュックにはコンデジしか入っていない、作業も押してきている、・・・・とかで直接取材は諦め、画像は過去の物を流用することにした。お許しを。祭り自体は例年同様、スタイルは変わっておりませんので、年次変更のみでOKかなと。祭りの主役は建水分神社(タケミクマリ神社)、村の秋祭りと書いたが氏子は村内に限らない。富田林市や河南町にも及ぶのだ。建水分神社の麓を流れる千早川流域の集落で、旧表示だと20数ヶ村になるだろう。

多くの祭りは、神社への「宮入」がクライマックスとなってくる。村の秋祭りもそうしたいのは山々だが、地形上の理由で困難だ。何せ神社が高台にあり、地車の奉納が困難で、神様の方が神輿に乗られて神社を下り麓の広場へとお移りになられる。いわば別邸で奉納をお受けになるのだ。各集落の地車が広場に集結、それぞれのパフォーマンスを披露して神様に楽しんでいただく。ご相伴に預かって参詣人も共に楽しみ、秋の1日を宴の日へと変貌させていくのだ。地元の住民は、祭り命、相当早くに休暇を申請しスタンバイしている。進学や就職で村を出た者も、この日ばかりは帰郷する。

賑やかな歌声は演歌や数え歌等、どうも選曲には一定の基準があるようで、どの地車も似たような曲を歌っている。地車を曳き且つ歌いながら集落を練り歩く。統制が取れてるようで、順番を調整しながら広場へと宮入だ。

神様は乗られた神輿のままで鎮座され、鷹揚に地車の奉納をお受けになるようだ。神様の姿・形は不明だが、神輿の中で楽しんでおいでなのかも。上述したように、当地の祭りでは初日が宮入でいわば祭りのヤマ場、各集落から地車を曳いて広場へと突入し、練り上げたパフォーマンスを披露するのだ。二日目は各集落単位での練り歩きがメインとなってくる。

祭りの二日間、当地は渋滞だらけだ。何せ地車が一車線を占有する、それに引き手や同行者が横に広がって車は走れない。何とも苛立たしい一面だが、怒る者はいないようだ。祭りと葬式は致し方無い・・・・・・・そんな暗黙の了解が地域全体に出来上がっているのだろう。ある意味、優れた生活上の知惠なのかも。

 

 

 

 


中秋の名月

2023年09月30日 05時18分05秒 | 余話

昨晩29日は旧暦の8月15日だった。つまり中秋の名月だ。期待して、一昨日の28日からスタンバイしてたのだが、生憎と一昨日は闇夜に近くおまけににわか雨の襲撃まであった。一昨晩は諦め、昨晩の本番に期待を繋いだら、これが叉見事な晴れ渡り、雲一つ無い澄み切った青空だった。闇の世界とは言え青空が感じ取れるほど、天は味方してくれた模様だ。夕ご飯前の7時頃から待機、東の空がうっすらと明るくなってきた。金剛山の山の端にご登場の模様だ。最初の画像が登場時の姿、見事な装いでしょう。

住宅地の端の法面での撮影を終え、後は自宅の駐車場から撮影。住宅地の中なので、民家の姿が映り込むがご容赦を。凡そ1時間ほどお月様と対面したが、まれにみる満月であった。まんまるい、との表現が適切なようで。何処から見ても見事なマルの姿、半月や三日月も素晴らしいが、お月様は満月に限るようだ。眺めながらかぐや姫の物語などを思い出すが、人間とお月様との馴れそめは相当に古いらしい。蛍雪の功では無いが、月夜の明かりで勉学に励んだ若者も存在するとか何とか。

電気の発明と照明の開発とは有り難い現象だが、反面、刻苦勉励という言葉は死語となってしまったようで、寂しくもある。便利な生活は有用な側面ばかりとは限らないようだ。過酷な環境が人間を育てる・・・・・と言う一面も見逃してはならないのかも。お月様を眺めながら、つらつらとそんな思いも湧いてくる。仲間達の姿を見つめていて、同様な想いを抱くこともあるのだが、何を好き好んでハードな肉体作業を・・・・・と。エアコンの効いた部屋でのんびりテレビでも眺め、子や孫達との団欒に明け暮れれば良いだろうに。恐らくだが、内から湧き出る何かが、そんな生活を許さないのだろうな。

お月様を眺め、農園では黄金色に包まれ、日々汗を流せるのは有り難い生活なのかも。ハードではあってハードで無い生活、と言えば戸惑われるだろうか。まあ実際に体験されるのが何よりかと。今回、新規入会されたマダム衆もお月様を眺めておられるかな。

 

 

 

 


