komaと申します。母のくも膜下出血から今、これからのこと

73歳の母がくも膜下出血になり、そこから見えてきたあれこれを記しておきたくてはじめました

7/12  不安と脱力感

2022-07-31 12:44:27 | 日記
7/12

わたしの現実はどこだろう
これは悪い夢?
ほぼ一睡も出来ず。
メガシャキ飲んで仕事へ。

母はどうしているのか。
これから2週間こんなヤキモキしながらどうやって過ごそうか。

母のスマホから連絡をとった方たちに返信。
叔父と電話。
泣いていた。

ネットはピントのずれた情報しかない。
そして過剰に脅す。
怖いから見られない。

明日は資源ごみか。
実家のベランダをサーコがきれいにしてくれた。
資源ゴミまとめて、母のシーツやなんやら洗濯。

布団で夜、
サーコがしくしくと泣いている。
おばあちゃん子だし母によく似た感性を持つサーコ。
二人はとても仲良しで。
アクセサリーや洋服、おしゃれの話したり浴衣を合わせてもらったり、2人で絵を描いたり工作したり。
そりゃさみしいよね。

大丈夫、大丈夫と背中をさすることしかできない。

母は目が覚めているのだろうか
苦しくないか
痛くないか
寂しくないか
大丈夫かな

いとこに
「俺たちはもうそういう年齢なんだよ、良くなって元気になってほしいけど、そういうことも覚悟しないかん」
「お前には俺たちがいる、皆もきょうだいみたいに思ってるし支えていきたい、でもおばちゃん(母)にはお前しかいない、しっかりしろ」
と言われた。
気持ちは嬉しい、伝わった。
でも…

覚悟なんてできないよ

母を失うことなんて考えられないよ
道歩いてるだけであっちから歩いて手をふってきそうだなとか思う私には、母のいない世界で生きるなんて想像できない。

ずっと母と生きてきた
一緒に暮らしててもそうじゃなくても。
高校に上がるとき父に引き取られたわたしは、父の奥さんに嫌がらせされて罵倒される毎日で少しずつ蝕まれた精神は崩壊した。
その時はあまりわからなかったけれど、今じゃ考えられないくらい色んなことが狂っていったのがわかる。
病んだあげくにあれこれあり左目を潰しかけて、母のもとに帰った。
母にも夫がいたけれど、そしてたくさんの我慢を強いられたけど、父といるよりまし。

それからは家を出ても社会人になり環境が変わっても結婚しても、母のそばで家を借りて暮らしてきた。

紆余曲折ありつつも平和な日々を送れることに感謝し安堵していた矢先の出来事で。

7/11その3 青天の霹靂

2022-07-30 07:36:17 | 日記
7/11③

涙でぼやけてよっちゃんの顔が歪む。

外のベンチで経過を話しながらもらったパンをかじる。
チーズの匂いがするのに塩味しかしない。涙かな。
なぜこんなことになったのか。
なぜきのう体調悪そうだったのにちゃんとみてあげれなかったのか。

母は今頃手術中。
開頭クリッピング手術
頭を開けて動脈瘤をクリップで止める繊細なミリ単位の手技。
出血している頭の中で。
リスクは多岐にわたり不安が尽きない。

ごめんなさい
がんばれしか言えず
ごめんなさい
がんばって生きて

何でもするから
助けてお願い

よっちゃんと待合室へ。

時計ばかり見る
合間に親戚その他いろんな方から連絡が来る。

また待つ。

過呼吸みたいになってきたのでよっちゃんと近くのカフェへ。
何も食べられない。

また待つ。

16時になった。
全然終わらない。大丈夫かな。
なにかあった?
こんなに長引くのはなぜ?

18時になった。
まだ終わらない。
エレベーターあくたびに動悸していたし長引く手術の不安からか過呼吸出てきた。気持ち悪くてめまいがする。酸素が少ない。
よっちゃんも胃薬がほしいと。

息苦しさはだんだん強くなってきたけれどいつ終わるかわからずトイレも行けなくなってきた。

母はどうしたの?
まさか蘇生してるのか?
心臓は動いてるの?

