東京大空襲のことで、江戸川区で 築こう平和な社会 と言う催し物が
あると新聞で見て行ってきました。
タクシーで行きました。 小松川文書庫(旧江戸川区役所文書庫)を見ました。
区役所は焼けてもコンクリートの建物は残ったそうです。
いまは区役所も小松川橋を渡った方に建っています。
会場では、江戸川区の被害状況や罹災者の救援のことなどが、分かりました。
手作りの地図で我が家も都電の駅、友達の家、提灯屋さん、お米屋さん、
質屋さん、お世話になった武田医院、コピーをいただきました。
懐かしく見ました。区の方に我が家の避難の様子を話しました。
良くご無事でしたねと仰いました。
小松川神社の防空壕に少し入って熱いので橋を渡ったことも、話ししました
もっと詳しい人が明日は来るそうでした。
小松川神社にお参りして帰ってきました。
ドライバーは明日はお休み、では11日にと、予約しました。
11日になり、何だか気分が良くなくてキャンセルしました。
そしてあの地震 長く長く揺れました。きっと遠くで大きな地震
岩手県にいる息子家続の顔が浮かびました。
ドライバーは遠くまで行く人で大変だったそうです。夜は停電で信号が
つがず苦労したそうです、
もし江戸川区に行っていたらどうなっていたでしょう。
息子たちは皆無事でしたが、公民館にお世話になりました、
夫の従妹二人が津波に遭いました。大船渡の従兄も、親戚同様の人が
福島浪江で津波原発の被害でいまは会津で
陶器を作っています。夫が生きていたらどんなに悲しんだ事でしょう。
こんにちは!
あれからもう14年も経ったのです。
早いようで復興の遅さがどうしても、気になります。
もっと、優先して行ってほしいですね。
津波に会い山手のほうに新しく住み替えた方々
今度は山火事
本当に災害は怖いですね。
14年の歳月は多くの人の考えや行動を変えたでしょうね。
町は復興しても、いままでの場所が復興せず
新しい場所に人が移って違う町になってしまったところがあります。
町が復興しても、いままでのような町にもどるのは
難しいようですね。
息子達が震災の10年前に住んでいた頃、石巻の駅は
大きなスーパーがあって沢山のお店が入っていました。お魚も新鮮で買うのが楽しみでしたが。
震災後はは昔の駅とは違って、人々は内陸に住んで昔の駅前とは違ったそうです。