シュウカイドウの群落

2023年09月06日 04時55分33秒 | 余話

当地の南端に岩湧山(897メートル)と言う山が存在する。かっては修験道の道場として栄えた山だが、最近は専ら軽登山の対象地であろうか。府内最高峰の金剛山とも連なっており、多くの方々が登っておられる。子狸も時折お邪魔するのだが、登山としてでは無い。中腹にある「岩湧寺」が目的で、此処までは車の利用が可能なのだ。岩湧寺の駐車場に車を止め、付近の散策といったスタイルが最近の動向であろうか。岩湧寺は無住職のお寺さんで、寺守の方が毎日麓から通っておられるとか何とか。少々寂しげな雰囲気だ。寺を訪ねるのは信仰心では無い。専ら「スギ」や「カヤ」の巨木を訪ねたり「シュウカイドウ」を眺めたり・・・・・・・が主な目的。今の時期だと、シュウカイドウの群落を訪ねるのがお目当てだ。

シュウカイドウは修験道華やかりし頃に植え込まれたものと思われるが、寺付近と道中の参道に満載だ。林道としての細い参拝道だが、かろうじて車1台は通行可能だ。対向車が来ればご想像通りなんだが、そこはまあ。シュウカイドウは日陰の木漏れ日ぐらいが適度の環境らしく、日当たり良き場所には少ない。巨木の合間の微かな木漏れ日を好んで生息する模様。お探しの場合にはご留意を。

時期的には今頃、晩夏から初秋に掛けてが開花期だ。従ってお盆過ぎ頃からソワソワしだしてくるのだが、8月中よりも9月の声を聞いてからが望ましいだろう。麓の集落を離れる頃から道端に覗きだし、高度が上がるにつれ増えてくる。やはり満載箇所はお寺の周辺、駐車場に車を止めてからだろう。多宝塔周辺をキーポイントに探されるのが適当かなと。

花の状況については画像でご確認ただきたいが、薄いピンクの可憐な花が咲き誇る。ものすごい数で、個々の花よりも群落を眺めるのがメインかな。撮影も群落中心となってくる。とりわけお寺周辺はシュウカイドウの花が咲き誇り、花園の中を彷徨うような状況だ。カメラを担いだ同好の士や登山帰りの方々も参加し、専ら撮影会の雰囲気。にわかカメラマンのオンパレードとなってくる。

道中が少々危なげだが、シュウカイドウの群落は秀逸だ。時間が取れれば是非にお訪ねあれば幸いかなと。元気があれば、岩湧山登山と兼ねられるのも楽しみかもしれません。秋晴れの1日、登山と撮影に汗を流すのも快適ですよ。

 

 

 

 


十五夜のウサギ

2023年09月02日 05時31分21秒 | 余話

一昨日は満月だった。気付いて無かったのだが、煌々とした月明かりに惹かれ露地へと出てみると、まん丸いお月様が。調べて見たら31日午後11時が満月となっていた。流石に午後11時には熟睡の時間なので、少し早めの撮影となったが、満月にモデル嬢となってもらった。月夜の神々しさでピントが合わせずらく、多少ぼんやり気味なのはご容赦を。思えば久しくお月様など眺めていなかった。日常生活に追われ、月や虫の声に気を配る微かな余裕も無かったのだろう。日本人は花鳥風月の民と聞くが、縁遠い存在だったようだ。

お月様と言えば、ウサギさんが餅つきを行っている・・・・・・と聞き及んでいた。多分、幼少期の頃かと思うが、今も鮮やかに記憶が残っている。噂を信じ何度もお月様を覗き込んだが、一向にウサギが見えなかった。悪ガキどもは、心が濁った人間にはウサギは見えないのだ・・・・・・と囃し立てていたのだが。月には大気が存在するか否か、生命を持った生物が生存できるのは可能か・・・・・・今の子ども達だったらそんな理屈っぽい発想をするだろう。現代っ子で無かったのが幸いだったのかも知れない。

お月様と言えば、もう一つ記憶に残るのが「かぐや姫」の物語。ご存じかと思うが、竹から生まれたかぐや姫が竹取の翁の元で健やかに成長し、成人後には多くの求婚者を振り切って故郷の月へと戻っていくストーリーだ。舞台は満月の夜、煌々とした月明かりの夜半だったように思っている。思えば月には様々な物語が存在し、子ども達にも大きな影響を与え続けたようだ。流石に宇宙船が月へと飛び、飛行士が月面に降りたつようになってくると、ウサギの話も雲散霧消してしまうようだが。

満月の夜、久方ぶりにウサギさんの物語を思い出し、悪ガキどもを懐かしく偲んでいる。既に鬼籍に入った者も存在するが、こうして月夜を楽しめるのも生命あるおかげ、昨年夏の流行り病である「武漢肺炎」に倒れなくてよかった。有り難い事で、天の配慮だったのかも知れない。

それにしても、何度眺めてもウサギさんは見えないなあ。加齢と共に視力も落ち込んでしまったのだろうか。