もうほぼパニック状態。
よっちゃんいなかったらとっくに狂ってた。

20時過ぎて、エレベーターの扉が。ベッド押す3人の先生。
朝からいた先生の顔が見えた。

母が横たわっていた。
「あっという間だったね
脳神経外科?脳神経外科…」
と言うので不安になり先生を見ると、今はまだ混乱しているかも。と。

救急病棟のベッドで処置をしてもらい先生たちがやってきた。

長い時間ありがとうございました。
と言うと。

手術は成功しました。でもこれはあくまでスタート地点です。
これから2週間は回復に向けてではなく何が起こってもおかしくはない2週間です。
脳血管のれんしゅく、麻痺、言語障害、水頭症などが出てくるかもしれない。
脳梗塞で亡くなることもめずらしくない。
元気で退院できるのは1/3
後遺症残すのは1/3
死亡してしまうのは1/3
我々はその都度、処置に最善を尽くしていきますがそれはご了承いただきたい。

もう聞きながら涙がボタボタと膝に垂れる。
これがスタート地点だなんて
想像を絶するであろう痛みと苦しさを経て、長い手術を耐えてベッドでようやく束の間休んでいるのに。
なんてこと。
そんな長い時間、痛みや苦しみと戦いながら精神までも保てるのか


2週間面会できないとのこと、今少しだけ顔見てもいいですか?
と聞き母のベッドへ。

お母さんよくがんばったね

「終わったの?あっという間だったね、ありがとうね」
と。

ここから2週間、がんばりどころだからね、様子は聞きに来るからね、何も心配いらないよ、と言い病室を出た。

よっちゃんとも3年ぶりとは思えない
「よっちゃん、来てくれたんだ、ありがとう」
ふつうに接してた。

よっちゃんと別れ帰りは地下鉄で
フラフラ駅からの夜道を歩く
ぬるい夏の風が頬にまとわりつく

家につき、子どもたちの寝顔と夫の顔を見ると日常に戻れた気がしてほっとする。
今日はごめんね
おばあちゃん、がんばってるからね。
眠れるはずもなく
真っ暗な部屋で時計と母のスマホを眺めていた。

7/11その2 青天の霹靂

2022-07-29 21:13:45 | 日記
7/11②
叔母のよっちゃんに電話。
母とは3年ほどケンカして口聞いていないけれど、わたしは連絡をとっていた。
幼い頃一緒に暮らしたこともあるもっとも近い親戚。

そして4人の従姉妹会グループラインと
いとこほぼ全員9人のいとこ会というグループラインがある。
一人っ子の私にとって心強い身内の皆

呼び出し音は鳴るも出ない。
いとこのNくんに電話。Nくんは母がもっとも可愛がっている甥でわたしのいとこの頼れるお兄さん。
喋りだしたら過呼吸みたいになって涙がとまらないし上手く喋れない。
「落ち着いて、ちょっとあちこち俺が連絡する、待っててまたかけるから」

そして5分後よっちゃんから。
「お母さんがっ…」と言い出すやNくんが先に連絡とれてたみたいで「高速乗ってすぐ行くから待ってなよ」と。

わたしはとりあえず家に帰り着替えた。
病院へ戻る前に実家へ行き汚れたものを片付ける。
頭は全くはたらかない。
手際はありえないほど悪く、とんでもない時間がかかったような。

とりあえずタオルや母が用意していた入院セットなどを持つ。
小さな仏壇にあるおばあちゃんおじいちゃん、母の兄の写真を入れる。
母をどうか守ってください
母をどうかこの世の中に戻してください。
心が弱ったとき、子どもたちの病気のときいつも寄り添ってくれるパンダのぬいぐるみも願いを込めて入れる。

