komaと申します。母のくも膜下出血から今、これからのこと

73歳の母がくも膜下出血になり、そこから見えてきたあれこれを記しておきたくてはじめました

8/30母

2022-10-28 08:02:17 | 日記
いつも何らかの不安と不満を抱えて些細なことにも心を揺らしてしまう母。
昔からそんなところは変わらなくて今や私にしか話せないのか時々サンドバッグみたいな気持ちになる。

小学生の頃は霞がかかったような曇り空みたいな侘しさに縛られていた。
母と2人で出掛けたことも何だか楽しい思い出は残っていなくて。
母のいつも寂しそうな顔と怒った横顔の残像ばかり。

とても母が好きだったけれどあの頃には戻りたくない。
思い出すには少し力がいるようになり、不意にくる記憶を思い出さないように手をたたく。
「おしまーい!」って自分に言い聞かせる。

丸太が生まれて、2年後にサーコが生まれて、その丸六年の月日は宝物みたいに幸せで。
母との寂しい思い出も明るいものに上塗りが出来た気がする。

これから私は何が出来るのかな、何をしてあげられるのかな。

8/22ひじきごはん

2022-10-27 19:58:38 | 日記
8/22

朝から耳鼻科
好酸球性中耳炎の母。
血が混じる膿が髪の毛をベタベタにしてしまうほどたくさん出る。

洗ってもらい、薬を入れる
聞こえづらさも少し改善するみたい。

帰ってから母は昼寝
ひとつ用事をこなし横になるという繰り返しの毎日。
でも少しずつ元気にはなっていってるみたい。あとは体力だけ、と思えるほど顔色も良いし痛みもないみたい。

母がひじきの煮物をつくってくれた。
高野豆腐、にんじん、しめじ、コンニャクなどがバランスよくたっぷり入った絶品。

私は昔からひじきは母のつくったもの以外食べない

またこれが食べられる日が来たこと、とても嬉しくて

8/19 母の肉じゃが

2022-10-12 18:57:21 | 日記
8/19

みるみるうちに元気になっていく母。
肉じゃがをつくってくれた。

んん?

パンチがない?
コクもない…


「玉ねぎ入れ忘れた…」

まぁまぁリハビリみたいなもので(笑)

でも久しぶりの料理はたくさん時間がかかり、その後は寝込み。

ありがとう
おいしかったです。

でもまだまだ難しい

少しずつ
少しずつ

わかっているのに気持ちが焦るんだろうね

母のシャンプー
細く少ない髪の毛を見ていたら、ふいに、頭の血管も細いのではなかろうかと思いつき。

3ミリで破裂してしまった母の脳動脈瘤。流れが悪いのかはたまた細すぎるのか。

もう破裂しないで
どうにか無事に繋がって流れて



8/17父の命日

2022-10-10 22:00:06 | 日記
8/17

父の命日

2008年の今日未明、当時金沢に住んでいた父は車で家を出て高速に乗り、越前の崖近くで自ら火を放ち命を絶った。

豪快で強引でがらがら声でカラカラ笑う人だった。
カッコつけでかっこよくて男気溢れるのに短気で、強く優しく、でも破天荒な人生の終わりがそれで、何だか頭が混乱した。

最後に暮らしていたのは焼肉屋の上にある2DKのアパートで、3人目の奥さんと離婚して2ヶ月経った頃だった。

父と最後に会ったのは15歳の夏。
春から一緒に暮らしていた父の奥さんに散々嫌がらせされ身も心もボロ雑巾のようになったとき追い討ちをかけられたのが最後。

きっと私のひどい態度が父を苛立たせていたんだろう
望んだような娘になれなくてごめんね

3歳の頃の私と父、満面の笑顔で写真に収まる2人は明るい太陽みたいに眩しい。

時々思い出す
昔のような胸の痛みはもうないけれど、どうしようもない会いたさに駆られる。

お父さん
違う形でもいいから
またあの大きな手と光がこぼれるような笑顔を見せてほしいよ

8/16 送り盆

2022-10-08 21:13:28 | 日記
8/16

仕事終えて用事をいくつか済ませ実家へ行くとよっちゃんが来てくれていた。

親戚から預かったお見舞いやお土産をいただく。

母はきのうより元気そうだ
それも、圧倒的に何かが違う


お盆を終えて天界へ還っていくご先祖様たちや父が、手分けして母の痛みを持っていってくれたんじゃないか

半ば本気でそう思う

ありがとうございます

よっちゃんを送りがてら駅まで歩く。
よっちゃんと歩くのは何度目かしら?
安心する

また近々来てね