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番楽特攻隊長(こっき)

富根のいろいろ!
感じるままに、楽しんで!

今一度、番楽に思うこと・・・

2014-05-09 08:46:54 | 番楽
こっきです。

ご無沙汰しております。

今、FBのほうで「富根報徳番楽を支える人々。」と一週間くらい前から更新しているのですが、ある方からとてもうれしいお言葉を頂きましたので、パソコンに向かった次第です。

ここからは私の言葉ではなくその方の文面です。

全国的に名前は知られずとも、郷土芸能(秋田では番楽といいます)を、地道に続けておられる方がいます。
生まれた時からその地に住み、風土を感じながら、番楽と共に歩み、生きた芸能を継承している方々です。
こういった方々には、上方で「能」の一流とされる人にはない魅力や、日本で有名とされている(下手な)芸能人とは全く違う力があると感じます。

以前、私は五城目の中村集落にあるガンバ句を取材したことがありました。
その当時で一番歌を知っていて、一番踊ることができた男性は、足を痛めてからはそれを継承すること叶わず。ほんの3年前のことです。
その男性は「もともと地域外には門外不出だったんだが、このままでは廃れてしまう。地域外の人でも、興味を持たれた方には教えたいと思いはある」
と、悲しそうな表情で話されていました。

私は、その時やってみたいと申し出たのですが、女性では不可ということで、とても残念な気持ちになりました。
今は、五城目は「山内番楽」の子どもたちによる「内川ささら」だけと聞いています。
せめて、それらを地道に継承していく人々が、人間国宝とまではいかなくても、文化功労賞の対象になれば、名前が知れて、継承しようと地域に帰ってくる人や興味があって話を聞きに来る若者がいるかもしれないと思ったりもしましたが、そういう「側」の評価や賞賛、「有名になること」は、もしかしたらこの方々には全く興味ないことなのかもしれません。
無名であるが故、後を継がなければいけないと苦悩する「能」役者のようなプレッシャーを感じることなく、常に身近であり、自然体で、自身の生と共にあることが、更に魅力的な舞台をつくりあげてきたのでしょうから・・・・。

とはいえ、地域外の人間がどんなに「勿体ない」と言っても、そこに住む地域の人々が必要なければ、自然に消えてしまうのが郷土芸能です。
地域外の人間では、本来の意味で入り込めない「仕方のないこと」です。
「単なる郷土芸能ごとき」、「古い芸能」、面倒くさい近所づきあい」。
そうやって、故郷を去って方々の中にも、少しでも思い出としてもらいたい景色があります。自分が何を捨てて、何を選んで今の地に住んでいるのか。

それらを、望んでも、手に入れることのできない人間にとっては、少し羨ましいと思ってしまうのは、無いものねだりなんでしょうけど。

技は、鍛錬の賜物です。
寝食をするように生活の一部として舞ってきた者だけが習得できるもの。
番楽が体に染みついた技というものは、競いようがない。
けれど、彼らの想いを継承していこうと頑張っている若者が、能代にはいます。


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ここからは、これを読んで私の率直な感想を少しお話したいと思います。

おそらく私個人の感想ではなく、会のみんなが共感してくれると思いますが、継承とかあまり考えていません。
番楽は楽しいことをする(酒を飲む)口実であって、大義名分に隠れておいしい酒が飲みたいそれが本心です。
なんで、関係なくBBQなんかもやりますし、師匠と弟子の関係は存在すらしていますが、「仲間」としてのとらえ方が我々番楽には正しい言葉だと感じています。