運転はとてもじゃないけど出来ず、バスに揺られ病院へ向かう。

きのうの夜、体調が悪そうだった、母に聞いたら、
わかる?ふくらはぎもしびれてて熱中症かなって言ってた。
何にも気付かなかった。
なんでこんなことになる前に気付けなかった?
お母さんごめんなさい
毎日のように顔見てるのに。

助かるのは1/3
なんて残酷な数字なんだろう
恐ろしくてその先も現在も考えられないくらい

ロビーでよっちゃんの顔を見つけた。

7/11① 青天の霹靂

2022-07-29 14:24:47 | 日記

朝6:28母から電話

komaたすけて!頭が痛くて
たすけて!

急いでコンタクトしてパジャマに上着を羽織り自転車の鍵持って外出たら自転車がない!!
そうだきのう実家に置きっぱなしだ。
走る6:35

エレベーターでもう一度母から着信。

救急車よんで!!

もう呼びかけてます。
部屋に入ると廊下に母が倒れていた。
「頭が痛いー気持ち悪いー」
さけぶ母にキッチンペーパーを渡して動くなと伝えて
状況を救急隊に話しつつエレベーターを1階に下げておく。

パジャマを着替えようとしたのか嘔吐物と脱いだパジャマが隣の部屋に

母はズボン半分までしかはけておらず、引き上げボタンも開いているので閉めれるところまで閉める。
指が震えて。
保険証やお薬手帳、診察券などを探す。

救急隊員到着。
軽く状況説明して救急車に。
市内の大きい2病院で一瞬迷う
八◯○病院へお願いします!と頼むと受け入れOKしてくれた。

既往歴など聞かれながら、母の顔を見る。
母の手も足も氷のように冷たくて小さくてシワシワで。タオルケットをかけてさすってみたけど暖まらない。
救急隊員と話しながらだらりと下がった手の甲に浮かぶ血管を眺めていた。

病院へ到着すると母は救急入り口から運ばれていき、ついていこうと追いかけたら
「娘さんはあちらで事務手続きを」と。

あれこれ済ませて待合室で待つこと1時間。
心臓バクバク
まさかくも膜下出血か?とネットを見るも恐ろしいことしか書かれておらず閉じる。

その間夫に連絡して、子どもたちの学校の支度や朝食を頼む。

ようやく呼ばれて入ると母は静かにベッドに眠っていた。

脳神経外科の先生が穏やかな口調で話し出した。
かいつまむと。

くも膜下出血です
だいたい二人に一人が最初の出血で死亡します。
出血の量は多いです
意識状態は良いので
再出血を防ぐため手術します
リスクもあります
助かるかどうかはわかりません
だいたい手術時間は7時間ほど。

麻酔医が来て説明
アレルギーの有無、昏睡状態に陥る可能性もあることなど。

同意書何枚も何枚もサイン。

9時半からベッドがあきますのでそれから移動します。

先生の穏やかな声に、震える手の甲にボタボタと涙が落ちる音が混ざる。

涙と鼻水がドバーっと溢れてきて。
すみませんと謝る私に先生が急なことですものね仕方ないですよと言ってくださり。

時間まで約5分、母と話してもいいというので。

「お母さん、手術7時間くらいかかるみたい、でも体力あるから大丈夫だよ、がんばってね」

「手術するの?頭がおかしくなるかもしれないから言っておく。
ありがとう。今日のことだけじゃなくて今までありがとう今までずっとありがとう」

母は普段そんなこと言う人ではない。
私はもう首を振るだけで何も言えない
喉が詰まって涙がとまらない。
かけたい言葉たくさんあるのに何にも出てこない。

手術室の前で、お母さんがんばって!と声をかけて先生に頭を下げ、運ばれていく母を見送る。

助けてください
お願いします

面談室へ戻り入院説明やら何やらを
聞く。

終わるまで付き添いが必須だけど、とりあえずパジャマだし寝起きのまま財布とスマホ以外何も持っていないので、バスに乗って家に。

その2へ続く。