後藤奇壹の湖國浪漫風土記・淡海鏡

~近江の國は歴史の縮図である~滋賀の知られざる郷土史を後世に伝える渾身の激白?徒然紀行アーカイブス(^o^)

園城寺余話(5)“天狗杉の伝説”

2014年11月05日 12時00分00秒 | 滋賀の伝説

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今回の園城寺余話は天狗杉(てんぐすぎ)の伝説についてご紹介したいと存じます。

 

天狗と言えば京都の鞍馬寺を連想される方が多いかと思いますが、滋賀でも天狗にまつわるお話は各地に残っています。

また「天狗杉」と呼ばれる木も県内に点在しており、小生が確認出来たものだけでも、大津にはここ園城寺、そして比叡山に3箇所、石山寺、さらに長浜は木之本町田部の観音堂にもあります。それだけ京都に負けじ劣らじ天狗との縁は深いのです。

 

さてお話を園城寺に戻しましょう。

 

金堂の南正面東側。そこに園城寺の天狗杉があります。

 

根回り約7.5m、目通り周囲約4.0m、全高約20mのこの巨大な杉は地上間もないところで二股に分かれ、主幹先端部分は数度の落雷によって枯れた状態になっています。

 

しかし他の部分は健在で良く枝葉が茂り、全体的に端正な樹勢を現在でも保っております。昭和51(1976)年3月には大津市より、指定文化財と天然記念物に選定されています。

室町時代初期、相模坊道了(さがみぼうどうりょう)という僧が勧学院の書院で密教の修行をしていました。

 

ある夜のこと。同郷出身の了庵慧明(りょうあんえみょう)が相模國(現在の神奈川県)で最乗寺(さいじょうじ)を開創したことを聞き及ぶと、突如として天狗となり、書院の窓から飛び出しこの杉の上に止まります。 そして早暁に東の空に向かって飛び去りました。

何とはるか小田原まで飛び、最乗寺に馳せ参じたと伝えられています。 その後了庵のもとで土木事業に従事し、五百人力を発揮しました。験徳著しく村人から慕われ、今も同寺の御真殿に祀られています。

 

また道了が修行していた勧学院には「天狗の間」があり、現在も遺徳を偲び最乗寺より参詣者が訪れています。

 

今回の記事作成に際し、寫眞をご提供頂きましたHN.珍念さん、この場を借りまして厚く御礼申し上げます。

 

(園城寺余話、次回もお楽しみに・・・)



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