みんなで楽しくやろう~

これは、9月に神社で行われる「作番楽」に見に来ていただければ、感じていただけると思っています。
是非一度、いらしてください。 


富根報徳番楽、現在とこれから・・・

2014-01-09 16:38:15 | 番楽
こっきです。

今回で最終章です。

昨秋の東京での自主公演を紹介します。
秋田デスティネーションキャンペーンの真っ直中、待っていても人が来るはずもない富根から逆に出かけました。
出かけた先は、東京都台東区雷門二丁目、築四十年鉄筋コンクリート三階建て昭和の香りが漂う、こぢんまりとした内装も古くて洒落た建物でした。
前の通り北百五十メートル先には浅草のランドマーク雷門(タペストリーの提灯でした^_^;)が見えます。
この日は雷門通りで時代祭が繰り広げられていました。事の発端は、四年前の夏に法政大田中優子教授(現法政大総長)主宰「明神塾」のお招きで神田明神社殿で作番楽を披露したことに始まります。
その時、神楽殿と社務所が建設中でした。神社から翌年の神田祭で神楽殿の完成祝いに番楽を披露してはというお話がありました。神楽殿でしかも神田祭でとトントン拍子に話が進み、旅費宿泊費の積立が始まりました。お礼はわずかとも言われていたので・・・
ところが・・・明けて三月、東日本大震災が発生し、神田祭は規模を大幅に縮小して行うことになり、神楽殿での番楽も立ち消えとなったのでした。
積立も払い戻し、自然災害ではとあきらめていたのですが、東京への思いは消えていなかったのです。
くすぶり続けた火は、昨年の新年会で炎を挙げ、再積立が始まりました。
実現できたのは、情報発信に長けた者、企画運営に長けた者、手配に長けたもの者、それに賛同して協同する者が集まっているからに他なりません。
また、この集団を認めてくれる家族があってこそです。
今後も、温故知新の精神で舞の復活に取り組みながら歩みを進めていきますので、ご指導ご鞭撻くださいますようお願いいたします。



富根報徳番楽、紹介その2.

2014-01-08 17:07:15 | 番楽
こっきです。

番楽の継承者は長男でしたが、昭和50年あたりから男子が加わり、平成5年には女子も加わり現在に至っています。
継承組織も昭和58年2月12日県指定無形文化財となるに当たり保存会となり、上部町内会長が保存会長努めてきました。
平成21年からは独立した組織になりました。
保存会の会員は番楽が好きな方なら地域、老若男女問わずすべての方々です。会費はありません。
独立組織となり、月2回の定例会では舞と囃子の練習や用具の修理、行事の確認などをしてから、各自持ち寄った酒肴で情報交換を行います。
幅広い年代が集まるので、舞の技術談義や地域の歴史など記録に残しておきたい内容が毎回登場します。
番楽が好きで集まっていることもあり、催し物への出演依頼にはほぼ応じています。
最近では、場所代を負担しての自主公演にも取り組んでいます。


ここからは、また次回に

あけましておめでとうございます。久々に“番楽特攻隊長”始動。

2014-01-06 10:02:28 | 番楽
こっきです。

「富根」という分館報第92号に掲載された番楽の紹介文を紹介します。

 番楽は、山岳修行をする修験者(山伏)があみ出したもので、修行のできない冬期間に麓の村々を回り、祈祷を行いつつ披露し伝えたといわれています。
舞には四隅を順に舞います。場を踏み鳴らす所作があります。それは獅子舞の歯を打ち鳴らして魔除けをすることと共通しているようです。

 富根の番楽は川井村(北秋田市川井)から伝えられたととも伝えられています。宿場町だった富根に米代川を下る筏の筏師が伝えたともいわれいます。
いずれにしても、明治九年の大火で古文書を含む番楽用具一式を保管していた富根村役場も全焼してしまい、重ねて川井村の番楽もすでになくなっていることから、ルーツをたどり事はかないません。
番楽伝来を寛政五年(一九七三年)としているのは、番楽謡の本に「寛政五癸丑八月」と年号が記されていたことに拠ります。

 富根の番楽は本来豊作感謝の舞で、豊作の年だけ奉納し、凶作の年は舞うことはなかったそうです。稲刈りが始まる数日前に村民一斉の作休みがあり、昭和初期までは奉納に三日費やし、盛大に行われたようです。

現在披露している舞には、式舞「露払い(荒舞)、鳥舞、千歳舞、翁舞、三番叟舞」
            女舞「朝飯舞、機織舞、蕨折舞、汐汲舞」
           武士舞「鈴木舞、信夫舞、さぎり舞」
            神舞「山ノ神舞、恵比寿舞、大黒舞」
           道化舞「根子切(3番)」
           奉納舞「三島節舞」があります。

昭和初期にはこのほかに十四,五番あったようです。
どの舞にも「幕出」「中歌」といった詞章があります。特に女舞にはそれぞれ長い物語があり、三日間費やしたのはすべてを披露していたからでしょうか。
囃子方は太鼓、笛、鉦で構成し、ときには舞台叩きが加わることがあります。棒で舞台を叩き舞手を鼓舞します。囃子(拍子)は七種類あり、本舞拍子、くずし拍子、荒舞拍子で一つの舞を構成します。


次回は、我々番楽の現状をお届けします。




浅草の次は、スカイツリーに行ってみます。

2013-11-14 17:26:33 | 番楽
こっきです。


電車に乗ってみます



 
イヤー高いですね、真下から見ると首が痛い
凄い人です予想はしていましたが


整理券配布してます・・・どれどれ・・・2時間半待ち
無理です時間が無い

しょうがないので、ソラマチでお買い物することに・・・


で、私はこれに惹かれて買っちゃいました

そろそろ集合時間です、帰らないと