田植え機に乗った元サラリーマン

車中泊旅や探石などを楽しみながら生活の中で感じたこと思ったことなどを気まぐれに書き込んでいます

茨城県の石ころ-2

2020-03-09 | 石ころ
阿武隈山地エリア
福島県から続く阿武隈山地は、高鈴山、真弓山、最後は風神山かなそこから石名坂あたりが南端になります。その先は平野部になって突き当りには久慈川が流れています。ここも岩石や鉱物の宝庫みたいです。先ずはハワイアンセンターで有名な常磐炭鉱、今は閉山となっていますがいわきから高萩あたりまで続き今でもボタ山が見られるところがあると聞きました。そして日立鉱山、もともとは佐竹氏が金を採掘、その後水戸藩が銅などの採掘を継続、そして明治以降は主に銅と硫化鉄鉱を産出していたようです。この鉱山は近代になって久原鉱業(後の日本産業、日産自動車のルーツ)、日本興業(JXグループ)、日立製作所などの日本有数の企業が関わりこれらの会社の礎を築いた鉱山です。.....

茨城の山
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この阿武隈山地の南端の日立市と常陸太田市にまたがる日立変成岩地域には日本最古の地層がみられ、5億年前のカンブリア紀の岩石が残っているそうです。長谷町にはコートランド岩の露頭があるそうで、コートランド岩って何なのかいまいちよく判りませんが珍しい岩だそうです。でも5億年前って日本がまだ大陸だったころですよね、地元にこんなところがあるなんて知りませんでした。なんでも日本列島は2~3000万年前に大陸から分離をし始め、1500万年前ごろに日本列島が北と南に分かれて動きこれが今の日本列島のくびれとなっているそうです。そしてそのとき出来た割れ目の一つが「棚倉断層(破砕帯)」だそうです。この棚倉断層は今回説明している八溝山地と阿武隈山地の間にあり幅3㎞長さ60㎞でほぼ水郡線沿って延びていて、この断層を含む棚倉構造線は猪苗代湖、飯豊山地、朝日山地を通り酒田市に抜けています。なんでも日本列島を東北日本と西南日本に分ける重要な線だそうです。まぁ簡単にいうと日本列島が逆「く」の時に曲がっているのはこの断層の影響みたいです。これ以降はちょっぴり曖昧なんですが、この後海面が上昇し八溝山地と阿武隈山地の一部を除いて茨城県は海底に沈んだそうです。このころ海底火山が活発化、隆起、浸食を何度か繰り返し、その後海面が低下して現在の形になったようです。そのころ出来たのが阿武隈山地と八溝山地の間にある有名な「袋田の滝」」や「奥久慈男体山」、バンジージャンプの「竜神峡」、私が良く行く「鍋足山」で、男体山火山角礫岩やメノウはここが火山だった証拠みたいです。

さてさて肝心の石ころの方なんですが、日立変成岩地域の常陸太田市町屋地区に「町屋石」なる石があるそうで、笹目石、斑(まだら)石、竹葉石とかいろんな名前で呼ばれているみたいです。岩石的には蛇紋岩みたいで、ここと熊本県宇城市でしか採れない珍しい石のようです。これはちょっぴり興味が沸きましたね、一度見てみたいです。

そして鉱物系の方なんですが、これもいろいろあるようです。
大子町   北富田   めのう、水晶
常陸太田市 長谷町   磁鉄鉱、真珠雲母、、曹長石、、チタン鉄鉱など
常陸太田市 妙見山   リチア電気石 緑柱石など
北茨城市  花園    紅柱石、コランダム
例によって採掘禁止のところが多いみたいです。

う~ん、5億年前の地層といい棚倉断層帯、海底火山といい、私はとんでもないところに住んでいるようです。まぁ鉱物系の方は守備範囲外なんですが、「町屋石」はちょっと調べて見に行ってみようと思います。

次回に続く
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